追悼の鐘
それは、寝て起きて小難しい法律の話を聞いて――という代わり映えのない船上生活にも飽き始めた二週間目。
ことりと床の鳴る音で目を覚ました。
上半身を起こして見れば、向かいのベッドに腰掛けたダウィが靴ひもを締めているところだった。
「あ――起こしちゃった?」
丸窓から差し込む光はまだ微かで、日の出までまだ時間がある事がわかる。
「早いな」
「ごめんね」
「構わねえけどよ。今日は何かあったか」
単調な船旅はいつまでも変化がないものだと思っていたが。
「ちょっと私用。甲板に出るね。フアナを任せて良い?」
ちらりと上へ視線を向けた。壁から二段に突き出したベッドの上の段から微かな寝息が聞こえる。
床ではタイも白い毛皮をゆっくりと上下させていて、どちらも放っておけばこのまま寝ているだろう。ジアードは了解と仕草だけで示した。軍で使われていたサインだが、付き合いの長いダウィにはそれで通じる。頬を軽く上げ、手を振ってベッドから立ち上がった。
「じゃあ、後よろしくね」
ダウィが部屋を出ていくと、扉を閉める微かな音でフアナが身動ぎした。しばらくはゴソゴソと体勢を整えていたようだつたが、二度寝には至らずやがてゆっくりと起き上がった。
そして目を擦りながら部屋を見回し、ダウィのベッドが空なことを認めて首を傾げた。
「……あれぇ? ダウィは……?」
「さっき出て行った」
「そー……え? 何かあったっけ」
「私用っつってたが」
そんな言葉を交わしているうちに、ダウィのベッドの足元で丸くなっていた白犬も目を覚ました。
フアナにしかわからない言葉で何か言ったのだろう。二言三言会話している。
やがてフアナは膝をぽんと叩いた。
「そか……よしっ」
「よし?」
「探しに行こうっ」
パタパタと足音を立てて狭い階段を上る少女の後を、一段抜かしでついていく。後ろからはタイの爪が床をひっかくカサカサという音が時々途絶えながら付いてくる。この犬はひどく船に酔うたちらしい。出航してからというもの殆ど飲み食いもせずぐったりしていた。時折ふらふらとよろけるので、階段から落ちないか心配になる。
背後の無事を確認しながら階段を上ることしばし。甲板まで後数段という所で眩い朝の光が目を刺した。思わず呻くと、振り返ったフアナの指がこちらへ伸びて来る。
「あはは。怖い顔」
細く柔らかい指が眉間に触れて離れる。
「ジアード、ここの皺が無い方がいいよ」
「んな事言われたってなあ」
――カラーンカラーン
「なんだあ?」
出港や寄港を知らせる振り鐘の音だ。
しかし、昨日夕飯の時に聞いた話では次の港へ着くのは今日の夜遅くか明日の朝だという話だった。いくら船長が凄腕といってもそんなに早まる事も無いだろう。
首を傾げながら二人は話を聞くために船員を探す事にした。
甲板には一様に海の向こう――陽の昇るの方を見つめ佇む人々がいた。
殆どは船員たちのようだが、そこにちらほらと客らしき人が交じっている。ジアードやフアナとは少し違う顔立ちは、大陸沿岸部の民族のものだろう。黒や茶色の髪に象牙色の肌の人ばかりだ。
その中に一人混じった金色は自然と目を引く。
「二人も来たんだね。おはよう」
ふわりと笑いながら振り返ると、ダウィは二人の後ろをのそのそとついてくる白い影に目を留めた。
「あれ、タイも来たんだ。船酔いは大丈夫なの?」
「『死ぬ』」
表情までタイを真似て通訳をするフアナの姿に全員が吹き出した。
「寝てていいのに」
そう言って飼い主は愛犬の頭をぽんぽんと叩いた。
輝く水平線から一筋の光がのび、雲を照らす頃。
再び、振り鐘の音が耳を打つ。
柔らかく微笑んだダウィがその場で膝をつき、右手で左手を包み込む。大陸東岸流の祈りの仕草だ。その脇では伏せをして頭を深く垂れたタイが耳を寝かせ、目を閉じる。
見回せば、周囲の人々が皆同じように太陽の方向に向かって祈りをささげている。
――からーん、からーん、からーん、からーん……
長い鐘の音が止むと、人々は立ち上がりそれぞれ散っていく。
「……なんだ、これは」
ジアードと同様目を瞬かせて立ち尽くしていたフアナではなく、ダウィに問う。
「聖戦の犠牲者への祈りだよ」
聖戦。
「ねえ、ジアードは聖戦の事を知ってる?」
くるりと振り返る彼はいつもの笑みを浮かべていた。優しげに弧を描く金の双眸を見下ろし、ジアードは後頭部をがりがりと掻く。遠い昔に学び舎で聞いた話。今では細部まで思い出すことは難しい。
「あー……魔神が大神に反旗を翻して、大神が創ったこの世界を破壊しようとして……人間に味方した神々と戦った……んだよな。
で、大陸中に魔物を放って、英雄ジアードやなんかが魔物から人々を救った……?」
「おー」
ダウィはぱちぱちと手を叩く。
「なんだその反応」
馬鹿にされたように感じ睨み付けたが、一切動じた風もない。
「いや、ジアードの故郷辺りじゃそういう解釈なんだなって思って感動した」
そう言われてみれば、あの砂漠の中の町でもそうだった。
――故郷の英雄は、東部での裏切り者。
「この辺り――大陸沿岸部じゃね。英雄ジアードなんて知られてないから、後半がちょっと違う。
人々を救ったのはジアードじゃなくて、魔神を封印した女神の娘達」
「ああ……なんつったっけか。聞いた事がある」
「ラスセリアスとアスセリアス。双子の姉妹だよ」
「双子?」
そんな話だったか。
女神の娘が出てくる物語は記憶の片隅に確かにあった。正確には場末の劇場で見た女優の姿だ。扇情的な服を着た美女が踊っていた。だが、揺れる松明に照らし出された艶かしい太腿ははっきりと覚えていても、その女の演じていた役が双子だったかどうかは思い出されない。
「有名なのは、自分の命と引き換えに魔神を深い海の底に封印した妹のアスセリアスの方だね。アスリアっていう国名の由来にもなってるくらいだから」
そういえばそんなストーリーだったような気もする。脚ばかりを見ていたつもりもないが、あらすじもあやふやなくらいだから主役に姉妹があったかどうかなんて覚えているはずもない。
「その、アスセリアスと魔神が眠っている海底というのがちょうどこの辺り。だからここを通る船は――というか、ここを通る大陸沿岸部の国の人々は、この場所で女神の娘に祈りを捧げる習慣なんだ」
「へえ……この下に封印されてるのか。魔神が」
* * *
「さっきね、船員さんが話していたのを聞いたんだけど、もうすぐリーブラですって」
跳ねるように駆けてきたフアナがそう告げたのは、それから大してたたない頃だった。
楽しげな様子だが、この辺りの地理に明るくないジアードにはぴんと来ない。首をかしげると、ダウィが遠くに見える岸を指差す。
「アスリア=ソメイク国の首都だよ。あの山の方――まだ見えないかな」
大国の首都となると相当大きな町だろう。フアナのように無邪気に浮かれることはできないが、それでも貴重な景色を見るのが楽しみだ。自然と口角があがる。
「もうだいぶ過ぎちゃったけど、向こうに果樹園が見えるでしょ。それにその周りに畑とか」
ダウィの指す方へ視線をめぐらす。葉はすっかり落ちているが、斜面に規則正しく並んだ樹木。あれが果樹園か。そしてパッチワークのように広がる農地。目を凝らせば点在する民家もかすかに見える。
「あの辺りがアスリアの昔の首都だよ。アスリアがソメイク王国と合併する四百年前までの首都」
「首都っつーには田舎だな」
「『海の民』だからね。首都って言っても、ただ、海の女神の娘が住んでいたっていうだけの場所」
「ああそうか。自給自足に喜びを感じて金銭感覚がない民族なんだっけか」
「そう。商売をしなかったから街として発展しなかったんだね。それでも今は少しは街もあるよ。奥の方に家が並んでるの、見える? 灰褐色の屋根の建物が集まってる所。あの辺りには観光客のための宿やお土産物屋があるんだ。女神の娘に関係する石碑や神殿跡を見に来る人用のね」
つらつらと解説を続けるダウィに相槌を打っていると、フアナがぽつりと呟いた。
「――『ウェイだ』って、タイが言ってるよ」
フアナへ、いやフアナの隣でお座りをする白い犬へと視線を送ると、琥珀を埋め込んだようなその双眸は遠い陸地の方へ向けられているようだった。
ジアードと同じくタイの視線を追ったダウィは目を眇めて何かを探していた。
「ああ。ウェイは、まだ飛んでるんだね」
「さっきからその『ウェイ』って何?」
首を傾げるフアナに応え、ダウィは陸ではなく、斜め上の方――陸の上の空を指差した。
「あの丘の上を飛んでる」
丘といわれて小高い所を探すと、果樹園から少し離れた岬のような場所の上空を真っ白な大きな物が旋回しているのが見えた。
「……鳥? にしては大きいかな。竜?」
大きな翼に細く長い尾が見える。フアナの言うようにジアードの知る鳥とは違う。この距離でなんとなく形がわかるくらいだから、人より大きいのではないだろうか。かといって竜というのもどうだろう。聞いた話では人の来ないところに住む生物だというから少し違うような気がする。
二人の疑問の視線を受け止めて、ダウィは微かに笑う。
「ウェイは聖獣。風の賢者に仕えていた聖獣だよ」
「せいじゅう?」
その言葉を聞いた事がなかったのはジアードだけだったらしい。フアナは納得したと頷いている。
「せいじゅうってのは、なんだ?」
「獣の姿をした神の使いの事」
「あー。神話ん中に出てくるな。それこそ聖戦の時にも――なんだっけか」
「ガニメデを守った九番目の獣かな」
「それだそれ。獣の神につかわされ、獣の国を守った聖なる獣。あのでっかいのがそれなのか」
「ウェイは八番目だから、ジアードの言っている話の聖獣とは違うけど、まあ同じような存在だね」
「そりゃ珍しいものを拝めたな。
しかし、その聖獣はあんなところで何やってんだ」
話をしている間もその大きな鳥のような生き物は同じ場所をぐるぐると回っている。
タイは尾を丸め座り込むと同時に何かを言ったようだった。
フアナが聞き返し、更に翻訳されるのをまってやっとその言葉が届く。
「『あそこでずっと主を探してんだ』だって」
飼い主の長い指が白い毛を撫で、タイは鼻を鳴らす。その仕草にふっと口元を綻ばせ、ダウィが呟いた。
「いつまで飛んでるつもりなんだろうね」
「『あいつだって風の賢者が死んだ事くらいわかってるよ。それでも探さ――』って、賢者様って死んだの?!」
通訳していたフアナが突然大きな声を出す。
「フアナが生まれるより前に亡くなってるよ」
ダウィの答えに目を丸くしたフアナは泡を食ってまくし立てた。
「だ、だって風の賢者って言ったら、第一位の魔術師よ?! この間、魔術師連盟の本部でお会いしたばかりじゃない! 違う、会ってないけど! お会いしたわけじゃないけど! でもほら、あんな緻密な結界、賢者様でもなければ張れる訳――」
「ああ、違うんだ」
ダウィは白犬の毛を弄ぶ手を休めず淡々と言葉を重ねた。
「第一位の魔術師を風の賢者って呼ぶ人が多いけど、それは周りが勝手に言ってる事でね。本当の賢者は昔あそこで死んだ彼だけなんだ。きっと第一位の魔術師をそう呼ぶようになったのは、賢者を失った不安感を一番属性の近いその人で埋めようとしたからなんじゃないかな。
その人が賢者でない証拠に、風の賢者に従うはずのウェイは今も死んだ賢者の跡を探しまわってる」
「……そ、そうなの?」
「そうなの」
断定するダウィの言葉には不思議な説得力がある。
フアナはダウィとタイを見比べ、やがて「ふぅ」と息を吐いた。
「ダウィは魔術音痴だっていうのに、そんなことは私の知らない事まで知ってるんだね」
「風の賢者を知ってたからね。すっごく嫌われてたけど」
ダウィは丘の方へ向かって祈る仕草をした。
「――いいおじいさんだったよ」
* * *
目的地が近い事を告げる鐘が鳴ったのはだいぶ日が傾いた頃だった。
読んでいた本から顔を上げたダウィが、周囲を見回して「後半刻くらいかな」と呟いた。
デッキのあちらこちらで休んでいた旅客たちがざわめきながら客室の方へ戻っていく。荷物を纏める都合などあるのだろう。旅慣れたダウィに言われて昨晩のうちに片付けを済ませておいた一行は至ってのんびりとしたものだ。
フアナは暇つぶしの手芸で、ジアードは慣れない勉強で、それぞれに凝り固まった肩を回す。
「ジアード、あそこにちょっとした山があるでしょ」
ダウィが指差すのは山脈と呼ぶにはやや低い、丘陵地と呼ぶにはやや高いそんな場所だ。
その連なる丘はそのまま海へと続き、海岸近くで途絶えるように急に落ちていく。
反対側は奥の方で弧を描き、平地をぐるりと取り囲んでいる。
――攻めづらそうな地形だ。
つい職業病のような事を考えているのが伝わったのか、ダウィが小さく吹き出す。
「眉が寄ってるよ、ジアード」
指摘された場所を親指で強く揉みながらダウィの話に耳を傾ける。
「あの尾根がアスリアとソメイクの旧国境――今のアスリア領と、リーブラ直轄地の境目だよ」
「昔は二つの国だったのがくっついたってアレだな。しかしまあ……」
「うん?」
「その、昔のアスリア国? ってのはここから始まって、ずっと北の、俺たちが船を乗ったあたりまで続いてたんだろ」
「そうだね」
「二週間前に船乗って、今朝見たのが旧首都で、そこにあるのが国境ってなら、随分国境から近えな。偏ってるっつーか。」
「うん。国の真ん中で交通の要所になる場所だとか守りやすい地形だとかで選ぶのが、国の発展のためには良いんだろうね。だけど、あの旧首都は女神の降り立った土地で神聖なものだから」
「そんなものか」
「その分、今の首都はそれなりに考えられてるよ」
ダウィはついと指を動かす。
目を凝らすと、葉を落とした木々の間に白く輝いて見える町並みがうっすらと見える。
「あれが今の首都。リーブラ。かつてこの場所にあったソメイク国の首都でもある」
先程感じた「攻めにくい地形」というのが間違いでない事がわかった。
東側が海に面し、北と西が山に囲まれている。複雑な地形の上に山の上には砦らしきものも見え、朝に見た果樹園に囲まれたアスリアの旧首都とはだいぶ違う印象だ。
「聖戦の時代に大地の民が造った街だよ。王都の防衛と、南の商都ミダスへの交通の便とを考えた結果この地を選んだんだって聞いてる」
「あんなに発達した王都を持つ国と、あの田舎っぽい――あー……開放的な?首都の国とが隣り合っててるなら、ちょっと戦争をしかければすぐそこのアスリアの旧首都くらいぶん取れただろうに」
「あはは、そうだね。でもソメイク人はそれをしなかった」
なんでだと思う?と聞かれたが答えられない。少なくともジアードの生きてきた大陸中央部の国では隙を見せれば襲われる。
「ヒントは、アスリアの旧首都があんな小さな町でも『首都』と呼ばれていた理由」
「……女神の降り立った土地?」
「そう。その頃はまだ女神の娘があそこに住んでいた。だから誰も手出しができなかった」
「女神の娘か……神話の世界だな」
「大陸中央部ではお話の中だけの事なのかもしれない。でもね。この地域では今も神話が生きてるんだよ」
「へぇ……」
ゆったり流れる景色が夕陽の色に包まれていく。
そんな中でもキラキラ輝く白い壁はこれまで見られなかったものだ。
首都の名に相応しい大きく美しい街。
フアナがうっとりと呟く。
「リーブラに寄港するかな」
「しないと思うよ。リーブラから目的地のミダスまではすぐだから」
「そっか。残念」
がっくりと項垂れる少女にダウィは柔らかく笑いかけた。
「行きたかった?」
「だって大都会じゃない。
――って、そうか。ダウィはリーブラ出身だっけ。珍しくもないんだ」
「いつか一緒に行く事があったら案内してあげるよ」
「あれのどの辺で生まれたの?」
「本当に端の方――わかるかな。城下町から南に行くと林があるでしょ」
「崖のあたり?」
「そう、その崖の上にちょこちょこ家が建ってるの見える? あの辺」
「街まで結構あるね」
「だから『生まれたのはそんなに都会じゃない』って言ったでしょ」
聞くとも無しに聞いていた二人の会話に、思わず呟いた。
「――普通だな」
何が、というようにダウィが瞬く。
フアナもぴんと来ていないのか小首をかしげていた。
「砂漠の国境辺りだったっけか。お前は孤児で戸籍がないんだっつー話をしてたから、戦場で泣いてる子供みたいなのを想像してたんだが……ここは平和そうだ」
「両親が死んだのと戸籍が無かったのは別だから」
そんな事を漏らしたものの、あまり触れられたくない話題だったのか、ダウィはするりと話を変えた。
「太陽はだいぶ落ちちゃったね。ミダスにつく頃には真っ暗かな」
正直興味はあったが親の死に関わる話など胸糞悪い話が大半だ。ジアードは片眉をあげ、話にのった。
「ああ。港の待合所で一泊して乗り換えっつってたよな」
「そう。今度はこれより一回り小さい船で河を遡るよ」
その言葉に肩を落としたのは足元の白い犬だ。
「『また船かよ』ってタイが言ってるよ」
げっそりした表情の白犬のためにフアナが通訳するが、飼い主は取りつく島もない。
「一番早くて楽なルートなんだから諦めて。もうここからはウォーゼルまで一本だよ」
「行きにも乗ったシュイッツアー社の船だな」
ジアードの日記のシュイッツアー社の項には、「ウォーゼル王国と海沿いのミダスという街を繋ぐ定期船を出している唯一の会社」とメモが残っている。ダウィにはめられて書き始めたような日記だったが、それなりに知識が身についていた事はやはり否定できない。
* * *
半月ぶりに揺れない窓から、月を眺めていた。
あの場所から遠く離れた商都ミダス。
海と河の交わるここは水上交通の要衝だ。大小様々な船の行き交う港を中心に、迷路のように入り組んだ倉庫街と隙間無く軒を連ねる商店、巨大な市場。そしてそこで働く彼らの娯楽を支える歓楽街。
眠らないこの街は、満月が天頂を過ぎた今でもざわめきが絶えない。
特にこの待合所の仮眠を取る為の部屋は飲食店のある通りに面しているせいか、酔っ払いの笑い声や民族楽器の音色が間断なく届いて来る。
毛布を頭から被り、深く息を吐く。
あれは静かな夜だった。
真っ暗な闇の向こうを見つめていた。
隣に座った彼女の袖が時々腕を掠めた。
ぷらぷらと足を揺らしながら愚痴を漏らす彼女。夜会での周囲の目だの口煩い侍女の話だの。途切れる事なく吐き出される言葉は穏やかではないが姦しくもなく、不思議と心がざわめく事がない。
時折生返事を返しながら炒った木の実を口に運ぶ。
ただそれだけの、何もない時間。
それが今は、遠い。
眠る事の無い商都の夜に――「彼女」の夢をみた。




