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星の暗闇

 クァールッキ氏はフォークで優雅にグリルを口に運んだ。

 鶏肉のグリルだ。ジアードの知っているものよりもずっと柔らかく臭みもないが、しかし鶏の味がした。

 神妙な顔で咀嚼していると、クァールッキ氏は手を止めてこちらを見た。

「お口に合いませんでしたか?」

「ああ、いや……悪い。田舎から出てきたばっかりで、冥族と初めて会ったんだ。俺たちと同じもん食うんだな」

 正直に言っても気を害した風もなく、氏は紫の眼を細くして笑顔を作って見せた。

「食べられますよ。たいていのものは。

 味覚はもしかしたら違うのかもしれませんが……これは美味しいと感じます」

「そういや、魔術師の森で聞いたな。魔術を使う奴は味覚でも魔力を感じる事があるんだったか」

「ええ。冥族も魔力を操りますから。

 そして――当家自慢の料理人は、数年前まで魔術師の屋敷に勤めていたので、魔術師向けの料理も一般の料理も作れるのです」

 そういって彼は、紫の眼を背後へ向けた。ちょうど料理の皿を下げに来た女がいる。

「彼女が、その自慢の料理人です」

 へえ、と思わずその顔をまじまじと見た。

 ジアードとそう変わらない年の人間の女だ。無口な性質なのか使用人として弁えているからなのかはわからないが、表情筋を動かす事なく、ぺこりと頭を下げた。


「冥族の家で働いても良いなんていう人間は珍しくて、調理も給仕も全て彼女が一人でやってくれてます。行き届かない所があるかもしれませんがご容赦を」

 言われて見れば、屋敷の規模の割に使用人らしき者の姿を見ない。来訪時に出迎えたのも主であるクァールッキ氏本人だった。

 人間ばかりの世界で異種族が生きていくというのは、難しいところもあるのかもしれない。

 先ほど客室での会話を思い返し、ジアードは自分の発言を少し恥ずかしく感じた。

 冥族は魂を食べるのだという話を聞いて薄ら寒い思いをしたのは、偏見の類ではなかったのかと。


 ジアードがそんな事を考えている間に、料理人の女は空の食器をワゴンに移し、部屋を出て行く。

 そんな彼女の後ろ姿を、クァールッキ氏は愛玩動物を見守るような眼で見送った。

「彼女は――人族のする『調理』というものに興味があって雇いました」

「冥族って料理しないんですか?」

 フアナが手を止めて聞いた。

「ええ。私の知る限り、食べ物を加工して摂取するのは人族くらいのもの――とても興味深い」

 力仕事などしたことがないであろう細く真っ白な指が新しい皿の上に載った料理を指す。

「この焼いた玉ねぎはとても甘いですね。しかし、先程のサラダに入っていた玉ねぎは辛い。

 同じ玉ねぎだというのに何故こんなに味が違うのか。人族は何故このように味を変えて食べようと思ったのか……興味が尽きません」

 


  * * *



「少し外の空気を吸いに行きませんか? お見せしたい物があるのです」

 食後の歓談中に、クァールッキ氏がそんな事を言い出した。

 あの無口な料理人からブランケットを手渡され、主の待つ庭へと導かれる。屋敷に見合った大きな庭だ。人手不足の影響か、手入れは完璧とは言い難いけれど木々や草花には趣がある。

「百年くらい前に流行ったコンセンテボリー式庭園だね」

 白い息を吐きながら、ダウィがそんな感想を漏らした。

「コンセ……なんだ?」

「コンセンテボリー式庭園。南方趣味のお金持ちの間で流行ったんだ。厳密にいうと南方『風』であって南方文化とは少し違うんだけど」

 ダウィが言うには小道の配置やタイルの模様にその特徴があるらしい。植栽も合わせて、昔ここに住んでいたという貴族の手掛けたなのかもしれない。そんな話をしながらしばらく進んで、水盤のある広場に出た。

 植え込みも途切れて急に景色が開けたように感じた。


「……うわぁ……」


 フアナが息を飲んだ。

 振り仰ぐ頭の動きにつられて視線を上げれば、雲一つない空に満天の星。

 こんなにたくさんの星を見たのは久しぶりだ。

 横に並んだダウィがその長い指で明るい星を繋いでいく。

「三つ子星。銀狼の眼。大盃に小盃。麦穂星――」

「それって星座の名前だよね? 私は三つ子星くらいしかわからないなー。ジアードは?」

「だいたいの時間と方向が分かるくらいだな。今は年末で、麦穂星が地平線からあまり上がっていないから日が沈んで一刻くらい。あの赤っぽい星があるのが北。反対が南で、あの山の方が東。月のある方が西……よりちょっと南か」

「すごーい!」

「砂漠じゃ星くらいしか見るもんがねえし、いざって時に役に立つからな」

 生き残るのに必要な知識だからと軍隊時代に叩きこまれたのだ。幸いな事に役立てる機会は殆どなかったが。

「そっか。砂漠は真っ暗だもんね。私、前にジアードたちと東の砂漠に行った時にもビックリしたんだ。ほら、王都ってこんなに星が見えないでしょ」

 言われてみれば、フアナの育ったウォーゼル王都は魔術の街灯で照らされている。夜道でもランタンが必要ないほどだ。街灯りが明るすぎて星々の微かな明かりなど見えないのか。


 それは――もったいない。


 満天の星と、それらが映り込むオアシスも、フアナ達は知らない。

 寒い寒いと笑いながら少し詰める距離の甘酸っぱさも。


 

「ねえ、ジアード」

 空を仰いでいたフアナが振り返り、柔らかな髪がふわりと揺れた。

「その、時間とかの調べ方? 私でも覚えられるかな。今度教えて?」

「……ああ」

 昔同じような事を、言われた気がする。

 ジアードの複雑な心中など知らぬかのように、フアナはまた広い空へ顔を向けた。

「本当にすごい星――クァールッキさんはこれを見せたかったんですか?」

「いえいえ……勿論この空も美しいですが、そちらではなく」

 紫の眼が悪戯に笑った。

 暗闇の中で見ると少し紅くも見える不思議な色の眼だ。

 人間のそれと寸分違わぬ形をしているというのに、わずかに『違う』色が違和感を大きくする。


「空に浮かぶ星々は『神』の領域。永き時に続く煌めきを『人』が語るは役者不足――そうは思いませんか」

 意味ありげな紫の瞳がフアナに、ジアードに、ダウィに、そしてタイに向けられた。

 珍しく心からの笑みを浮かべたダウィが、愉しいという感情を隠さずに応える。

「では貴方は『人』の領域を語って下さると?」

「言葉よりも」

 クァールッキ氏は手に持った小箱を掲げた。

 傍らに置かれたランタンの、ぼんやりした明かりの中でも上等だと分かる細工の細かな箱だ。

 芝居がかった仕草で蓋を開け、中から石を取り出した。ひびの入った表面から白い光が漏れる、宝石よりも綺麗な、あの……


「魔衝石――!」


 五本の指の間に四つ。昼間見たものより小ぶりな石があった。

「人間はこれを魔力の詰まった便利な石だと言うけれど、私にはこれがそんな立派なものだとは思えない」

 彼はその細腕を大きく振って、空高く石を投げた。

 白い光の軌跡は人では届かない高さまでぐんぐん伸びる。魔術を使っているのかと思い至った時には、それはもう視野の外だった。瞬きの後に、彼の指先が輝いている事に気が付いた。

「『人』の領域の美とは――『人』の成せる美とは、こういう物かと」

 指先から光が飛び出した。

 次の瞬間には赤い光が、緑の光が、青の光が、金の光が、大きく弾けた。四つの光の円が浮かんだと思ったら、振動と爆音が身体を揺るがす。

「おわっ」

 思わず声を上げ、腰の剣に手を伸ばした。

 しかしその光と音もほんの一瞬で、すぐに元の――いや、元よりも深い闇と静寂が訪れる。

 瞬きを繰り返しても瞼の裏に焼きついた火花が映るばかりで周囲がよく見えない。音に頼ろうとしても大きな音に驚いたのか虫たちすら黙ってしまって、耳がキンとなるほど静かだ。



 狼狽するジアードとぽかんと口を開けたまま固まってしまったフアナ。そんな二人を尻目に、フンと鼻を鳴らすタイと、一切動じる事無く拍手を送るダウィはいったいどんな肝の太さをしているのか。

「成程。属性魔法を込めた魔衝石――属性魔法を操れる人間と、冥族である貴方とが力を合わせないと創りだせない芸術。これは確かに『人』の領域」

 ダウィの言葉に、フアナもうんうんと興奮しきった様子で頷いている。

 そんな二人に満足げな笑みを浮かべ、クァールッキ氏は紫の双眸をこちらに向けた。

「この石を、宝石よりも綺麗だと言った貴方はどう思われた?」

 掌にはころんと、先ほどよりも大きな石が一つ乗っていた。

「俺は、あー……」

 色彩が少し珍しい以外は常人と変わらないように見えるクァールッキ氏の紫の瞳。しかしやはりジアード達とはどこか違う。表面上の顔と違う顔が、その目の向こうにあるように感じられる。


「正直言えば、怖かった」


 意外だという顔をするのはフアナだけだった。

 それで、と続きを促すクァールッキ氏は不快感を示すでもなく、やはり感情がわからない。

「光にも音にも驚いた。けど、それ以上に、その一瞬が過ぎ去った後の世界の暗さが怖かった」

「そう。その喪失感。それも含めて、美しい」


 クァールッキ氏はもう一度腕を振って先程の石を空に投げた。


「この魔衝石の輝きは――ほんの一瞬だからこそ、私たちの記憶に残るのです」


 何色もの光が空を覆う。

 光の帯が混じり合い、白くなり、そして輝く。

 夜というのに、周囲の色までわかる。


「人間、みたいでしょう?」





 世界が、暗闇に、落ちた。






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