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英雄の名前

 辺境騎士団


 そう大陸共通語で書かれた門を通り、玄関の扉を押し開けると、そこにはカウンターで仕切られた事務室と小さな待合室があった。

 一見すると役所のようにも見えるつくりだ。

 ここは何度も訪れた事がある。男は迷う事なくまっすぐにカウンターの右隅に置かれた「受付」の札の前に立った。

 長い髪を耳の後ろでひとつに束ね、眼鏡をかけたいかにもお堅そうな女性が、男の顔を見るなり渋い顔で口を開く。

「紹介状を持ってらしたんですか?」

「いいや」

「何度いらしていただいても、推薦状も紹介状も無い方には――」

「俺の故郷にはそんなん書ける奴がいねえんだよ」

 男は背負っていた大荷物をどかどかと足元に置き、カウンターに寄りかかるような姿勢を取った。

 どうせ話がすぐ済むとは思っていない。それは受付嬢にも伝わったのか、彼女もさっさと話を切り上げようという態度を取った。

「でしたら、どこかで書いていただける方を探して下さい」

「この国には来たばっかで知り合いも何もいねえって言ってんだろ」

 もう何度目になるかわからない言葉の応酬。

 受付の女性の顔にも『うんざりだ』と書いてあるようだったが、男もすでに飽き飽きしていた。

「ですから――」

 女性がこめかみをひくひくさせながら男を追い返す言葉を口にしようとした、その時、男の耳に耳慣れた郷里の言葉が飛び込んできた。


『一週間も粘ってるイーカル人がいるっていうから見に来てみたら。君だったのか』


 振り返ると、親しげな笑顔で歩み寄ってくる青年がいた。男はすぐに青年の事を思い出した。

 特別親しかった訳でもないし、最後に会ったのも三年ほど前になるが、青年は一度見たら忘れられない容姿をしていたからだ。

 輝く金色の髪に、琥珀を埋め込んだかのような色をした瞳――

「ダウィ」

 青年の名を呼ぶと、「おれもいるぞ」とでもいうように、青年の影から大きな白い犬が顔を出した。

 男はこちらにも見覚えがあった。青年の飼い犬だ。名前は……

「タイ、向こうで待ってろって言っただろ」

 飼い主に叱られ、犬は耳を伏せてとぼとぼと奥の事務室の隅へと去っていった。

 棚と棚との隙間に敷かれた毛布が彼の居場所らしい。拗ねた様子でそこに丸くなった。

『久しぶりだね』

 青年は三年前と変わらぬ様子で男の肩を叩いた。

『入団希望なんだって?』

『ああ。だけどこの姉ちゃん、紹介状の無い人を通すわけには行きませんの一点張りだ』

 ちらりと見ると、未だ苛立った様子で成行きを見守る受付嬢の姿があった。

『この国に知り合いとかいないの?』

『ウチの国はこの間まで鎖国してたからな。居るわけがない』

『よくそんなので国を飛び出して来たね』

 苦笑しながら、ダウィは受付嬢に大陸共通語で言った。

「これ、俺の知り合い。紹介状とか必要なら後で書くから、とりあえず奥いいかな」

 女性は困惑した顔で頷いた。

『立ち話もなんだし、向こうに応接室があるからそっちへ行こう』

 ダウィがカウンターの端の扉を開け、こちらへ来るようにと促すので、男は戸惑いながらも、荷物を抱えてその後を追った。

『……話には聞いちゃいたが、本当に辺境騎士だったんだな』

『うん。まあね』

 ダウィは小脇に抱えていた分厚い本を犬の寝床の側の机に放り投げた。

 そこがダウィの机らしい。整理整頓はされているが、積まれた本が山になっている。

『そういえば、向こうでもいつも本読んでたな』

『本なら何でも良いんだけどね。字を見てるのが好きなんだ。

 お茶位しか出せないんだけどいい?』

 棚から取りだした茶器を抱え、先に立って歩き出した。




『――そんな志望動機で』

 ダウィは心底呆れたように言った。

『一応ここは大陸の調和と安定を看板に掲げている公正な治安維持組織なんだから、たとえ嘘でも『世界平和のために』くらい言っておこうよ』

『……それは確かにそうかもしれない』

 男は、「辺境騎士団本部」という名のいかついイメージの場所にあるのが不自然なほど可愛らしい動物模様のカップに口をつけた。

 この国ではポピュラーだというこのお茶は、故郷の物とは違い渋みの無い軽い味がした。

 向かいに座る金色の青年も、もち手に猫を模したらしい細工のある少女趣味なティーカップを取り上げて一口すする。

『まあ、俺はそういうの嫌いじゃないけどね』

 その時、どんどんと乱暴なノックの音と同時に扉が開かれた。

「使用願いもださないで応接室を使っている奴がいると思ったら、やっぱりお前か」

 顔を覗かせたのは辺境騎士団の制服に身を包んだ壮年の男性。かなり鍛えているのだろう。コートに隠れてはいるが、がっしりとした体型をしているのが見て取れる。

 ダウィは首をすくめてから扉に駆け寄った。

「後で出すよ」

「それから、帰って来たなら報告書」

「それも後で」

 全て「後で」で済ませるダウィに「今日中に出せよ」と念を押し、制服の男は客人に目を移した。

「……この間からよく見るイーカル人だな」

 客人に聞こえないよう小さな声で言ったのだったが、ダウィはさして気にする風でもなく声を落さず答えた。

「うん。知り合い。ジアードの秘蔵っ子だよ」

「ジアードの?」

 制服の男は興味を引かれた様子で男の頭からつま先までを観察するようなそぶりを見せた。

 長旅でボサボサと伸びた髪に無精髭。着る物は、汚れてはいないが、汚れていないというだけのものだ。

 ソファの横に詰まれた荷物も砂や埃で白っ茶け、浮浪者とそう変わりはしない。

 だが、浮浪者と明らかに一線を画しているのはその体躯。首周りや袖口から見える手首の肉付きだけで、素人にだって只者でない事がわかるだろう。

「ふうん」

 特に感想を言うでもなく、ただ視線を送ってくる。

 観察される側の男はなんとなく気まずい気分になり、視線に気づかないふりをしてカップに手を伸ばしたが、ダウィの言葉がそれを打ち砕いた。

「貴族のお姫様に惚れて、その娘のために辺境騎士団に入りたいんだってさ」

「――ぶっ」

 口に含みかけたお茶を噴出した。

「うわ、汚い」

「お前! 今、志望動機は誤魔化しておけって言ってなかったか?!」

「ああ、こいつは大丈夫」

 ダウィに指された指を掴み、制服の男は脅すようにダウィを睨んだ。

「上司に向かってこいつとは何だ」

「はいはい。スイマセン」

「『はい』は一度」

「はい」

 ようやく開放された右手をふり、大げさに痛がって見せるダウィに制服の男が聞いた。

「それで、使えるのか」

「俺が推薦状書いてもいいくらいにね。

 直情馬鹿で融通が利かない所もあるけど、真面目だし、本当に私利私欲で動くような奴じゃないよ」

「ふうん」

 先ほどと同じように頷くと、もう一度値踏みするように男を見た。

「イーカル語を話せるんだな」

 ダウィは頷きながら答えた。

「むしろ共通語の方が心配」

「こちらの言葉は聞き取れているようだし、会話には問題なさそうに見えるが」

「文法も発音もよく似てるから、例えば『e』っていう音が『i』になるとか、そういう簡単な法則さえ掴めば話すのはすぐらしいよ。

 問題は書くほう。母音や子音の数が違う分スペルもだいぶ違うし、イーカル人には字体が複雑に見えるらしいんだ」

「ふうん」

 これは口癖なのだろうか。また曖昧に相槌を打つように呟くと、ダウィと客人を見比べ、それから告げた。

「――お前の下に猪突猛進ばかり揃えるのは不安だが、お前が面倒見るならいいんじゃないか」

「げ」

 ダウィは心底嫌そうな声を上げる。

「ただし試験は受けてもらうぞ。

 それから一年後には正規に使えるようになるっていうのが条件だ」

「厳しいな」

「無理ならいらん」

 男は棚に近づくと、引き出しから一枚の紙を取り出し、机の上に置いた。

「やる気があるなら、試験の申込書でも書いてくれ」

「ええと……」

 くねくねと曲がりくねった文字が躍る用紙に戸惑っていると、ダウィが助け舟を出した。

「一番上に日付、ここが名前。こっちが連絡先。その下が略歴と志望動機。あ、志望動機は『世界平和』ね」

「一番上が日付……」

「お、共通語で書けるんだ」

 さも意外そうに言われる。確かに母国じゃ大陸共通語なんて使うヤツはいなかったけれど、学校へ通えば一応は教わるものだ。

「少しなら読み書きできる。――ここが名前だったな」

 ペンを握りなおし、左上の升目を埋めにかかると、ダウィが首をかしげた。

「あれ? そんな名前だっけ」

「ああ、あっちじゃどこへ行っても同じ名前の奴がいるから、皆苗字で呼ぶんだ」

 彼の名前は、四百年前の聖戦の折に大陸中央部を救った英雄にあやかったものだった。彼の生国や周辺地域ではごく有り触れた名前である。

 ダウィはその名を見てにやりと笑うと、後ろで待つ上司を振り返った。

「ゼア、こいつの名前」

「うん?」

「ジアードって言うんだって」



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