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案内の魔術師

「ここよ」

 案内の魔術師が立ち止まったのは、フアナが魔術の匂いがなんとかと言っていた突き当たりの部屋――ではなく、それよりだいぶ手前の片開きの扉の前。


 あれ……? あの謁見の間的な扉じゃねえの?


 魔術師はちょっとした飾り彫りはあるがそれだけの普通の扉を引き、拍子抜けた様子のジアードとフアナにくすりと笑って見せた。

 笑みで細くなった眼が、寂しげな印象のあった顔立ちを可憐な印象に変える。

 一瞬だけだが、どこかで見た事があるような気がした。

 こちらの国に知り合いは少ないのですぐに気のせいだろうとも思ったが。


「どうぞ?」

 扉の内側はナチュラルな印象のリビングだった。

 大きな掃き出し窓から緩やかな光が差し込み、部屋の隅に作られる影すら暖かく感じられる部屋だ。

 戸惑いながら足を踏み入れると中に居た数人の女性と目が合った。

 十代前半の少女から二十代後半と思われる女性まで、年の頃はばらばらだが揃いの黒いローブを纏っている。アクセサリーや靴などを除けば、全員が目の前の魔術師と同じ服装だ。魔術師にも制服があるのだろうか。

 そして、背後でそっと扉を閉める案内の魔術師がこの黒ローブ集団のリーダーのようだ。彼女は慣れた様子でお茶と茶菓子を用意するよう指示をして、リビングの更に先にあるウッドデッキへ一行を案内した。


 日に焼けた色のウッドデッキには山小屋にでもありそうな木製のテーブルと丸太の形を生かしたベンチが設置されていて、テーブルの上では木漏れ日がちらちらと揺れている。

 促されるままにそこに腰掛け、ダウィが今回の顛末を説明するのを聞きながら、ジアードは一人ほのかな酸味のあるハーブティーを堪能していた。

 実に長閑な場所である。

 建物自体は石造りで無骨な印象であるのにもかかわらず、このウッドデッキや内装、それにハーブティーに茶菓子など、どこをとっても繊細で良い匂いがする。ジアードが長い事居た軍の施設とは間逆だ。


 ――女が多いからか。


 女性の登用が認められていなかった男だらけの軍隊と、七割が女性だという魔術師の村。そりゃあ一緒の訳がない。

 ジアードはカップに浮いた柑橘類のスライスに目を留めて納得した。


 ――こんな物を飲み物に飾ろうなんて奴も居なかったな。


 軍で言う「茶」は鍋に茶葉を入れて適当に煮出した物。計量などするわけがないから濃さはいつもまちまち。そして、一応茶漉し代わりの笊を使って漉してはいたが、大雑把な者ばかりであったために大抵はこんな柑橘スライスの代わりに取りこぼした茶葉が浮いていた。

 そもそもこんな装飾的な器で茶を啜ろうなんて発想を持っている奴も居なかったんじゃなかろうか。

 そんな取りとめも無い事を考えているうちに、話は殆ど終わっていたようだ。

 解放の儀式の途中で魔族に襲われたがなんとか撃退したと話し、ダウィが口を閉ざすと、魔術師は「ほぅ」と溜息をつきながらすっかり冷めたハーブティーに蜂蜜をとろりと垂らした。


「それで……異形の魔族が属性魔術を使ったっていうのは本当なの?」

 魔術師の気になったポイントはやはり魔術に関する事だった。

 確認の意思を籠めた視線を受けて、フアナが考え考え答える。

「私が判ったのは結界だけでしたけど、水系の魔力を感じました」

「……混血、かしらねえ」

「それってまさか……」

「人と、の」

 二人の会話の意味はわからないが、ジアードにもその言葉に思い当たる所があった。

 ロトガスに入国した直後に遭遇した、どうみても人間の形をしていない魔族が「自分は人間だ」と語っていた。

 それはそういう事なんだろうか。

 御伽噺では人と人でないモノが番う話が確かにあるけれど、アレもそういうモノなんだろうか。

 しかし、答えも憶測も口にせぬまま、魔術師は「この話はお仕舞い」と切り上げてしまった。



「それで、その依頼品の本がこれ?」

 テーブルの上に置かれた、布で幾重にも包まれたままの絵本に視線を送り、魔術師は小さく首を傾げる。

「見せてもらってもいいかしら」

 フアナが包みを開くと、傍らの鞄から小鹿が顔をだして匂いをかぐような仕草をみせた。

「あら、かわいらしい」

 魔術師がテーブル越しに手を伸ばし、小鹿の角の付け根のあたりを爪でひっかくと、小鹿は嬉しそうに擦り寄る。

「この小鹿さん、もう解放されているようだけど?」

「それが、この子、私に懐いちゃったみたいで」

「あらあら」

 魔術師はすっと目を細くして小鹿とフアナと、そしてテーブルの上に置かれた絵本とを見比べた。

「依代は本じゃないのね……そこに何か持ってる?」

「え?」

 細い指が示したのはフアナの胸ポケットだった。

 ポニーテールを揺らしながらフアナがそこを覗き込む。

 そしてすっかり忘れていたらしい何かを見つけ、それを本の脇に置いた。


 ころんと転がる赤い小さな丸。


「あ――木の精霊さんにもらった木の実だ」

「その小鹿ちゃんは本からそっちに引っ越したみたいよ」

「引っ越す事ってあるんですね」

「運び屋が何をいってるの」

 気の抜けた声で魔術師が言う。


 ……呆れているのかもしれない。


「精霊は依代がないと消えてしまう存在よ。

 本に宿った精霊を開放したならすぐ側にある本と同じ属性の物――木や木の実に宿るのは自然なことだわ」

 ああ、そうか。とフアナは小鹿と木の実を見比べ、納得したように頷いた。

「それなら……私どうしたら良いんでしょう」

「あなたはこの子を追い払いたいの?」

「うーん……そういうわけでも、ないんですが……」

 口ごもり考えているようすのフアナを魔術師はじっと待っていた。

 やはりそれなりに年を重ねているのだろう。闇色の瞳に浮かぶ感情は、孫を見る祖母のような穏やかな色だ。

 フアナの指先が小鹿の角を掠った。小鹿は物足りないとでも言うように甘えた声で鳴きながら自らそこを擦りつけた。

「……こういうのって、良いのかなって思って」

「野生動物じゃないんだから」

 魔術師はくすりと笑う。

「そうね。精霊を見ることができる人は少ないし、こんな風に実体化しようとする精霊も少ないわ。

 でも、精霊と共存する人間って結構いるのよ」

「そうなんですか?」

「ええ。だから大丈夫」

 魔術師が頷くのをみて、フアナはようやく安心したように肩の力を抜いた。

「この子と一緒に居てもいいのかな」

「小鹿さんがもう一己の人格を持っている以上、誰にも束縛は出来ないわ。小鹿さんがあなたと一緒に居る事を望んで、それをあなたが拒否しないならそうするべきだと思う。

 もし、その依頼人が無理に小鹿さんを閉じ込めようとしたら、私に相談にいらっしゃい」

「ありがとうございます!」

 ふんわりとした微笑みが年齢不詳の表情を和らげた。


 かすかな風に木々が揺れ、机の上で光と影が踊る。

 新しく淹れ直したお茶に口をつけ、魔術師は悪戯っぽい笑みを浮かべた。

「ソユーは、こうなることをわかってたんじゃないかしら?」

 突然話がすり替わった事に戸惑いながら、フアナが「どういうことですか?」と聞いた。

「この小鹿さんの一件は自分が引退して孫の貴女に仕事を譲る為のきっかけのような気がするのよ。

 だってね。こんな可愛い寂しがりやさんを開放させて、それをよりによってダウィが護衛をしているなんて、顔見せだとしか思えないわ」

 ねぇ、と同意を求められて、ダウィは顔をしかめた。

「そう思った理由を、確認してもいいかな」

「ソユーなら本に宿った状態でも精霊さんの性質を見抜けるはず」

「寂しがりやだと?」

「そう。そんな甘えん坊の精霊さんがポンと突然依り代から追い出されたらどう思うかしら。

 旅の間ずっと世話をしてくれていて、本の作者と属性の近いフアナに懐くのは自然でしょう?

 一人前の運び屋なら、事前にそこまで計算して巧く立ち回るものだけど――初仕事だって言ってたものね。次からの目標にするといいわ」

 最後の部分はあからさまに落ち込んだフアナに向けられていた。

「解放された精霊が、術者に纏わりついた時……魔術知識の無い普通の騎士が護衛についていたなら術者の判断に任せるしかないでしょう。

 でも、今回フアナの護衛をしていたのはダウィで、依頼人は『魔術師の森』から遠くない町に住んでいる。

 この状況で、魔術音痴なのに『森』に縁の深いダウィならきっとこの事態を私たちに丸投げするだろうって、ソユーなら考えるでしょうね」

「俺がフアナを連れてここに相談に来れば、フアナがソユーの跡継ぎとして『森』に――つまり、魔術師連盟本部に紹介される、と」

「ええ」

「……またソユーに良いように使われた?」

「かもしれないわね」

 一瞬、ダウィはその薄い唇を尖らせてむくれたような表情をした。

 だがすぐいつもの笑みで感情を隠し、何事も無かったかのように話題を変える。

「顔見せなら顔見せでいいよ。

 俺もこいつを紹介しておこうと思ってたとこだったから」

 金色の双眸がジアードに向けられた。それを追うように、斜め向かいから漆黒の視線が向けられる。

「辺境騎士団の新人のジアード。来年立ち上げるイーカル支部のメンバーに入る予定なんだ。

 イーカルで何かあったら『森』にも世話になるだろうから、よろしくね」

 すっかり油断していたジアードが慌てて姓名を告げ、礼の姿勢をとった。あまりに慌てたため、大陸東岸流の礼ではなく体に染みこんだイーカル国軍流の礼になってしまったが、魔術師は軽く受け流してふわりと笑んだ。

「私はセガル・バゼ。よろしく」

「ああ。よろし――」 


「セガル・バゼ?!」


 ジアードの挨拶を遮るような大きな声を上げたのはフアナだった。

「やだ、私何か変な事言ってないかしら! あ、あの、失礼しましたっ」

「……何を謝っているの?」

「いえ、なんか、あのセガル様だとは思わずに失礼な口の聞き方をしてたようなっ」

「名乗った途端態度を変えられる方が嫌だわ」

「す、すみませんっ」


「何事だ?」

 ついていけないジアードは隣に座っていたダウィにこっそりと聞いた。

「魔術師の絶対の掟はね、自分より強い者には服従、なんだ。

 セガルは魔術師の中で二番目に強い人だから、フアナからしたら雲の上の存在だったんじゃないかな」

 また格がどうだとか順位がどうだとかいう話か。

 小声で耳打ちされた話はしっかりと聞こえていたらしい。セガルと名乗った魔術師も肩を竦めた。

「別に私は特別扱いされたいわけじゃないのにね」

「素直に言えばいいんだよ。『友達になりたい』って。

 フアナもね。俺達と話す時みたいに話しかけて平気だよ。一度打ち解ければ普通のお姉さんだからさ」

「あなたには年上に対する敬意っていうのを、後でじーっくり、教えてあげるわ」

 そう告げてセガルの唇は綺麗な弧を描いたが、年齢不詳のあの目は――笑っていなかった。



 * * *



「今日は泊まって行くんでしょ」

 決定事項のようにセガルが言う。

 三人が顔を見合わせる間も無く「部屋も夕飯も用意しておいたわ」と言われてしまえばもう断る事など出来なかった。

 

 セガルに連れられて一度屋内へ入り、黒衣の魔術師たちの居る部屋を抜けて長い廊下へ出る。

 用意された客室はここへ来る途中に通った中庭の辺りにあるというので、来た道を戻るように廊下の左手へ足を向けたのだが、フアナは右手の方――背後をしきりに気にしているようだった。

 ちらちらと振り返るのに気がついたのだろう。セガルが足を止めそちらへ目をやった。

「気になる?」

「……何かあるんですか?」

 フアナが見つめていたのは、突き当たりにある大きな両開きの扉。

 行きにもそちらを気にしていたし、どうやら彼女には無視できないような物であるらしい。恐怖とは違うが、酷く緊張した面持ちでそちらをじっと見つめている。


「あそこから、凄く強い、風の魔力の匂いがするんですけど」


 匂いと言われてジアードも思わず鼻を動かした。だが勿論、魔術の匂いなんてものはわからない。廊下の片隅に生けられている百合の花の匂いが漂ってきているが、それだけだ。


「あれはミラティスの部屋よ」

 特に隠し立てをする様子もなく返された答えに、フアナはぴしりと固まった。

「ミ、ミラティス――様!?」

 あわわわ、と言葉にならない言葉を漏らす様子を見てジアードは首を傾げた。

「誰だ?」

「な、何言ってるの!? 知らないの!? 第一位の魔術師よ!」

「ああ――引き篭もりの」

 確か温泉宿でギルに魔術について解説してもらった時にそんな説明を聞いた。

 魔力が強すぎるせいでいつも力を持て余してる引き込もりの魔導師。

 なるほど、偉いから立派な部屋に住んでいるんだな、とジアードはその程度の感想を持った。

 だが、フアナは目を丸くしたまま感極まった声を上げる。


「こんなに距離があるのに、こんなに魔力が漏れてくるなんて……!」


 「こんなに」が「どんなに」かわからない騎士二人は苦笑するしかない。

 魔術師が特殊なのは普通の人に見えない力があるとか、滅多に生まれないだとか、そんな事じゃなく、その魔力至上主義な所にあるのではないかとすら思ってしまう。

 交わす視線には若干の呆れが含まれていた。


 フアナが興奮する様子を見ていたセガルがくすくすと笑う。

「よっぽど良い事があったのかしらねぇ?」

 そう言って彼女が見上げたのはダウィだ。彼は件の扉を指して嬉しそうな、でもどこか嫌そうな、複雑な表情を見せる。

「『彼女』機嫌良いの?」

「ええ――とっても美味しい魔力」

 赤い舌でちろりと唇を舐めた。

「駄々漏れ?」

「ええ」

「結界は?」

「張ってな――あ、今慌てて張っている所みたい」

「また俺達の会話を盗み聞きしてたんだね」

 その質問には答えず、セガルは肩を竦めた。


「綺麗な結界……」

 恍惚とした表情でフアナが突き当たりの扉を見つめていた。

 ジアードにはただの廊下とちょっと豪華な扉にしか見えない。


 いや、良く見れば日陰なのにきらきらと光っている……か?


 それは今まで見てきた魔術の結界とはだいぶ印象が違う。

 どれも括ってみれば「燐光」なのだけれど、ギルの結界は真夏の湖水のように揺らめいて見えたし、フアナの結界は火花が舞い踊るようだった。だが、これはそのどちらとも違う。これは――静謐。

 まったく「動」を感じないのだ。

 フアナが言うのはその事なのだろうか。

「均一で高密度で……なのに透明感がある結界だわ」

「それって凄いのか」

「私にはまずこんな結界の構成を思いつかない。それ以前に維持するだけの魔力がないわ。本当に――桁が違う」

 それを聞いて、セガルが何故か自慢げに頷く。

「昔は『守護姫』なんて二つ名で呼ばれていたくらいだもの。結界は彼女の十八番よ」

「守護姫――」

 姫と聞いてイメージしたのは、イーカル王妃の姿だった。

 漁師の倅から軍人になった生粋の庶民じゃそんな「姫」なんて呼ばれる人物と会う機会なんて早々無い。


 いや、王族じゃなくて貴族のオヒメサマだったら知らない事も無いが、彼女は――


 脳裏を過ぎったのは、父親の背中に隠れてこちらを見上げる十年ほど前の幼さの残る双眸と、隣を歩く騎士と目を合わせて笑う半年ほど前に見た横顔。騎士の耳には彼女が贈ったというピアスが揺れていて……騎士は首元にかかる髪をかき上げて……

 連想するように思い出される記憶をジアードは首を振って払い、意識してフアナ達の会話へ耳を傾けた。

「あんなすごい結界みちゃったら、そんな二つ名がつくのも納得です」

「彼女の場合、結界が得意っていうのも良し悪しよ。

 機嫌が悪くなるとすぐ結界を張って出てこなくなっちゃうの。

 そうなるともう、大変。ギルが『引きこもり』なんて渾名をつけるくらい、何をしても出てこないんだもの。

 前に結界魔術の第一人者であるソユー――貴女のお婆さんにあの結界をなんとかしてもらおうと思って相談したんだけど、彼女でも糸口すら見つけられなかったって」

「おばあちゃんでも!? さすが第一位の魔術師様!」

「そんな異常に頑丈な結界があるからフアナ達もあの部屋には入れないとは思うけど……一応あそこは立ち入り禁止、ね」


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