紫の眼
「今日はなんか雰囲気違くねえ?」
三日ぶりに出勤して来てみれば、事務室のどこか浮ついた空気に気が付いた。
隣で脱いだ上着をコート掛けに吊るそうとしていたダウィが頷く。
「今週から新年の準備が始まったからかな」
「特別な仕事があるのか?」
「人の出入りが激しくなったりお祝いムードでハメを外す人が増えるから、支部の方は忙しくなるね。さっき年末年始の配置が発表されて『アタリだ』『ハズレだ』って盛り上がってたよ。支部での留守番が『アタリ』で、憲兵への協力の為の出向とか年越し当日の夜勤が『ハズレ』。
っていっても、俺たち本部所属の方はだいたい普段通り。騎士団長と幹部連中が国王に挨拶しに行くくらいかな。ジアードはいつも通り過ごしていればだいじょ――ああ。そうそう。2日目だか3日目だかに新年会があるからそれには参加してね。団長が新年の抱負とかを話して、その後で簡単な食事会があるって話」
「へー」
「言い忘れてたけど、俺は年末に家に戻るからいなくなるよ。その間のジアードの指導はユトに任せて行くから」
新年は家族と祝うというのは理解できる。だが――
「ユト?」
「あれ? 会った事なかった? 彼も今は新年の準備でいないみたいだから戻って来たら紹介するよ」
ダウィの視線を追ってみれば、壁に掲示された勤務表があった。数日前にエンシオから読み方を教えてもらったあれだ。
ユトという名はダウィのすぐ下にある。ユト・ラウリー。備考欄には、『大地の女神の神殿に出向』と角ばった几帳面な字で記されていた。
真面目そうだなと漏らせば、「わかる?」と苦笑めいた笑みが返ってきた。
さて、改めて試験対策でもと隅の長机に向かいかけた時、背後から呼び止める声がかかった。
「ダウィ、ちょっといいか――と、ジアードもいたのか。ちょうど良い」
右手に持った紙をひらひらと振り、エンシオが駆け寄ってくる。
「魔衝石の話って聞いてるか?」
「知らない。何かあった?」
「いや、さっき急ぎでって護衛依頼が入ったんだ。行ってくれないか」
「年末までに帰って来れる?」
「帰れる帰れる。明朝出発の往復で二日間。それにな――」
エンシオは一度言葉を切り、ダウィの後ろで手持無沙汰に掲示物を眺めていたジアードを見上げた。
「先方はジアードをご指名だ」
「は? 俺?」
* * *
明朝、時間通りに騎士団本部に現れた依頼人は、ジアードの顔を見るなり胸を張ってこう言った。
「今回のお仕事はっ! 『魔衝石』の運搬、ですっ」
「――なんだ。フアナか」
ため息交じりに漏らした言葉に小柄な依頼人は頬を膨らませて睨め上げた。
「なんだって何よ」
「指名なんつーから何事かと思ったんだ」
「ああ。依頼を出したのはお婆ちゃんよ。私はお遣い」
あっさりと気を取り直し、ぱたぱたと手を振りながら話し出す。
「んーとね。お婆ちゃんのメモによると、マルキ村に居るクァールッキさん?から魔衝石を買って帰って来る事、だって。
マルキ村はここから南に半日くらいかな」
「お遣いだな」
子供のお遣いよりは距離があるが、まさにお遣い。
「その魔衝石ってのは何だ?」
「魔術で使う素材よ。石をね、割るとドッカーンって爆発するの」
「は?」
「石の中に魔力が詰まってるんだって」
「なんに使うんだそんな危ねえもん。戦争か?」
「人を傷つけるために使うのは禁止されてるから戦争には使えないけど、害獣駆除には使って良いみたい。それ以外だと特殊な金属の精製にも使われるとか?」
「ふーん……あの婆さん、害獣駆除するのか?」
「違う違う。なんかね、それを研究に使いたい人がいるらしいよ。圧力をかけることで魔力の属性を変質?させるんだって」
フアナにもわかっていないようだが、仕事内容はその石の売買の一端を担えという話らしい。
扱いを誤れば事故につながる恐れがあるため、馬車や馬での移送や素人の取り扱いはできない。だからこそ『運び屋』と騎士団の出番となる訳だ。
「お待たせー。久しぶりだね、フアナ」
ふらっと現れたダウィにフアナが嬉しそうに手を振る。
まだ半人前のジアードは一人で依頼を受けられない。だから今回もダウィが指導員としてついてくる。勿論タイも一緒だ。
フアナはダウィの後ろから現れた白い犬に飛びついた。
「またよろしくねー!」
首元に抱き着いた彼女からは見えていないのだろうが、ジアードと目のあったタイはとても面倒くさそうな顔をしていた。
そんな犬の表情には気づかないまま、飼い主と依頼主は打ち合わせに移ってしまう。
「ええと、マルキ村だっけ? まだ行ったことないな」
「行きは街道沿いの駅馬車に乗れば近くまで行けるから午後には着くの。ただ、帰りは魔衝石があって危ないから徒歩になっちゃうんだけど……」
「俺もジアードも歩き馴れてるから大丈夫だよ。マルキ村で魔衝石を受け取った後は、街道沿いで宿を取って――次の日の朝一に出発すればその日のうちに帰って来れるくらいかな?」
ダウィが道案内をするように先頭を歩き、魔衝石とかいう魔術材料について語り合うフアナとタイが続く。ジアードはそんな彼らの後をのんびりとついて行く。
自然とこの並びになっていた事に口元が緩んだ。
「なんか楽しそうだね」
目ざといダウィに見つかってしまい思わず目を逸らす。まったくタイミングが悪い。
「駅馬車ってのは遠いのか」
「すぐそこだよ」
指さす先には大きな荷物を抱えた人々が並んでいた。
時期的にも新年の支度やら何やらで利用者の増える時期なのだそうだ。前に並ぶ男は、田舎から毛皮を売りに来て、保存食や新年の飾りを買って村に戻るところだと話していた。
「そういや日も短くなってきたな」
朝は薄暗い中動き出すというのに、夕飯の時間前には日が沈んでしまう。いかにも年の瀬だ。
「日が沈むまでにマルキ村に着ける?」
「それは大丈夫じゃないかな。昼過ぎには最寄の駅にいけるよ」
ダウィの言う通り、目的地の村へはまだ明るいうちに辿り着いた。
農業中心の田舎だ。見渡す限りの麦畑。黒っぽい土の間からはまだ小さな緑の芽がちょこちょこと覗いている。
そんな畑の所々に小さな家が建ち、その周りにだけ麦以外の野菜や花々が植えられている。生垣に咲く赤や白の花のおかげもあって冬だというのに彩豊かだ。
「クァールッキさんのおうちはどっちかなー?」
「緑の屋根の大きな家って言ってたよね。あれじゃない?」
ダウィのさすのは村はずれの丘の上。確かに緑の屋根の『大きな家』だ。条件に合うというのにフアナは微かに眉を寄せた。
「え、あれー?」
あれを『家』と言って良いものか。田舎の村の中で異彩を放つ大きな『屋敷』があった。しかし他に緑の屋根など見当たらないからやはりアレが目的地なのだろう。
戸惑いながらおそるおそるフアナが口を開く。
「クァールッキさんって……貴族様?」
窓の数を数えつつ、ジアードも同じことを考えていた。あれはただの金持ちや村長の家なんかじゃない。しかし、ダウィは首を横に振る。
「この辺りにそういう人がいるって話は聞かないな。元は隠居貴族の家か何かだったのかもしれないけど、名前からすると――」
古いが細工の美しい扉を薄く開け、紫の眼が覗いた。
紫だ。黒でも茶色でも緑でも青でもなく、紫。
初めて見るその印象的な色の眼を、ジアードは思わずじっと見つめてしまった。
訝しげにこちらを見るその紫の眼に、緊張した様子のフアナが上擦った声で挨拶する。
「こ、こんにちは。運び屋のフアナ・フレサンです。こちらはクァールッキさんのお宅ですか?」
「少々お待ちください」
一度扉を閉じ、何かがちゃがちゃと音がしたあと、今度は人ひとり分ほどの隙間が開いた。
紫の眼の持ち主は二十代とおぼしき男性。眼の色だけではなく、それ以外の部位や全体的な印象もジアードにとってはあまり見ないものだった。
まず、線が細く色が白い。不健康な程に青白い。元々の骨格が細いのに痩せすぎな程に痩せているために服装と声以外に性別というものを感じさせない。その上に淡い色の髪を長く伸ばし、緩く編んでいるあたりが女性的な印象を強くさせている。
「いらっしゃいませ、レディ。――それに……」
「俺たちは彼女の護衛です。辺境騎士団ダウィ・C・クライッド」
完璧な営業スマイルでダウィが騎士団の指輪を見せる。
ジアードもそれに倣った。営業スマイルができていたかどうかは怪しいが。
「そう……貴方は?」
男は腰を屈めてタイに尋ねた。犬に。
飼い主が口を開く前に男は小さく頷き、扉を大きく開いた。
「どうぞ、中へ」
今回のフアナの商談相手は、犬とも会話のできる一風変わった見た目の男だった――




