見晴台の再会
依頼人の住む町、ロトガスは石造りの街だ。
煉瓦とは似て非なる自然の曲線が壁だけでなく橋や路面といったありとあらゆる人工物を構成している。
ダウィの語る所によると、その加工方法や積み方から年代や何かもわかるらしいが、勘だけでも「なんとなく古そうだ」とか「なんとなく新しそうだ」くらいはわかる物だ――と、ジアードは思っている。
その「古そう」なエリアを抜け、勾配を上って行くと比較的「新しそう」な住宅街に至る。
ジアードがそう判断するのは建造物に使われる石がより直線的に加工され、煉瓦と同じように規則的に積まれているというただ一点なのだが、まあそう間違っていないのではないだろうか。
この街はこの国が国として成立する以前からある古い街なのだそうだ。街並みのそこかしこからじんわりと伝わってくる歴史を感じ、石畳を足裏で味わいつつ、ぼんやりとダウィとフアナの話に耳を傾けていた。
「ここは歴史が長いだけあって、神話や伝説も多いんだよ。
風神の娘達のうちの一人が降り立ったのがこの地だったとか、ゼブラドラゴンの巣があるとか、年に一度冥界への扉が開くとか」
「魔術師の中で第一位の方がお育ちになったのもこの街だって!」
「それを言うなら、二位のセガルが生まれたのもここだよ」
「そうなの!?」
「後は有名な所だと予言者シュルナーレもこの街の出身だね」
「おぉぉお!!」
なんだかわからないがフアナが感動している。
魔術師の森で世話になったセガルはともかく、予言者など名前も知らない。
「まあ、魔術師の森から一番近い大きな街だから、魔術師が多く住んでいるっていうのもあるかな」
不意に金色の双眸がこちらに向けられたので、なるほどなぁなど適当に相槌を打ちつつ、荷物を背負いなおした。
* * *
緩やかと言い難い坂道を更に上り、傾斜の途中にある小さな店の前へ至った。
一番体力の無いフアナは息を切らせて両手を膝についているが、彼女の荷物の大半はすでにダウィの肩にある。
呆れ顔のタイが、「もう少し鍛えろよ」とでも言ったのだろう。フアナがキッと睨みつけた。しかし、口を開けど出てくるのは荒い息ばかりで言葉は何も出てこない。
「ほら、水」
相当きつかったのだろう。フアナはジアードが差し出す水筒に口をつけると、コクコクと一気に飲み干した。
「――ぷはっ」
「お前、美味そうに飲むなあ」
「すっごい喉乾いてたんだもん! って、あ、空っぽ!」
「街中だから構わないだろ」
フアナが礼だか謝罪だかを口にする前に、ジアードはすぐ脇にある扉に目をやった。
「目的地って、ここか?」
扉の中央に店の名が書かれた木札が下がるばかりの小さな店だ。
フアナも髪の毛をふわりと揺らしてダウィを振り返った。
「学長さんの大好物が売ってるお店――だっけ?」
「そう」
「パン屋さん?」
「うん」
「パイって言ってなかった?」
「そうだよ。前日までに注文すると焼いてくれるんだ。
どんな時でも一発で機嫌がよくなるくらいの大好物」
「良く知ってるねー。友達?」
「知り合い」
ダウィは嫌そうな顔で即座に否定した。
そして、物言いたげなフアナを目で制し、片手で扉を引く。
ちらりと覗いた所で、ジアードは中に入るのは諦めた。
客が数人でいっぱいになるような狭い店内。ただでさえ体格が良いというのに、こんなに大荷物を抱えて入ったら迷惑だろう。
「俺、外で待ってるから」
そう二人に告げて一旦道に出た。
今日も良い天気だ。
故郷と違う、湿気を帯びた風が頬を撫でる。
何気なくその風の吹く方向を見て首を傾げた。
「なんだ?」
視界の隅――家と家の間の細い隙間で何かがきらきらと光っている。
通りを渡り、少しだけ右に進むと道の端が少し広くなっている場所があった。
ベンチが二つ並んでいる所をみると、坂を上る人のための休憩所なのかもしれない。
「絶景だな」
街が見渡せるその場所は見晴台と言っても良い。
煌いて見えていたのは街の真ん中を横切る大きな川。
そしてその先に広がる――
「海……」
ゆるやかにうねる波と、傾きかけた陽に白く輝く波頭。
同じ「巨大な水溜り」であるにも関わらず、故郷の湖とはまったく違う力強さ。
知らぬ間に息をつめていた。
感嘆の溜息を漏らしながら視線をゆっくり動かすと、街を挟んだ反対側の斜面に石造りの城が、そしてぐるりと巡って今居る側の斜面にも王宮のように大きな屋敷が目に入る。
川を挟んでにらみ合うように建てられているその構図は……
「二大勢力……? 縄張り争いなんかしてたりしてな」
「いやいや、仲良しだからね?」
ダウィが注文を終えたフアナと共にこちらへ向かってくる所だった。
「あっちのお城は、この国が国として成立するより前からあそこに立っている歴史あるお城だよ。住んでいるのは、魔術の名門バゼ家。『魔術師の森』で会ったセガルの実家だね」
「あいつ、貴族か何かなのか」
「うーん……貴族じゃ、ないね。
貴族っていうなら、あっちの屋敷の方。あっちはアスリア家の屋敷」
「アスリアっつーと王家か」
「王家に万が一の事があった時のための分家だよ。三百年くらい前に王家から分かれて、それからずっとこの辺りを統治してるんだ。
そのアスリア家とバゼ家は血縁関係もあるんだけど、昔からびっくりするほど仲が良くてね。抗争とか無縁だから不穏な事言わないで」
ダウィは苦笑いを浮かべながら、見晴台の石垣に手を掛けた。
海から吹く風が、耳にかかるほどの長さの金色の髪を揺らす。
隣に駆け寄ったフアナもそれに習うように身を乗り出し、歴史を感じさせる町並みに目を丸くした。
「あ、あそこ! おっきい建物があるー!」
小振りな手で指差すのは海とは反対側。確かに白く大きな建物がある。形は広い中庭を囲むように建てられたロの字型の――何か公的な施設だろうか。規模から相当な資産を持つ者の家屋敷かとも思ったが、装飾が少ない辺りで貴族などの屋敷とは一線を画している。
「あそこが、依頼人の居る三国学問所だよ」
疑問に答えたのは勿論ダウィだ。
ジアードは「随分大きな学び舎だ」と思ったが、しかし、その建物すら施設の一部にすぎないらしい。
ダウィがひとつひとつ指差し解説していく所によると、あの白い巨大な建物を中心として、十余りある研究のための施設に図書館、実験農場、食堂や学生寮なども敷地内に備えているという。外郭をなぞるだけでも街の平地部分の三分の一はあるのではないだろうか。まるでこの街自体がその学問所の為に創られたと錯覚するほどの広さである。
続けて街の他の名所を解説し始めたダウィの指先を追い、何気なく首を巡らした時、どこかで見たような人影が目に入った。
ちくちくと立ち上がった短い髪に首元の詰まった民族衣装。目付きは少し悪いが、黒目がちで愛嬌のある顔立ちの青年。
相手もこちらに気がついて、ぽかんと口を開けた。
「アニキ――?」
実の弟がこんな所に居るわけは無い。
ジアードは視線を宙に彷徨わせ、彼の名前を記憶の隅から引き出そうとした。
「……あー……マ…マ……」
「マヌっス!」
「マヌ」
一日ぶりの笑顔がそこにあった。
その上、子犬のようにうるんだ瞳で見上げられれば、まあ悪い気はしない。
「また会えるとは思わなかったっス! アニキ達はお仕事ですか!?」
「そんなところだな」
乗合馬車のあの時と同じように一方的に話しかけられ、ジアードはさてどうしたものかと考える。
はきはきと喋り好青年の部類に入る男だとは思うが、苦手だ。おそらく人懐っこい所が慣れないのだ。そもそも思い返してみれば、体格が良く強面な上お喋りでもない自分にこうも近づいてくる人間など老若男女問わず無かったように思う。
そうか、自分は今距離を測りかねているんだななどと考えていたら、横合いからつんつんと袖をひかれる。
「……ねえ、知り合い?」
フアナが訝しげにこちらを見上げていた。
そういえば彼女はあの時のんびり転寝をしていたのだった。
「昨日の馬車で一緒だったマヌって奴だ」
簡潔に言えば、きょろりと大きな目を動かして、何かに思い至ったように目を見開いた。
「あ、馬車から降りる時手を振ってたお兄さん!」
「マヌっス! 馬車では寝てた魔術師さんっスよね! よろしくっス!」
「やだ、見てたのっ!?」
「下りる時にぶつけた足は大丈夫だったっスか?」
「うわーっ! もう、恥ずかしい!」
フアナは目的地に着くぎりぎりまで寝こけていた為、降車する時に慌ててしまい、近くの座席に脛を強かに打ちつけたのだ。
そんな本人にしてみれば居た堪れない失敗を思い出したのか、しばらく両手をふりふりおかしな動きをしていたが、そのうち周囲の生暖かい視線に気づいたようで、小さく咳払いをして姿勢を正した。
「コ、コホン――私は、今ジアードに護衛を頼んでいる魔術師のフアナです。よろしくお願いします」
「はいっス! こちらこそ!」
邪気の無い笑顔で応える様を見て、ダウィが小さな声で零した。
「あー。こういう子なら友人にしたい」
握手を交わす年少の二人はその呟きに気づかなかったようだったが、すぐ隣に居たジアードにはそれが聞こえた。
「なんだ気に入ったのか」
「うん。犬っぽいから」
ジアードは思わずタイを見た。人語を解する賢い犬は胡乱な瞳をこちらに向けた。
「ところで、マヌさんはお買い物? すっごい荷物ですねー」
フアナがマヌの両腕に抱えられた包みを見て感嘆の声をあげる。
「俺、昨日ここに引っ越して来たばかりっスから、色々要りようで」
軽く持ち上げて見せたその中には、コップやら歯ブラシやらが入っていた。
「師匠の家に住まわせてもらってるんで、これでも少ない方なんスけど、まだこれから着替えや何かを買いに行かないといけないっス。
アニキ――じゃねえや、ジアードさん達はこれからどうするんスか?」
連れられるままに着いて来ただけのジアードは、ちらりとダウィに視線を送り、質問の答えを彼に任せた。
「依頼人に明日会えるようにアポとって、それから宿に荷物を置いて、夕飯まで散歩かな」
「宿は決めてるんスか?」
「ああ。いつも使ってる宿があるから……」
ダウィが宿の名を口にすると、マヌは目を輝かせ身を乗り出す。
「そこ、師匠の家の傍っス! 後でお邪魔しても良いっスか!?」
「うわあ。本当に犬っぽい。尻尾とか生えてそうだよ」
苦笑をどう受け取ったのか、犬っぽいと称された青年はしょんぼりと肩を落とす。
「だ、ダメっスか……?」
その仕草が尚更犬っぽくてフアナがぷっと吹き出した。
そして寂しげな瞳でじっと見つめられたダウィは呻くように呟く。
「……俺、犬派なんだ」
結局断りきれず、夕飯後に会う約束を交わした。




