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大地の民

 朝課を終えたら神殿街へ行く―ーというその言葉の通り、彼は朝課を終えた途端、きびきびとジアードをせかしながら本部を出発した。

 ジアードはそんな先輩の姿を、信じられないものをみるような眼で観察していた。


 二人がつい先ほどまで取り組んでいた朝課には、長距離走や腹筋背筋・素振りといった、身体づくりや持久力の向上を目的とした運動が含まれていて、軍隊並みに体力を使うものだ。体力自慢のジアードですら終了の合図と同時に地べたに倒れこみ息を整えていたというのに、ユトは「じゃあ、行きましょうか」とごく普通の調子で話しかけてきた。顔色一つ変わっていない。思わず変な声が出た。


 そんなユトは姿勢が恐ろしく良い。歩く時に頭がまったくぶれないのは体幹がしっかりしているからだ。しかし筋肉がついているようには見えない。痩せ気味だし身長や肩幅も平均的なサイズだ。そもそも、年齢的に体を動かすのがきつくなってくる年だろうに、その体力はどこから来るのか。

「どうかしましたか?」

「……いや、あー……神殿街ってのは、遠いんですか?」

 じろじろ見すぎてしまったか。ユトの不審をかってしまった。

「あと少しですね。……それよりも、敬語を」

「すみませ――悪い」

 軽く頷き、ユトはまた早足で歩きだした。


 見たことのない野菜に、外国訛りの呼び込みの声。早朝から活気に満ちた市場の雑踏を抜け、町の西方に向かうつもりのようだ。

 この辺りにはジアードは少しだけ土地勘がある。道一本入った所に、この国に来たばかりの頃に泊まっていた安宿があるからだ。安宿なんてあるところだけに治安はあまり良くない。

 ジアードはふと足を止めて考えた。

 ガタイが良いジアードにちょっかいかけてくる者などいないから気にすることもなかったが、ユトは違う。貧弱な体格の壮年の男など、良いカモだ。まして着ている服が神官のようなだぶついた服では、とても戦えそうに見えない。

 

 ――いや。


 ジアードは思い直した。そして我が身を見下ろす。

 身に着けているのは着古してところどころ擦り切れたり鈎裂きのある服だ。ユトから「汚れても良い恰好で来い」と言われたので選んだ旅装だが、傍から見ればどうだろう。

 ヒョロい神官の後ろを堅気には見えない身なりの悪い男がつけているように見えないだろうか。

 むしろ、これからどこか物陰にでも連れ込む所にしか見えない。

 憲兵を呼ばれかねない状況だ。

 ジアードは不自然でない程度にそっと距離を取った。



 視界の隅にユトの淡い色の頭を収めつつ、数歩後ろをついていく。時折周囲の店に視線をやったりして、一般市民から「神官を尾行する不審者」と勘違いされないように気を使いつつ、だ。

 そんな事をしていたものだからほんの一瞬、ユトから目を離してしまった。その時だ。ユトが人にぶつかられてよろめいた。

 路地から飛び出した男に思い切り肩を当てられたのだ。尻もちをつくほどの勢いだったので、ぶつかったのはわざとだろう。

 慌てて走り寄り、助け起こした。

「大丈夫か? 怪我は」

「――スリです」

「あ?」

 振り返ると、ぶつかった男はだいぶ離れた場所の路地に駆け込んでいく所だった。

 ユトはパンパンと掌に着いた土を払い、ひとつ息を吐いて走り出した。

「おい、ユ――」

 慌てて後を追ったが、あっという間に引き離された。


 角をいくつか曲がり、本格的に治安の悪いエリアに入った所でそれを見つけた。

「ユト!」

 大声で名前を呼び、駆けつけようとしたところで動きを止める。

 路地の奥で見たその光景に我が目を疑った。スリはユトの足元で伸びでいる。そしてユトは、スリの頭を足で押さえつけつつ、両手で自分より体の大きな男の首を絞めて持ち上げていた。


 持ち上げていた。


 ジアード程ではないが、相当な巨躯の男を、だ。

 男の両足は地面から浮いている。

 あのひょろっとしたユトのどこにそんな力があるのか。

 いや、早く止めないと男の命が危ない。

 もう一度名前を呼んだところで、ユトは男を投げ捨てた。男の口から涎が伝う。意識は無い。

「ジアード君、憲兵を呼んできてくれませんか」

「……どういう状況だよ、これ」

「スリに追いついたところで、仲間であるらしいこの男が襲ってきたので返り討ちにしたまでです」


「後で説明しろよ」



 * * *



「余計な時間を食ってしまいました」

 ユトは、やはり何事もなかったかのような顔で歩き出す。

「……で?」

「で、とは」

「俺があの角に着くまではほんの数秒か、せいぜい十数秒だったはずだ。何をどうしたらあんな状況になる」

「だから、スリを追いかけて、追い詰めたと思ったら仲間が出てきたので――」

「一瞬で伸したってのか?」

 冗談はよせと見下ろせば、ユトは肩を竦めた。

「スリの鳩尾を一発殴って頸椎を踏みつけながら、仲間の男を絞め上げただけです。十秒もあれば十分ですよ」

「その細っこい腕でどうやったら大男を持ち上げられるんだ」

 見下ろしたユトの肩はやはり薄く、ジアードの半分の厚みもないんじゃないかと思われる。足の速さや持久力があることはみとめたが、それでも可能な事と不可能な事というのはある。

「ああ。僕は『大地の民』ですから」

「なんだそりゃ」

「古い時代から大地の女神に仕えていた一族です。言い伝えでは父祖が大地の女神の子なのだそうです。

 その真偽はともかく、僕らの中には稀に大地の女神の言葉を聞くものが現れ、神官として女神に奉じて生きてきました。

 そして、血の濃い薄いは多少ありますが『大地の民』は魔力によって自分の身体能力を高める事ができます。筋力であっても、回復力であっても」

「だからあんな馬鹿力を」

「僕程度じゃ『馬鹿』はつきませんよ。そういうのは身長くらいある剣を平気で振り回すダウィさんに言ってください」

「あいつもその『大地の民』なのか」

「彼の父上が同郷だと聞いたことがあります。彼は筋力を操作することが得意な上に回復力も高いので、無茶をして筋が断裂してもそれを回復しながら戦っているという噂です。

 彼ほどではないですが、エンシオさんも先祖に『大地の民』が居るから視力が恐ろしく良いと聞いた事が」

「……金髪だな」

「は?」

「ユトと、ダウィとエンシオの共通点。それに肌が白い。目の色は少し違うか」

 ユトは緑だが、ダウィは金色でエンシオはヘーゼルという緑がかった明るい茶色だ。同じ民族だと言われればそうかと思うが、印象はだいぶ違う。

「外見的特徴で見分けるというのはあまりお勧めしませんが、『大地の民』に金髪が多いのは事実ですね」

 ダウィよりだいぶ淡い色の髪を揺らしてユトは小さく首を傾げた。

「こんな説明で、なんとなく理解できますか?」

「インテリかと思ったら意外と肉体派だったことはわかった」



  * * *



 神殿につくと、そこでは大勢の信徒らしき人達が作業をしていた。

 ユトは信徒のリーダーに従うようにとジアードの事を丸投げして、さっさと神殿の奥に引っ込んでしまった。

 残されたジアードは指示されるままに板切れを運び、門柱を覆って釘を打った。なんで門柱を隠してしまうのかと考えていたら、そこへ花や枝を抱えた女たちがわらわらと現れて飾り立て去っていった。簡素な門柱が急に行事らしい華やかなものになった。

 昼飯の時間になってもユトは姿を現さず、一緒に作業をしていた男に誘われて炊き出しを分けてもらった。熱いスープが身に染みた。そして午後はまた板切れを運んでは屋台のようなものに釘を打った。

「すまんねぇ。手伝ってもらって」

 爺さんが通りすがりに何かを投げて寄越した。

 とっさに受け止めたそれは、

「オレンジ?」

「ウチで採れたもんだ。後で食っとくれ」

 そう言って爺さんは笑う。なんだか遠い昔に戻ったようだ。

 こんな風に行事の設営を手伝うのは初めてではない。生まれ育った村では、冬至祭りの飾り付けは子供たちの仕事だった。当時から体の大きかったジアードは年長グループに混じって力仕事を受け持っていた。

 金槌を握り直し、再び作りかけの屋台に向かい合う。

 周囲からも聞こえるトンカンという音に自分の音を重ねていく。

 

 枠組みがおおよそ出来上がった辺りで女たちが布やら花飾りやらを持ってきた。門柱の時と同じようにそれらを屋台に固定する。

 ここで何かを売るのかと思ったら、信徒に無償で蝋燭を配るための場所なんだとか。自分の故郷にはなかった習慣だ。

「これを真ん中辺りに。さっきの枝の上よ」

「おう」

 少女に渡された針葉樹の枝を紐で柱に括りつける。

「縛るのがとっても早いのね。上手」

「……ありがとよ」

 子供相手とはいえ、褒められて悪い気はしない。

「次はこれ。これは中央に立てて飾って。明日そこに看板を設置する予定だから」

「おう」

 脚立に乗ったジアードに、少女は背伸びするようにして次の枝を差し伸べる。

 信徒の子なんだろう。作業をする親に連れられて来たらしい子はそこらにいるが、十になるかならないかの年で積極的に手伝っている子はそう多くない。強面に分類されるジアードに臆さず話しかけてくる所もまた、珍しい子供だ。

 次々渡される飾りをつけていけば、割り当てられた仕事はいつの間にか終わっていた。

 他もおおよそ終わったらしく、それぞれに休憩をとっているようだ。

「オレンジ、食うか?」

 さっき渡された果実をその人懐っこい子供に渡してみる。少女は嬉しそうに受け取り、真っ白なスカートが汚れるのを気にする事なくその辺の木片に腰を下ろした。

 そして小さな指で器用に皮を剥き、ぱかっと二つに割る。

「半分こ」

 差し出されたそれは、とても甘かった。



 一口で食べつくしたジアードと違い、一房ずつゆっくり咀嚼する少女を眺めていたら、神殿の方から全身白い服を纏ったユトが現れた。

「親子のようですね」

「……そっちは終わったのか」

「儀式の準備は終わりです。もう僕の手は必要ないでしょうから、騎士団に戻ります――が、その前に神官長に挨拶をと思って探しに来ました」

「神官長――それっぽいのは見てねえな」

 思い返してもそこらのおっさんやおばさんとその家族の姿しかみていない。皆ジアードと同じような野良着だ。神官のような白い服の奴なんて……


「あ」


 ジアードは動きを止め、目を見開いた。

「依頼分は終わったので帰ります。明日の昼過ぎに来れば良いですよね」

「何かあれば連絡するわ」

 ユトの挨拶に、当たり前のように言葉を返したのはあの少女で。

 何度か瞬きして、思い出した。異常に若く見える人間というのには心当たりがある。

「――魔術師?」

「違うわよ」

 少女は呆れたような顔でこちらを見上げた。

「私は神官長のフラウ・リウィ。地人よ」

 地人といえば、一度会った鍛冶師のおっさんがそうだった。成人でも腰くらいの大きさにしかならない種族だったか。

「悪い。子供かと思ってた」

「ちょっと童顔な家系なの。これでも四十七歳」

「年上――!?」

 まじまじと見ると、確かに大人びているが……


「……年上か……」


「何よ」

 口を尖らせる姿は可愛らしい。言葉にするほど愚かではないが、童顔にも程がある。

「貴方が噂のジアード君でしょう? お話を聞きたいわ。今度改めていらっしゃい」

 少女にしか見えない神官長は嫣然と笑った。




  * * *



 すっかり日が傾いた橙色の道を、二人はのんびり歩いて戻った。

 行きにはユトがせかしつつ早足で行ってしまうので、無駄口を叩く空気でもなかったが、今度はようやく周囲を眺める余裕ができた。

「この辺りは随分緑が多いんだな。公園か何かか?」

「右は墓地です。左は――この辺りは太陽神の神殿かな。

 王都は川の南側に宗教施設や墓地などを集めてますので……ほら、その建物は太陽神の神殿ですけど、生垣を挟んで向こうは月の女神の神殿です。奥に見える屋根は冥王神の神殿ですね」

「ほー……神殿だらけか」

「だらけです。だから夏至や冬至のような儀式の重なる時分にはこの辺りはとても賑やかになります」

 普段は静かなものですよ、とユトは笑う。

「君は明日明後日と休みですよね。用事がなければ見に来てみては?」

「良いな。イーカルとは全く違うみたいだから、目新しいものばかりだ」

「そういえば、イーカル王国から来たんでしたね」

 ジアードが頷くと、ユトは道の向こうに光る何かを指さした。夕日を受けてきらきらと煌めく水面だ。

「あれが城下街と神殿街を分ける川です。あそこに橋があるでしょう?」

「行きにも渡ってきた橋だな」

「一般的な橋と構造が違う事に気が付きましたか?」

「でかい」

「それは川幅が広いからですね。大きさ以外では?」

「……ああ。橋の真ん中に物見櫓みたいなのがあるな」

 長大な橋にはいくつかの橋脚があるが、そのうちの数個が他と形が違う。

 街の境界を守る役割を持つものだったり、出入りを制限するためのものなら橋の中央よりも橋詰に造るだろうし――

「なんだ、あれ?」

「詰所です。魔術師たちの」

「どうしてあんな場所に」

「橋を動かすためです。可動橋なんですよ、あれ」

「カドーキョウ?」

「東の海の方から大きな船が来る事がありますよね。けれど橋が邪魔でここより上流に行くことはできない。『ならば橋を動かしてしまえ』と造られた物です。

 詰所を中心に、左右一つ分の橋桁が回転することで大きな船でも通行できるようになります」

「なるほどな。その橋を動かすってのを魔術師が魔術でなんとかしてんのか」

「ええ。二十年ほど前までは週に二、三度は動く所が見られたと聞いています」

「二十年前まで? 今は」

「僕がこの国に来てからは一度も動いていません。この川の上流へ向かう大きな船は、イーカル王国との貿易のための船だったので」

「断交からは動かす必要がなくなったってことか」

「残念なことです」

 色素の薄い目を細め、ユトは橋の詰め所をじっと見つめた。

 戦争じゃ仕方がないのだろうが、もったいない事だ。

「でも。夏頃にアランバルリ公爵が和平のためにイーカル王国に旅立ったでしょう? 出立の際の行列をジアード君は――ああ、まだイーカル王国に居た時期ですか。

 僕はちょうど神殿から本部に戻る時に行き会って、見ることができたのです。祝祭のパレードのような華やかさでした」

 ジアードは唇の片端を上げた。

 そのなんちゃら公爵の出立というのは見ていないが、その一行がイーカル王国に到着した時の様は知っている。間近で見た。当時まだ軍属だったジアードは、警備のために沿道に立っていたのだ。その時のイーカル王都の民の歓迎っぷりも祝祭のパレードのようだと思ったものだ。

「その時、公爵の隣に並んだ騎馬に、イーカル王国からの使者だというあちらの国の貴族が跨がっていました」

 ユトは瞼の裏にその姿を浮かべるように目を閉じて、穏やかに笑った。

「その姿を見たとき、僕はその使者の頭上に希望の光が見えたような気がしたのです」

 ジアードは薄く笑い、右肩の先で揺れるユトのふわふわとした金髪を見下ろした。

「公爵はそろそろお戻りになる頃だという噂です。きっと、君が国へ帰る頃には国交が回復する事でしょう」

 金色の髪の神官は穏やかな微笑みで橋を、そしてジアードを見比べた。


「……一度くらい見てみたいですね。あの橋が、動く所を」



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