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悪夢の残滓

 ――トカゲ狩りだ。


 そう。目の前にいるのはただのトカゲ。

 ちょっとでかくて二足歩行なんてしてやがるが、ただのトカゲ。


 胸中で呟きながらジアードは剣の柄を握りなおした。

 掌に滲んだ汗で、いつにない緊張感に気づかされる。


 落ち着け。

 命の危機なんて初めてじゃない。

 むしろ一対一なんだから、あの戦に比べれば断然マシだろ。

 そんな事を早鐘のように打つ心臓に言い聞かせる。


 感情があるのかないのかもわからない爬虫類の目がゆっくりと眇められた。

 その分厚いかさついた瞼の動きで、敵として捕捉された事を悟った。


 生唾を飲む。


 隙を見せるとわかっていて、それでもちらりと右を見た。


 目の端に映るのは、故郷とは違う肉厚な葉の茂みだけ。

 意味は無い。軍人なら誰もが持っている、勝利のジンクスのようなものだ。


 そう。意味は無い。


 自嘲する事で程よく力が抜けた。

 後に引いた右の膝をゆるく曲げる。

 

 目の前に鋭い爪が迫っていた。

 

 間一髪盾で受け止める。

 肘が痺れるほどの衝撃。のけぞってしまった上体を全身の筋肉を使ってなんとか立て直す。

 咄嗟に反撃に出る事が出来ず、二撃目を受けた。

 筋力が相当違うのだろう。こんな重い打撃を何度も受けられるものじゃない。

 三撃目は力の向きを変えるようにいなし、魔族でも斬れるという剣を振り上げた。

 

 睨みつける先には、縦に細長い瞳孔。


 ざらざらとした肌が割け、噴出す赤黒い――血。 

 


 * * *



「…………あ゛ー……」


 むくりと起き上がると、後頭の髪を右手で掻きまわした。

 毛先があちらこちらを向いているのは寝癖ばかりではない。

 溜息と共に中身を出し切った肺を、ゆっくり再び膨らませ、眉間の皺を伸ばすように指で擦る。

 ようやく片目を開いてみれば、僅かに開いたカーテンの隙間から柔らかな光が差し込んでいた。


 ――また、あの時の夢だ。

 

 ウクバの森で初めてまともに相対した『人で無い者』。

 恐怖を覚えたのは確かだ。

 打撃の重さは騎兵の槍を正面から受けたかのようだった。

 そして攻撃速度はイーカル国軍最速と言われる元上官のそれを上回る。

 その上、奴の武器である爪は両手にある。二刀流だ。

 あの時は途中で奴らが撤退したから良かったものの、次は――……



 ジアードは幾度目になるかわからない溜息をつき、肩を回しながらベッドを下りた。

 傍らに立てかけてあった愛剣を片手に廊下へ出る。

 回廊の先にあったあの中庭なら、多少体を動かせるだろう。


 もやもやした思いは体を動かして忘れるのが一番だ。


 朝の光の中で花々は音もなく風に揺れていた。

 昨晩星のように淡く光っていたのは幻だったのかと思うほど、ごく普通の花壇だ。 

「百七十八、百七十九、百――」

 軍人時代の鍛錬メニューを思い出しつつ筋トレや素振りをこなしているうちに朝の夢はすっかり頭の中から消えていた。

 ブンと刀身が空気を切り裂く音に集中しすぎて背後に近づく気配に気がつかなかったほど。

 

「精が出るね」


「うわあ!」

 はじかれたように振り向き、その勢いのまま飛びずさった。

 剣の間合いより数歩先で早朝に相応しい爽やかな笑みを浮かべるのは、ダウィだ。

「おはよう」

「……お、おはよう」

「今朝は随分早起きなんだね」

「ああ……まあ」

 夢見が悪くて、とは言えず曖昧に頷いた。

「フアナももう起きる頃かな。

 セガルが朝御飯を手配してくれてるから区切りの良い所で切り上げて」

 そう言ってダウィは捧げ持つようにしていたトレイに視線を落とした。

 薄焼きパンに具沢山のスープ。それに見慣れぬ緑の果実。

「これは頼まれ物なんだけど、同じ物を食堂に用意してもらってる。

 食堂の場所はわかる?」

「昨日夕飯を食べた所だよな」

 覚えていると答えれば、ダウィはフアナを連れて先に行ってくれと言った。

「俺はこれを届けたら行くから」

「それ、『引き篭もりの魔術師』の分か?」

 ダウィは驚いた風でもなく頷く。

 昨晩フアナと共にここに居た事に気づいていたのだろうか。相変わらず敏い男だ。

「そうそう。昨日、夕飯を届けた時に彼女と話したんだけどね。

 彼女、ジアードと話をしてみたいって」

「はぁ!?」

 思わず素っ頓狂な声を上げてしまったのは仕方ない。

 大陸一の魔術師なんて呼ばれる人間が、半人前の騎士ごときと話をしたいだなんてどんな風の吹き回しだ。

「お前、俺の何をどんな風に伝えたんだ!?」

「君が辺境騎士団に志願した理由をそのまま話しただけだよ。そしたら根掘り葉掘りじっくり話を聞きたいって言い出してさ。

 最初は酔わせて語らせるって聞かなかったんだけど、任務中に飲ませる訳にいかないでしょ。だから『この仕事が終わった頃に騎士団本部まで来れば』って言っておいた」

「……来ないよな」

「楽しみにしてるって」

「そんな事の為に、半月もかけてウォーゼル王国まで?」

 冷や汗を垂らしながら言葉を探すジアードを見て、ダウィはにやりと嫌な笑みを浮かべた。

「やだなあ。大陸一の魔術師だよ? 時間も空間も超越してるから、その気になれば、一瞬で大陸の反対側にだって行ける」

「ひ、引き篭もり……なんだよな?」

「――って渾名なだけで、騎士団本部にも半年に一回は来てるよ。そろそろ来る頃だしちょうどよかったんじゃない?」

 楽しみだね、ジアード、と言ってダウィは肩を叩いて去っていく。


「はぁぁぁあ!?」


 早朝の森にジアードの驚愕の声が響いた。

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