魔術師の森
ぶんぶんと手を振るマヌと別れ、馬車を降りた。
その姿が見えなくなるまで見送ってから、改めて周囲を見回す。
「こんな所に魔術師連盟の本部があんのか」
口にしたのは、行き交う人もそう多くない目抜き通りを見た素朴な感想だ。
食料品や日用品を扱う店が並んでいるが、宝飾店や土産物屋などはない。飯屋や飲み屋はあるが客引きが声をかけてくるような歓楽街はない。
必要最低限のもので構成されている街というのがジアードの印象だった。
そう。魔術の道具を扱う怪しげな店があるわけでも、魔術師が闊歩しているわけでもないのだ。
そこは何の特色のない――小規模と中規模の間くらいの、ごく普通の街だった。
拍子抜けたジアードの感想を同行者の二人は驚くでもなく受け止めた。
「本部の別名は『魔術師の森』よ。森の中にあるの」
フアナが家々の向こうに鬱蒼と茂る木々を指差す。
首を巡らせればその緑の壁が視界のずっと先まで続いていることがわかった。
自然溢れる山道の先にあったアルヴィン・ローリーのウクバの森に比べれば拓けた場所にあるが、林と呼ぶには目に入る緑の量が多すぎる。
だが――
「なんでまたそんな所に」
別にこの街だって随分土地に余裕があるのだから、ここに本部を建てれば良いではないか。
だが、その考えはどうやら素人考えだったらしい。
「魔術師連盟の本部は修行の場でもあるのよ。
修行っていうことは、魔力が暴走する事もあるでしょ? だから迷惑をかけないように人里離れた所に魔術師だけの村を作ったんだって。お婆ちゃんが言ってたわ」
魔力の暴走と聞いて、ジアードはまたダウィの嫁の破壊した馬車を思い出す。
あれは砂漠のど真ん中だったからまだ良かったが、街中で起きたら天災どころの騒ぎじゃない被害になるのだろう。
「そりゃ確かに、街中には建てられねえなあ」
「それだけじゃなくて、昔は魔術師自身の身を守るためにも必要な手段だったんだよ」
口を挟んだのはダウィだ。
「昔はね。魔術師と結婚しようって人が多かったんだ。特に貴族に」
フアナがわずかに眉を顰めた。それを見てダウィは少し言葉を選ぶように、空を仰いだ。
「魔力が戦力だった時代――結婚なんて生ぬるい事を言うヤツはまだマシな方で、力ずくで子供を生ませようとした下衆だって大勢いたんだ。
そんな屑から身を守るためにも、彼らは寄り添いあって生きてきたんだって」
より強力な魔術師を擁するものが権力を得られた時代には、魔術師との間に子供を作る事で血族に魔術師を得る事が近道だった。その為には手段を選ばない。
それが当時は当たり前だったのだとダウィは言った。
魔術師であり年頃の女性でもあるフアナが顔をしかめる訳だ。
「そんな事が今でもあるのか?」
「ないわよ」
フアナは即座に否定する。
「魔術師の子供が成人するまで生き残れる確立は三割しかないの。死因の八割は魔力の暴走ね。
特に力の安定しない成長期に魔力の暴走は付き物だし、大人になってからだって精神的に不安定になれば起こり得る事なわけ。
魔力の暴走は周囲にいる大勢を巻き添えにするわ。同じ屋敷に住んでいる一族郎党が全滅したなんて昔はよくあった話。だから、戦争がよくあった時代ならともかく、平和な今は魔術師を血族に引き入れる方法はリスクが高すぎるんですって。
まあその分、円熟した実力のある魔術師の所にはお抱え魔術師を得ようと取り入ってくる貴族が後を絶たないんだけど」
「魔術師ってーのも大変なんだなあ」
「そうなのよ。
でも、この『魔術師の森』は、そうやって政治利用しようとする人たちからも私たちを守ってくれるありがたい存在なの」
「――で、そこは遠いのか?」
「子供の頃に行ったきりだけど、七歳でも歩いていけたからそんな距離でもないんじゃないかしら」
フアナのペースにあわせ、のんびりと町外れへ向かう道を歩き出す。
いや、本当に普通の街だ。
今の所魔術師らしき人影は無い。
フアナのようにただの町人のような格好をしているだけなのかもしれないが……それにしたって、普通過ぎる。
路地の奥では子供が石を蹴って遊び、白い猫が昼寝をしている。
パン屋を覗けば、竃にシャベルのような道具をつっこんで薄焼きパンを焼いている。
井戸の側では水汲みに来た女達が、夫の愚痴に見せかけた惚気話を交わしている。
長閑な田舎町の光景だ。
「門が見えてきたよ」
町外れの、丁度住宅が途絶えたあたりでそれが見えた。
ダウィの指差すのは小さな小屋。そこから森を囲むように木の柵が巡らされていて、真ん中に位置する小屋はさながら関所と言った所だろうか。
だが緊張感も何も無いし、衛兵の姿も無い。
「こんにちは」
道に面した小窓からダウィが声をかけると、中から中年の男性が顔を出した。
やはり町の人々と同じ、普通の男だ。
少し警戒する様子を見せながらも作り笑顔を浮かべてこちらを見ている。
「客か。森になんか用か」
「辺境騎士団のダウィです。相談があって来ました」
「評議会でいいのか?」
「ええ。ソユーの孫が一緒だと伝えてください。」
男はちらっとフアナを見た。
「辺境騎士団のダウィに封印師ソユーの孫だな。ちょっと待ってな」
一旦頭を引っ込めると、鳩を一羽連れて裏口から出てきた。鳩の足には何か括り付けられている。
伝書鳩なのだろう。
空へ放り投げられた鳩は慌ててばたばたと羽を動かして、やがて森の奥へと飛び去っていた。
「あんた達の来訪は知らせておいた。後はここから一本道だ。気をつけてな」
男は小屋のすぐ脇の木戸を押し開け、一行に中に入るよう促した。
道はまっすぐ森の中へ続いていた。
* * *
外からみると鬱蒼と茂って見えた森も、中に入ると意外と明るかった。
道が広いのでその分光が入るのだ。
足元に深い轍が刻まれている所からすると、森の中へ生活物資などを運ぶために馬車の通れる幅の道が必要だという事だろう。
振り返っても番人の居る小屋が見えなくなったところで、フアナがそっと鞄を開いた。
「おいで、ローリー」
「キュィ」
控えめな声で小鹿が鳴いた。
鞄の中から顔を出し、辺りを確認するように風の匂いを嗅ぐ。
明らかに「普通の動物」では無い小鹿はなかなか表に出してやる事が出来ないが、ここなら安全だ。
フアナは道端に生えていた赤い木の実を摘み、小鹿の口元に寄せた。
くんくんと匂いを嗅いでからぱくりと口に含む。
愛らしい仕草に全員の頬が緩んだ。
しかし、その笑みもすぐに凍りつく事となる。
タイが同じようにふんふんと木の実の匂いを嗅ぎ、木の実のたわわに実った枝にがぶりと食らいついたのだ。
満足げな顔でこちらをねめつけるタイの口元は果汁で真っ赤に染まっている。
「……タイがやっても可愛くないよ?」
若干あきれが篭った声でフアナが呟いた。
しばらく木の実や草を食み、小鹿はフアナの腕の中でうつらうつらと舟を漕ぎ始めた。
今日中にその魔術師連盟の本部に着けば良いのだ。時間はたっぷりある。
木漏れ日の穏やかな光を浴びながら静かな森の道をゆっくりゆっくり歩き出した。
「魔術師連盟ってのはどんな所なんだ?」
ジアードはなんとなくそんな事を聞いてみた。
役割はさっき聞いた。
魔術師達が情報交換をしたり仕事を融通したりする所だ。それに、迫害される虞のある魔術師を守りながら、魔術師達が無茶しないように見張る機関でもあるらしい。
だからわからないのは役割ではなく性質の方だ。
フアナとギル以外の魔術師とはまともに話した事がないので、極端な話、敵か味方かがわからない。
魔術師連盟の本部についたらどのように振舞えばいいのか。聞きたいのはそれだ。
ダウィは少し考えてから口を開いた。
「魔術師はね、大きく分けると二つの派閥があるんだ」
「派閥ったあ、いきなりめんどくせえ響きだな」
ジアードが昔居た軍にもそういうものが存在したが、ロクな思い出がない。
「そういうのって、人が集まれば自然と出来ちゃうものだよね。
魔術師たちの場合は表立って争ったりはしてないみたいだけど、どうしても相容れない部分があって、でもそれが部外者である俺たちには重要だったりする」
「その相容れない部分ってのはなんだ?」
「派閥の一つは、魔術師は外部との交流を絶って『森』に引きこもるべきという考え方の人たち。
もう一つの派閥は、もっとオープンになるべきという考え方の人たちなんだ。
まあ、理由はそれぞれでそう簡単にくくれないんだけどね。
基本的には、俺たち部外者に対して友好的なのは後者だと思えばいい。
そして、引きこもるべきと考えている人にも二種類いる。
一つは『森』の外で迫害を受けて、外に対して強い恐怖感を抱いている人。
もう一つは、魔術師は魔術師の血統を守るべきだと考えている人。俺が嫌われているのは主にこういう人たちだね」
「なんで?」
「魔力は遺伝するからだよ。
魔術師同士で交配することで魔力の純度を高めてより強力な魔術師を生み出そうという考え方の人たちからすると、『虫けら以下』の俺が魔術師に手を出してかっさらっていったのが許せないらしい」
彼が魔術師である嫁を娶った事を言っているのだろう。
魔力云々はわからないが、身分違いの恋の話で似たような言葉を聞いた事がある。選民思想というやつか。
「で、魔術師連盟はもっとオープンになるべきという考え方の人も、だいたい二つに分かれる。
一つはさっきの魔術師の血統を守るべきだという考えと間逆で、普通の人間と交わることで強力すぎる魔力を薄めて、究極的には消滅させようとする人」
「そんな奴もいるのか」
「魔術が使えるっていうと便利そうに聞こえるけどね。実際に魔力を持って生まれた人からするとそんな単純なものでもないんだって」
ダウィの言葉にフアナが力強く頷いた。
「魔術師は望んでなるものじゃないの。
魔力を持ってるっていうだけで魔術師になるしか道を選べず、何一つ希望の通らない人生を送る人もいるし、辛い思いをする事も多いわ。――そもそも一人前になるまで生きられない人も多いくらいだし」
普段は年相応の笑顔を浮かべるフアナが、やけに大人びた顔をする。
彼女も苦労をしてきたのだろう。もしかしたら命の危険を感じたことがあったのかもしれないし、魔術師以外の将来の夢があったのかもしれない。
ジアードもまた人生を選べない辛さを知っていた。子供のうちに敵国に捕らえられ、明日も知れない戦場へ容赦なく叩き込まれた過去は、今も心の奥底に大きな傷となって残っている。
ジアードとフアナがそれぞれに奥歯を噛み締めるのを、ダウィは一人静かな目で見つめていた。そして彼らの様子に気づかぬ風に淡々と言葉をつむぐ。
「最後の一つは、外から受ける差別をなくすために相互理解を求めるグループ。
俺たちに対して一番融通を利かせてくれる人たちだね。
幸いな事に今の評議会はこちらが優勢だから、話が通り易い――んだけど、ねえ」
ダウィはその場で足をとめ、不快を顕にした顔で道の先を睨んだ。
「評議会で一番融通を利かせてくれない奴が来た」




