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魔族の尻尾

 朝日の下で食べる朝食は、色々と異質だった。


 船に乗り込んだのは昨日の昼頃だから、もう半日以上船に揺られている。

 景色は文字通り流れるように変わり、川を下っていたはずがいつの間にか巨大な湖に入っていた。

 遠くに見える湖岸と、朝日によって白金色に染まっていく水面を眺めながら、ジアードはパンと腸詰にスープという彼には少々物足りない朝食を口にしていた。

 彼らは寝る時だけは船室に戻ったものの、狭い閉鎖空間にいると船酔いをすると「タイが」言うので、目覚めてすぐに甲板に出て、ついでにそこで朝食をとる事になったのだ。眩い日差しと過ぎ行く風を頬に受けながらの食事は今までの人生では考えられないほど優雅な時間だ。甲板に出ようというその選択には感謝している。


 だが――それを言い出したタイというのは、犬だ。


 犬が「言う」ってなんだ。

 そこがどうしても引っかかってスプーンを弄びながら半眼でソレを眺めてしまう。

 人間様と同じ食事を専用の皿で美味そうに頬張る犬。犬だっていうのに「美味そう」と表情を判断してしまうのもどうかしている。

 だが更に理解できない事に、この犬は飛びぬけて魔力の強い犬で、同じように魔力の強い者……つまり、魔術師とは会話までできるのだ。

 今だって。


「いやいやいや、そういう時は魔力を細くだして――え、そんなの無理だよ。どうやってやるの?

 うーん……私でもできるかなあ……」


 耳に入るのはフアナの受け答えだけだ。犬は「ワン」とも吠えず、ただ顔を見ているように見える。

 一人と一匹がどうやってしゃべっているのかはわからない。

 ジアードからしたら盛大な独り言を聞かされている気分だ。

 想像するに、今は魔術論議を交わしているようではあるが。


 ――犬と。


「……慣れねえ」

 溜息と共に漏れ出た呟きを拾ったのは犬の飼い主だった。

「魔術の話は難しいからねー」

「違う」

 問題は話せる犬の方だ。

 以前から賢い犬だとは思っていたがこれは規格外だろう。

 昨日は初めて見た魔術師に驚いて気付かなかったが、冷静になって考えてみれば極稀とはいえ確実に職業として存在する魔術師よりも、奇妙なのはこっちの犬だ。

「……だいたい傍から見て絶対おかしいだろ、この状況」

 そうだ。もうひとつ冷静になってみれば、今のジアード達は通報されかねないんじゃないか。

 まず、フアナが魔術師に見えないのが悪い。それっぽいローブやマントで杖か何かを持った老婆であるなら、こんなゴツイ男二人と旅をしていても犬と会話をしていても「気持ち悪い」だけで済む。なのに、この魔術師は可愛らしい十六、七の少女なのだ。騎士の制服を着ているならともかく、旅装の今の姿では「犬と会話ごっこを楽しむような頭の弱い少女を拐かした悪人」にしか見えないだろう。


 つまりジアードが慣れないのは、初めて見る魔術師と呼ばれる人間であり、喋る(らしい)犬であり、それと普通に会話している魔術師の存在であり――何より、自分より十は年下の少女の隣で朝食をとっているという現実の事だ。


「後ろめたい事をしてるわけじゃないんだから胸はってなよ」

 そう言って、奇妙な犬の飼い主はいつものように笑った。





 湖の中ほどで不意に船が停まった。

 何事かと周囲を見回してそれを見つけたのは船首近く。鎧を着込んだ屈強な男達が乗る小船が近づいてくる。

 そこに付けられた朱房は――

「サザニア兵だ」

 ジアードはそう断定して腰の剣を確認した。

 人数は五人ほど。ダウィと二人ならばなんとかあしらえるだろう。

 だが、一般人が多く乗るこの船で被害無しというのは難しいかもしれない……

 船首へ出る最短ルートを確認すべく視線を走らせると、ダウィはまだのんびりと食後のお茶を飲んでいる所だった。

「この湖の中はサザニア帝国の物だからね。ただの通行許可の確認だよ。そんな殺気を発して無くても大丈夫」

 この男がそういうならそうなのだろう。警戒を解く事はしなかったが、ジアードは剣から手を離した。

 その様子を不思議そうに小首を傾げて見ていたフアナに、ダウィは「彼の母国はサザニア帝国と戦争中なんだよ」と説明して小船に目を凝らす。

「ああ、またあいつがいるな」

「あいつ?」

「あの船の船尾のあたりにさ、ちょっと変な形のがいない?」

 ダウィが示したのは、一人ローブのような物をはおり、顔を隠した男だった。

 他の兵士達より一回り体が小さく、歪だ。

「肩の位置が低い……違うな、首が長いのか」

「そう、それにほら、今横向いた。わかる?」

「……なんだあれ」

 ローブの裾からはみ出した暗い色の物体がビタンと床を叩いた。

「尻尾」

「尻尾ぉ!?」

 ジアードはまじまじとそれを見つめた。椽色のそれは確かに爬虫類の尻尾。体と繋がっている部分はローブに隠れて窺えないが、どう見ても飾りなどではなく生きている生き物の何かだ。

「まさか、あれが魔族ってやつか?」

 見たことは無い。だが昔話や英雄譚に度々出てくる化け物の姿とどこか被る物がある。

「さあ――種族まではよくわからないけど、ハーフみたいだね。最近ここで良く見かけるんだ」

 異形の兵は首をぐるりと回し、舌なめずりをした。顔の構造は人間のようだが、目に生気が無く、どこか人と違う。

「うわっ 目が合ったっ」

 フアナが身をよじる。ジアードの腕も思わず粟立ったが、一人食事を続けるダウィだけは何も感じていないらしい。

「失礼だよ。相手も一応人間なんだから」

「で、でもトカゲですよ、あれ」

「……恋人には遠慮したいタイプかもしれないね」

「かもじゃないです!」

 船員と言葉を交わし、再び離れていく小船をフアナは気味悪げに見送った。



 * * *



 湖を抜けてしばらく行くと川は二つに分かれ、船は細い方に入っていった。

 この頃になるとしだいに周囲に民家が増え始め、右手の丘陵には果実畑らしいものが広がってくる。

 ダウィに聞くと、もう国境を二つ越えてアスリア=ソメイク国に入っているらしい。明確な国境線や国境を警備する兵の姿も無かったので拍子抜けてしまった。

 

 ――カランカランカランカラン


 不意に大きな振り鐘の音が船内に響いた。同時に船員がふれて回る声がする。


「次はウルス=フィリア! 水の中~!」


 停船を報せる鐘であるらしい。

 ウルス=フィリアというのがその地名だろう。だが気になるのは……

「水の中?」

 川に落ちろとでもいうのかと首を傾げる。こういう時に答えるのはやはりダウィだ。

「町の名前だよ。

 ウルス=フィリアは水路が発達した街で、上流から『水の上』『水の中』『水の下』っていう三つの区域に分かれてるんだ。

 『水の上』がさっきちらほら家があった辺りで旧市街。『水の中』が商業の中心。『水の下』はごちゃごちゃした下町って所かな」

「へぇー」

 唸るジアードを横目に、ダウィは荷物を纏め始めた。

「ここで降りるよ」



 商業の中心だというこの町で乗り降りする人はとても多かった。

 人波に押し出されるように下船して、人混みから離れた場所で周囲を見回した。

 成程、大勢が乗り降りするのも良くわかる。広場からはウォーゼルの市場と同じくらい活気のある声が聞こえて来た。

 それに建物と建物の間がきっちり詰まっていて、背の高い建物が多い。

 中でも特に目立つのが、大きな運河を挟んだ反対側にある塔。物見塔か何かだろうか。煉瓦造りのしっかりとした建物には小さな窓がいくつかと、一番上に広いバルコニーのようなスペースが見える。更にそのバルコニーのすぐ下に、数字が書かれた円形の見慣れないものがついていた。

「でっかい塔だな」

「時計塔だよ。この街の観光名所」

「あれが時計なのか……」

 母国の日時計や水時計とは形状が大きく異なるが。

 感心して見ていると、時計塔を仰いだダウィが簡単に読み方を教えてくれる。短い棒の位置で時間が、長い棒の位置でさらに細かい時間がわかるのだという。

「つー事はだ――今は十二時と半分?」

「うん。ああ、もうそんな時間か。フアナちゃん、そろそろお腹すいてない?」

「そうですね。お昼を食べてから出発しましょうか。

 ええと……お店ってどこら辺にあるんだろう。いつもここに来ても祖母について回ってるだけで……案内板とかないかな」

 きょろきょろと周囲を見回すフアナをダウィが止めた。

「俺が案内するよ」

「詳しいんですか?」

「言ってなかったっけ。ここ地元なんだ」


 ぽかんと口を開けたのはジアードだけではなかった。

 フアナもダウィの顔をまじまじと見つめてから呟いた。

「もっと南の方の人かと思ってました」

「発音? なんかそれ前にも誰かに言われたな。

 生まれはリーブラだよ。ここに引っ越して来たのは三年前」

 リーブラはアスリア=ソメイク国の首都であり、想像できないくらい遠く――大陸の東の果てにある。

 だがフアナはそこへ行った事があるのだろう。ジアードとは少し感想が違うようだ。

「都会の人なんですねー」

「生家は町外れだったけどね。――ああ、ここでご飯にしよう」

 ダウィが足を止めた。

 ここまでに交わした会話の数からも察せられるように、先程話していた場所から大して歩いていない。 

「……レストランには見えないんですが」

 遠慮がちに、疑問の言葉を口にしたのはフアナだった。

 そこは歴史を感じさせる石造りの建物。重たそうな扉の脇には金属で出来た看板が埋め込まれていた。

「シュイッツアー社……って、さっき乗ってきた船の会社ですよね」

「そうそう。ウルス=フィリアで一番の船会社だよ。

 このスーゼルク川をずっと下っていくと海に出る。そこにミダスっていう港町があってね。この会社はそこからここまでの定期便を出している唯一の会社でもあるんだ」

 ダウィは不意に真顔になってジアードを見た。


「もしね。大陸の東の外れ……海の方から犯罪者がイーカルへ入り込もうとしたとして、どこから来ると思う?」

「なんだ、いきなりマジな話か。

 俺たちが来たみたいにウォーゼル王国を通ってくるか、北からサザニア帝国を通って来るか、南はヨシュア王国を通ってくるか、だな」

「最短ルートは?」

「俺たちが来た道」

「そうだね。

 直線距離でもそれが断然近いし、南のルートはともかく北のサザニアとの国境は警備が厳しいから現実的じゃない。

 つまり、東から来る犯罪者の殆どは、この会社の船を使う事になる」

「イーカルにアスリア人の犯罪者が現れたら、捜査の時に世話になるってことだな」

 ダウィは頷いた。

「それにこれだけの大会社だから社長はこの街の顔役なんだ。

 町長は選挙のたびにコロコロ変わるから一々覚えても仕方ないし、何かあった時には彼に話を通して貰えばいい」

 これが前に言っていた「コネクション」とやらなんだろう。

 それはまあ、わかったのだが――

「それで、なんでここでご飯なんですか?」

 ジアードより先にフアナが聞いた。

「ここの食堂のおばちゃんは料理がうまいんだよ」

 ダウィは満面の笑みで扉を押し開けた。


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