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魚の煮込み

「見えてきたわ。そこの木の間。わかる?」

 フアナが指をのばす先にきらきらと反射する光が見える。

 そのまま馬をすすめ、突然開けた視界に息を飲んだ。

 ガラスのように凪いだ水面に、岸辺から覆いかぶさるように映りこむ木々。そこから広がる金茶色の森。

 森の先は小高い山々に繋がって、更にその先には抜けるような青空が。


「グロース湖よりは小さいけど、山の稜線の映りこみはこっちの方が綺麗でしょ」

 自慢げに振り返る彼女の後ろで、髪の毛がふわりと跳ねた。

「――ひょっとしてあの尾根を越えたらイーカル王国か?」

「ええ。あれが国境」

「近いもんだな」

「そういえばそうね。

 なのにジアードに会うまでイーカル人に会った事が無かったっていうのも不思議」

「やっぱりこっちにゃ居ねえんだな」

 街ですれ違う中には似たような顔立ちの者もいなくはなかったが、皆この国の服を着て流暢な共通語を話していて、やはりイーカル人とは違った。

「なんで鎖国なんてしてたの?」

「最初はウォーゼルから断絶してきたって聞いたな。前の国王が他国を侵略しすぎたせいだ」

「今の王様は国交を回復しようとしてるんでしょ?」

「らしいな。

 でも一度にあれこれやっちまうと、収拾がつかなくなるとか犯罪が増加するとか経済が崩壊するとかそんな問題があるっつってたかな。それで段階的にどうこうだとか――ああ、難しい事はよくわかんねえ」

 軍人時代に王宮勤務の男から愚痴染みた話の中でそんな事を聞いた気がするが、酒の肴程度の話だ。そうかそうかと適当に頷きながら盃を傾けた記憶しかない。

「確か、ウォーゼルやアスリアみたいな遠い大国との行き来は様子を見ながら少しづつ、だっけかな。で、市場に影響が少なくて王妃の母国でもあるヨシュア王国から先に正常化を目指すんだとかって聞いたぜ」

 そうだ。確かそんな流れだ。

 背ばかりひょろひょろ伸びた優男が、不似合に節くれだった指でカウンターの天板に地図を書きながら話していた。東西に長く伸びた国だから主要都市からの距離や輸出入の貿易品を考えてもそれが一番良い選択なのだとか。

「ヨシュアって、ジアードが生まれたとこだよね」

「ああ。うちの村も戦争でイーカルにとられる前はヨシュア王国だった。知り合いの話じゃ、あの辺りも来年あたり正式にヨシュアに返還するらしいな」

「イーカルがとった土地をヨシュアに戻すって事?」

「そういうこったな」

「そしたらジアードもヨシュア人になるの?」

 少女の素朴な疑問に、ジアードはゆっくりと瞬いた。


「……それは考えてなかった」


 すっかり他人事だった。王都に住んだ時期が長すぎたからか、それともあの時(・・・)は余裕がなさ過ぎたからか。もしかして、あの優男はジアードが母国に帰れる可能性を知らせるためにあんな話をしに来たのだろうか。

「ああ――戸籍なんかはそのままのはずだからヨシュア人に戻るのかも知れねえ」

「それでも、来年イーカルに帰る?」

「帰る」

「悩まないんだね」

「そう決めたからな」

 笑って、フアナの頭をぽんぽんと叩く。

 国籍がヨシュア人に戻ってしまうと入国の書類を書いたりする手間が増えるのかもしれないが、その程度だ。面倒なら国籍ごと変えてしまえば良い。自惚れでないなら、それを可能にする程度の伝手と功績は軍人時代に手にしている。

 ジアードは馬から飛び降り、近くの木に手綱を括り付けた。

「お前の婆さんの言うとおり、褒められる所を探すのも大変なくらいロクでもない国だし、親父達の事もあって恨みもあったけどよ。俺の欲しいものはあそこにしかねえんだ」

「欲しい物?」

「改まって言われると、わかんねえな」

「何それ」

 隣で同じように手綱を括りながらフアナが呆れたように言う。けれど話している本人にもよくわかっていない。

「それを手に入れたところで、具体的にどうしたいとかどうなりたいっつーんじゃないんだよな」

「それって本当に欲しいの?」

「たぶん」

 馬の鼻面を撫でながら考える。

「ガキの頃に軍人にひっとらえられてたって話したろ? それからは目の前の事を片付けるのに必死で物欲も出世欲も持ってる暇なかったんだ。だから何かが欲しいなんてのは二十年ぶりで、こういうのをなんつっていいのかよくわかんねえ」

 がりがりと後ろ頭をかきながら、波打ち際へと向かう。

 下草がすっかり土に変わった辺りでフアナが追い付いてきた。

「そのジアードの欲しい物ってどんな物?」

「――権力?」

「前にどうしてウォーゼルに来たのって聞いた時もそうだったけど、時々とんでもない方向に話ずらそうとするよね。全然誤魔化せてないよそれ」

 口を尖らせ、フアナが言う。

 子供のようにぷっくりと頬を膨らませる姿が面白くて、思わず噴き出した。

「これは嘘じゃねえんだけどな」

「えー。ジアードって権力とか政治とかそういうのにまったく興味なさそうだよ」

「俺もそう思う」



 穏やかな湖面を眺めていたら、一艘の船が水面に移った景色をわりながらゆっくりと姿を現した。

 漕ぎ手はしなやかな手足の少年で、船尾に立った父親らしき男が大きく体を捻って網を打つ。

「ヨシュアに戻るつもりはねえけど、故郷には行ってみたいって今思った」

「どうして突然?」

「……ここよりは大きくてグロース湖よりは小さい、湖の側で育ったんだ。

 代々漁師でな。子供の頃は親父の船に乗せられて、ああいう風に網を上げてたのを思い出した」

 ジアードの視線の先では、先程の親子が船に上がった網から魚を外す所だった。

「お母さんとか兄弟は元気なの?」

「知らねえ」

 フアナの顔がくしゃりと歪んだ。優しい子だ。

「連絡する暇も無かったし、その手段も無かったんだ。ちょうど俺が軍に入った頃に北のサザニア帝国からの侵攻が激化して、遠征ですら南には行ってねえ」

 ちらほらと入る情報では重税や兵役を課せられた程度で他の侵略地域と比べればそう悪い扱いを受けてはいないらしい。税は生活を圧迫している事だろうが、幸いあの辺りは豊かな水源があって飢え死ぬ事はない。家族はきっと無事だろう。

「じゃあ本当に一度くらい帰った方がいいんじゃない?」

「故郷の連中にとってはイーカル国軍は敵だからな。無理矢理入れられたとはいえ、そこに居た俺はのこのこ顔出せねえ」

「そっか……」

 俯いてしまうフアナの頭にそっと手をのせた。

「んな顔すんな。イーカルじゃ別に珍しくもねえ事だ」

 事実を言っただけなのに、フアナは下を向いたまま首を横に振った。

 

「……あの魚」

「え?」

「今おっさん達が獲ってる魚。あれは家で食う量じゃねえよな。どこかで売ってるのか?」

 ぱっと顔を上げたフアナが慌てて笑顔を作る。

「ジアードと会った市場の南の方に生鮮市場があって、そこで売ってるよ」

「ここじゃ魚が食えるんだな」

 繕った笑顔が辛くてジアードは少し明るい声を出した。

「イーカルは砂漠の国だから王都には干物や燻製しかなかったんだ。それもすっげー高級品」

「食べたい?」

「その生鮮市場の近くの飯屋にならありそうだな」

「うちで食べてけばいいじゃない」

「お前の?」

「お婆ちゃん魚料理得意よ」

 ふふんと得意げに胸を張る姿はいつものフアナだ。良かった、とジアードは小さく胸をなでおろす。

「俺、婆さんに嫌われてただろ」

「ううん。うちのお婆ちゃん、誰に対してもああなの。私についてけって言ったくらいだからあれでも好意的な方なのよ」

 そう言ってフアナは楽しげに向きを変え、馬達の待っている方へ足を向けた。

 フアナの後ろでポニーテールがまた軽やかに跳ねた。



 * * *



 夜もだいぶ更けてから寄宿舎に戻ってきたジアードを見て、すでに寝間着姿のダウィが訊いた。

「随分遅かったけど、呑んできた訳じゃなさそうだね?」

 部屋着に着替えながら、問われるままに今日の出来事をぽつぽつと話した。

「へー。それで、ソユーのご飯食べてきたんだ?」

「野菜と魚を一緒に煮込んだのが出てきた」

「美味しかった?」

「ああ。入ってる野菜はだいぶ違ったがお袋が作るのと似てた」

 あっさり味の煮込みと、蒸した根菜。それにこの辺りでは少し珍しい平焼きパン。

「……そういや、あの婆さん、イーカル料理は塩味だけだって文句言ってた割に塩味の料理ばっか出してきたな」

「ソユーらしいなあ」

 ダウィは愉しげに笑った。

「良い休日だったみたいだね」

「――まあな」

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