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北風の街道

 翌朝。冷たい風に首を竦めながら街道を歩く、一行の姿があった。

 正確に言えば寒さを感じているのは人間の三人だけで、タイはいつもと変わらぬ様子でフアナの脇を跳ねるように歩いているし、小鹿のローリーはフアナの肩掛け鞄から顔だけを出して楽し気に揺られている。毛皮のせいか出身地のせいか、この二頭は寒さに強いらしい。

「ひゃっ」

 強い北風が吹いて、フアナがふるりと体を震わせた。

 そんなフアナの腕には魔衝石の入った包みがしっかりと抱え込まれている。

 クァールッキ氏が美しくラッピングした上に、魔術的な布を巻いて封印のなんとかを施した包みだ。前に本にかけていた封印の魔術とは違うものだそうだが、ジアードには「少し地味かな」くらいにしかわからなかった。


「あ。ここ、段差があるから気を付けて」

 先頭を行くダウィが敷石の崩れた箇所を見つけて注意を促した。

 ひょいと飛び越えるタイに続いてフアナも軽いステップで飛び越える。

「おい――っ」

 ジアードが思わず上げた声にフアナは不満そうに口を尖らせた。

「なあにー?」

「いや、今の」

 荷物へ視線をやりながら口ごもると、彼女の機嫌は余計に悪くなる。フアナは「魔術でしっかりと封印したから簡単に暴発する事はない」と言っているが、横で見ているだけのジアードは階段や轍を過ぎるたびにハラハラしてしまうのだ。

「……本当に大丈夫なのか?」

「あーもう。私の封印の腕を疑うのー?」

「ピー!」

 何度目になるか分からない会話にとうとうフアナが怒り出した。肩掛け鞄から顔を出した小鹿のローリーも一緒になって抗議する。

「そもそも、これは普通に落としたくらいだったら大丈夫なの!」

「ピー! ピー!」

「金槌で叩くとかしないと爆発しないから!」

「ピピー!」

 息の合った主従に加え、ダウィも笑いながら同意を示した。

「俺たちは盗賊とかに警戒するだけで良いんだよ」

 そうは言うが、昨夜のような爆発が起きたら魔術の使えないジアードにできることはない。あっという間に木端微塵になってお終いだ。

 ぶすっとしながら口を閉ざすと、タイに尻尾で叩かれた。犬にまで呆れた顔をされている。

 ジアードが心配しすぎなんだろうか。髪の毛をガシガシとかき回した。もはや一般的な感覚がわからない。あれくらいの爆発は許容せよということか。いや、まさか。

 そんな事を考えている間に、再び歩き出したフアナが街路樹の張り出した根っこを飛び越える。

 思わず「あ」と声が出たジアードの肩を、ダウィがポンと叩いた。

「――次の町が見えてきたね。少し早いけどあそこでお昼にしようか」



  * * *



 街道沿いではあるが、王都からの距離が半端で栄えているとも言い難い町だった。

 もう少し遠ければ宿場町として賑わうこともあっただろう。だが王都まで数刻でついてしまうこの距離では大半の旅人にとって通過地点しかない。休憩するための軽食屋はそれなりにあるが、それ以外の商店は多くない。昼食を提供している店はいくつあるのか。


 端から端まで歩いてみたが、結局、犬であるタイを連れて入れる店となると選択肢はほとんどなく、宿屋と食堂を兼ねたような店で鹿肉を焼いたものを注文した。値段の割に手の込んだ料理で、特に付け合わせのキノコが旨い。

「美味しいけど……言うほどかなあ? このお肉のが美味しいよ」

 フアナは首をかしげている。そりゃあ勿論肉も旨い。だが、ジアードが以前住んでいた国ではキノコはそれなりに高級で――なんていう話を始めたら、同情した目で見られた。

 フォークで突き刺した茶色いそれを、奥歯で噛みしめる。じゅわりと香り高い汁が溢れ出た。

 


 食後、フアナは「ちょっと……」と言って席を立った。便所だろう。一応護衛としてそれとなく様子は窺っているが、ジロジロ見るのも失礼かと視線が彷徨う。女将の趣味だろう壁飾りなど意味もなく眺めてみた。

 その間にダウィはさっさと会計を済ませている。卒がない。

 そして手持無沙汰になるとまた先程の話題が気になってくる。


「……あっちじゃキノコが珍しいってだけなんだけどなあ」

 フアナに聞かれたら「しつこい」と言われそうだが、なんとなく悔しかったのだ。

 採れたてのキノコというのは王都では見たことがないが、干したものならばそれなりに流通があった。ただ、地方から運ばれてくる物なので値段が高めになり、庶民は特別な日の食事でしか口にしない。それだけだ。手の届かない価格というほどじゃないのだからそんなに可哀そうな物を見る目で見なくてもと思う――そんな事をぽつりぽつりと口にした。

 どちらの国の事情も知るダウィはジアードの言葉に同意した。

「その分――例えば、サボテンの種類なんかはイーカル王国の方が多いしね」

「あれも、さっきのキノコみたいに焼くと旨い」

「スープも良いよ。タイはもっぱら生で齧るけど」

 テーブルの下に視線をやると足元でタイがフンと鼻を鳴らした。タイの鼻先には焼き野菜のサラダが入っていたボウルがすっかり空になって置かれている。肉より野菜が好きだという変わった犬は、サボテンも好物であるらしい。

「『生』といえば、タイの生まれた辺りでは生で食べられるキノコなんていうのもあるって聞いたことがあるよ」

「毒は」

「無い種類なんだって」

「生のキノコって、苦いっつーか、渋いっつーか……舌がおかしくなるような味がするもんじゃねえの?」

「美味しいらしいよ――って、ジアード、生のキノコを食べたことがあるの?」

「ガキの頃に好奇心で齧ってみた。ちゃんと焼けば食えるキノコを選んだんだが、駄目だったな。お前は生で食った事ねえのか」

「生は駄目だってしつこく言われてたから、そういう経験無いんだよね。今度試してみるよ」

「あんなん試すようなもんじゃ……ああ。フアナが帰ってきたな」

 手をふきふき戻ってきた彼女は席に着くとすぐに鞄を探り出した。財布を探しているようなので、すでにダウィが会計を済ませた事を告げる。

 すると彼女は「護衛依頼を出したのはこちらなのだから全部自分が出すべき」となどと言い出した。

 そうは言っても、フアナはだいぶ年下だ。奢らせるというのは落ち着かない。

 ダウィも困ったような顔で頬をかいた。

「そんなに高くなかったから構わないよ」

「でもでも、経費はお婆ちゃんから別のお財布で預かってるの。だから――ええと、銀貨五枚だよね」

 フアナは巾着の中身を手のひらに広げて数えだした。

「あ……銅貨ばっかり。銀貨は三枚しかないや。残りは銅貨でもいい?」

「じゃあ、その三枚をもらうよ。ジアードとタイの分は本来かからないお金だから」

 そう言ってダウィはフアナの手のひらから銀色の硬貨だけを抜き取った。見習いやペットが同行する方がイレギュラーなのだという説得でフアナも納得したらしい。


「……それ、ソユーのお財布って言ってたっけ?」

「うん。お婆ちゃんの。年寄り臭いでしょ」

 落ち着いた色の布を接ぎ合わせた巾着袋は、確かに十代のフアナが持つには少し地味だ。

「シックで良いと思うよ」

 そう応じながら、ダウィは銀貨をハンカチに包んで鞄の中にしまった。

 その間にタイが伸びをするように立ち上がり出口の方へ歩き出してしまったので、「ちょっと待て」と声を掛けたら「フン」と鼻を鳴らされる。お前たちが遅いのだとでも言いたいのか。フアナはまだ上着を羽織っている最中だったが、飼い主を連れずに犬が外に出てしまってはまずいだろうと慌てて後を追いかけた。



 先頭を行くフアナの髪が、右に左に揺れる。

 ぐっと髪を束ねたせいで露わになった首筋が寒そうだ。フアナほどの長さがあれば髪を下ろした方が温かいのでは口にすると、それは可愛くないから嫌だと言う。髪を結ぶと皮膚が引き上げられて目元がきりっとするのが良いとかなんとか。たれ目も悪くないと思うのだが、女心は難しい。

 そのすぐ後ろをタイがいつもより軽快な足取りでついていく。マフラーに半ば顔を埋めて歩く飼い主とは対照的だ。

 そういえば、北の国へ行った時にもダウィは寒い寒いと言いながら歩いていたっけか。

「なあ、この辺りの冬は厳しいのか?」

「今が一番寒いくらいかな。雪もあまり降らないし、すぐに春が来る国だよ」

「それくらいなら手持ちの服でなんとかなるな」

「砂漠の夜に耐えられていたジアードなら、その外套で十分じゃないかな」

 新しく用意する必要がないのは助かった。体格が良すぎてこの国で服を手に入れようとしたら特注品を誂えなければならないからだ。時間もかかるだろうし、何より心もとない貯金が減らずに済む。騎士見習いの給料は、寮によって寝床と食事が保証されているからなんとか生きていけるという程度しかない。


 冷たい風が一行の間を吹き抜け、街路樹の裸の枝を揺らした。

 この辺りでは冬に葉を残す木は珍しいようで、目に映る色は空の青くらいのものだ。緑など各戸の扉飾りくらいにしか……

「なあ。戸口に木の枝が下がってるよな。あれはなんだ?」

「枝? ――ああ」

 街道沿いの家々や商店の入口に草を束ねた物を吊るしてある。保存食ではなさそうだし、時折綺麗な色の布で装飾されているものもあるので、何かしら理由のあるものなのだろう。

「スワッグって言うんだ。使う植物によって色々意味があるんだけどね。来年の健康や豊作を祈って生命力の象徴である常緑樹を飾るのが定番かな」

「新年の飾りか」

 そういえば、ジアードの故郷でも縁起の良い木を戸口に飾る習慣があった。あれは年末年始に限った事ではなかったし、形もちょっと違うが似たようなものだろう。


「しかし、もうあと何日かで今年も終わりだなんてなあ」

「そうだね。今年もあっという間だったな」

「この『お使い』も」

 フアナに合わせたゆっくりした速度で歩を進めていたはずだ。なのに、穏やかな時間はいつもより早く時が過ぎる。

 緩い坂道の向こうにウォーゼル王都がかすかに見えてきた。短い旅ももうすぐ終わりだ。

 フアナがくるりとターンをしてダウィを見上げる。

「年末年始は奥さんの所に帰るの?」

「うん。ひと月くらい『水の街』に戻って家族と過ごす予定だよ。やんちゃ盛りがいるし、久しぶりに友人と会う約束があるから落ち着く間も無いかな。フアナは?」

「お父さんお母さんが来るから、家でのんびりするよ」

「あれ? ご両親は一緒に住んでないんだっけ?」

「お仕事忙しいからね。私はおばあちゃんの家に住んでいて、お父さんとお母さんは会社の三階に住んでるの」

「久しぶりの家族水入らず?」

「あ、同じ王都内だからしょっちゅう行き来してるんだ。おばあちゃんの作ったおかずを届けに行ったりするよ。普段はゆっくり話せないから楽しみなのは確かかな」

 フアナはもう一度くるっと回って、今度はジアードを見上げた。

「ジアードは新年どうするの?」

「仕事が無ければ宿舎で寝てるんじゃねえかな」

「寂しくない?」

「……つってもなあ。新年なんて最後に祝ったのはいつだったか」

「イーカル王国では新年のお祝いってしないの?」

「いや、職業柄ってやつだ」

 軍人に特別休暇はなかったし、部下を持つようになってからは尚更だった。

「町の奴らは新年の鐘に合わせて大きな通りに繰り出して騒いでいたな。歌を歌ったり酒を飲んだり……」

「神殿には行かないの?」

「神殿?」

 なんでそんなところに、と考えて思い出した。

 もうすっかり記憶の奥底にしまい込んでしまっていた、遠い昔の記憶だ。

「ああ――故郷じゃ、年が明けた最初の日に大人たちが神殿に供物を届けに行ってたな。小舟の形をした輿に魚や酒や穀物なんかを積んで担いで行くんだ。

 俺はまだ子供だったから留守番してたが、それでもいつもより少し良い飯食って……そうだ、新年の三日間は湖に入っちゃいけねえんだったな」

「え、なんで?」

「確か『水の神さまが寝てるから』とかだったかな。親も兄貴たちもうるせえし、その間だけは近づかないようにしてた」

「へー。ウォーゼルにも湖はあるけど、そういう話は聞いたことないな。むしろ、新年の鐘に合わせて運河に飛び込む人とかいるよ」

「この国じゃ水の神は寝ねえのか。そりゃ面白いもんだ」

 新年の習慣や常識も、国が違えば違って来るのか。確かに、前の旅では生死観すら違う彷徨い人たちと出会ったが――この大陸は、世界は、広い。

 

「この一年。ジアードにとっては随分めまぐるしい一年だったんじゃない?」

 心を読んだかのようなタイミングで、ダウィが金色の目をこちらに向ける。

「まあ……世界がひっくり返るくれえにな」


 もう色んな事がありすぎた。


 だけどそれは、悪い事ばかりでもなかった。


「来年も、楽しみだね」

 屈託のない子供のような笑顔でダウィが言う。

 ジアードは、それに片方の口角だけを上げて応えてみせた。




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