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故郷の景色

 眺めの良い場所に至ってようやく荷物を降ろした。

 同時に、口から漏れ出る深い吐息が白煙のように広がる。

「随分寒くなってきたな」

 気温は冬の砂漠より断然マシだが、この辺りは寒さの質が違う。

 真綿で首を絞められるようにじわじわと末端から冷えていくのだ。

「標高もあるからね」

 マントの前をかき合わせ、マフラーに顔の半分まで埋めたダウィが応えた。

 眼下には、昼前に魔術師ギルと別れた町がある。

 彼はあそこから西へ進み、山脈を越えて隣国であるサザニア帝国へ向かうらしい。

 そしてジアード達はこの坂を上った先にある町へ向かう。

 地図を見る限りはあとほんの少し。日暮れ前にたどり着けるはずだ。

「ぷはっ」

 水筒を口から離し、フアナが幸せそうに息を吐いた。

「ねえねえ、あそこが目的地?」

 先程の町とはまた別に、山間に屋根がいくつか並んでいるのが見える。

 だがあれは町というには小さな集落だし、目的地とは方向が少し違うように思う。

 ダウィも首を横に振っていた。

「あれは――煙が随分昇ってるから精錬所じゃないかな」

 確かに、集落のあちこちから白いものが立ち上っている。

「温泉の湯気じゃないの?」

「よく見ると煤けてるでしょ。だから湯気じゃないなあ。

 この辺りは鉱石が豊富に採れるから、あれは鉱石を溶かして鋳塊を造っているんだと思うな」

「ちゅーかい?」

「鉱石を溶かして不要な部分を取り除いた物だよ。それを鍛冶師のいる町まで運んで鍋釜とか刃物や武器に加工するの」

「へえー」

 関心したように煙を見つめるフアナの頭をぽんぽんと叩き、ダウィは煙よりだいぶ東側を指差した。

「今日泊まる町はあっちだね。

 で、最終目的地のウクバの森はその町から歩いて数分。もうちょっと登れば見えるかな」

「おぉ! 楽しみ! 綺麗だろうなあ~」

「もう冬の始めだからあの絵の通りにはいかないかもしれないけどね」

「そっかー。蝶ももう飛んでないしねー」

 二人の会話に何かひっかかるものを感じた。

 彼らが何かを前提として話しているのはわかるが、それが何かわからない。

「あの絵?」

「ジアードも一度見たでしょ。フアナが運んでいる絵本の事だよ」

「ああ……鹿が雪の中を彷徨う話。なんだ。ウクバの森っていうのは、あの絵本に出てきた森なのか」

「今更ぁ?」

 あきれたように言うのはフアナだ。

 確かに目的地の名前は最初から聞かされていたが、旅を始めた頃はいっぱいいっぱいできちんと理解していなかったのだ。 

 そう言って詫びると、フアナが胸を張って咳払いをひとつした。

「私達『運び屋』は魔力の篭った荷物を運ぶのが仕事です。それはいい?」

「ああ。魔力を帯びた物を封印して安全に目的地まで届けるんだっけか」

「そう。例えば、魔術に使うアイテムを魔術師連盟の本部から支部へ移動させたり魔術をかけたプレゼントを依頼主から相手へ届けるっていう事もあるわ。

 でも今回みたいに死霊や何かの思念が憑いている時、呪いがかかっている時なんかはそれを『処理』するのも仕事に含まれているの」

「処理?」

「呪いなら解呪。死霊は滅するのが簡単で手っ取り早い方法だわ」


 ……それは簡単なんだろうか。


 魔力の無いジアードにはわからないが、ダウィも首を横に振っているのであくまで「魔術師にとっては」という話で良いんだろう。

「でも、こういう思念が憑いてるのは面倒臭いの。

 思念って実体が無いじゃない? 死霊みたいに取っ払えばいいって訳にいかないのよ」


 ……死霊だって実体が――ああ。またダウィが首を横に振っている。これも「魔術師にとっては」なんだな……


「ようはその『思念』ってのを取っ払うために、ウクバの森ってとこに行くんだな?」

「うん。思念を開放するにはそれと関係のある場所や縁の深い人のいる所で『解放の魔術』を使うのが一番なの。

 だから今回はこの絵本の舞台で魔術を行う事にしたのよ」

「そこが舞台だってのはどっかに書いてあったっけか?」

 ジアードは一度だけ読んだその話を思い出す。


 鹿の子供が豊かな森の中で暮らしていた。

 ある年、初めての「ともだち」ができた。

 だが「ともだち」は「まっしろ」が来るから「まっくろのせかい」へ帰ると言い出す。

 「まっしろ」が居なくなったら戻ってくると言っても別れを渋る小鹿に、「ともだち」は「ともだちのしるし」を渡す。

 小鹿は再会を願うが「ともだちのしるし」を失くしてしまう。そしてそれを探して雪の中を彷徨うのだ。

 何枚も続く雪の絵。小鹿は立派な角を持つ大人の鹿になってもなお彷徨い続け、やがて吹雪の中へと消えていく――


 絵が写実的なのに内容はひどく抽象的で、地名はおろか、主人公の名前も「ともだち」の姿も出てこなかったような気がするのだが……


「地名はどこにも書いてないんだけどね。作者の生まれた町が、次に行く町なんだって」

 フアナの言葉を継いだのはダウィだ。

「作者のアルヴィン・ローリーはウクバの森の側で生まれたんだ。

 でも父親が反政府的活動を始めて、子供のうちに生活の場を首都に移した。周囲に流されるように反政府的活動に身を投じた彼も、成人直後に国家反逆罪で逮捕・投獄されて、獄中で画家としての才能を開花させた。

 そしてその後、六十を過ぎてから追放という形でウォーゼル王国に居を移した。その頃には病気で殆ど歩く事が出来なくてアトリエに篭りきりだったというから、彼の人生において森を見る機会は少年期にしかなかったといえる」

「だからあの絵本の舞台がその故郷の森だって訳か」

「植生からしてもそうだろうね。温暖なウォーゼルと極寒のローラクじゃ、木の種類からして全然違うんだ。

 記憶だけであれだけの絵を描きあげたというのもそれだけ思い入れのある場所だって証拠だと思うよ」

 確かにそれは凄い思い入れだ。自分が子供の頃住んでいた場所を思い出してみればわかる。なんとなくの雰囲気は覚えていても、絵心以前の問題であんな緻密な絵を描くほど細かい所を覚えていない。


「さて、もう休憩は大丈夫?」

 ダウィは一番体力の少ないフアナに確認した。

 若さゆえか元気に頷き、彼女は荷物を抱えなおす。

 フアナの荷物は今日も大きな肩がけの物と背中のリュックサックの二つだ。

 出会った頃はパンパンに膨らんだ荷物が華奢な体には重そうだと思っていたが、その大部分は今着ている上着であったらしい。この国に入ってからは逆に「そんな少しで着替えが足りるのか」と聞きたくなる程だ。

 なんでも荷造りはいつも「運び屋」の先輩でもある祖母任せなのだそうだ。旅から旅の生活を続ける「運び屋」は必要最小限の荷物の選び方から服の畳み方に至るまであれこれとノウハウがあるらしい。

 同様にダウィも荷物が少ない。くるくると丸めて縛った毛布を除けば、いつもの長剣と肩から斜めにかけた鞄が一つで、それこそ隣町にでもでかけるのかという程の軽装だ。いや、彼もこの国に入る前は荷物が二つだった。だがやはり荷物の殆どが防寒具だったので、それらを身に纏うようになってからは空いた鞄を小さく丸め、もう一つの鞄にしまってしまったのだ。この小さく畳める薄く丈夫な素材の鞄というのも、旅の多い辺境騎士流のノウハウの一つであるらしい。

 一人荷物が多いのはジアードだ。

 体を鍛えてあるので重量は気にならないが、旅慣れていないせいでどうにも嵩張ってしまう。

 腰に下げた剣と背中の背嚢に、そこから飛び出すもう一本の剣。左肩からかけた着替えの入った鞄。そして――

「よっこらせっと」

 最後に布で包まれた一番重い荷物を背嚢に載せるように背負って立ち上がる。

 その様子を見ていたフアナが首を傾げた。

「ジアード、それって何入ってるの?」

「あー?」

「その大きいやつ」

「ああ。盾」

「盾?」

「ウォーゼルに盾って無いのか?」

「あるよ。こういうの」

 細い指が空中に描いたのは下の尖った五角形。

 ジアードの母国でもよく似た形のものがあったから彼女がかなり大きな物を想像しているのだとわかった。

 再び荷物を広げると時間がかかるのでジアードもまた空中に絵を描くように説明する。

「俺のはこれくらいの丸い盾なんだ。ウォーゼルの物よりだいぶ小さいだろうな。それで、こんな風に六本の刺がついてる」

「トゲ!?」

「突起っつーのか? まあ串刺しに出来るほどの長さじゃねえけど、そこに敵の武器を引っ掛けて絡め取ったりできるな」

 本当は胴の串刺しは無理でも頭蓋骨を叩き割るくらいはできるのだが、その説明はさすがに自重した。一般人の少女にするような話じゃない。

「だからそんなに厚みがあるのかー。箱でも入ってるのかと思ってた」

「言われて見れば確かにそう見えるなあ」

 突起部分に高さがある上、それを守るために何重にも布を巻いているため、厚みが直径の半分ほどになっている。確かにこの形では盾に見えないだろう。

「これで謎の荷物を持っているのはタイだけね!」

「ん?」

「ジアード、タイの鞄の中って何が入ってるか知ってる?」

 フアナは先を歩くあの白い犬を指差した。

 その背中で小振りな茶色いリュックサックが歩みにあわせて揺れている。

「……干し肉とかか?」

 咄嗟に出てきたのは犬のおやつの定番だ。後は救助犬が気付けの酒を持ち歩くという話を聞いた事があるが……

「私もそう思って『食べ物?』って聞いたらタイは『違う』っていうの」

「犬は着替えねえしなあ」

「お金や旅券も必要無いもんねー」

 自分の荷物をひとつひとつ思い浮かべてみるが、食べ物以外に犬が必要そうな物が思いつかなかった。

 飼い主の荷物を預かっている可能性が無いわけでもないが、ダウィだってあの軽装だ。わざわざ持たせる必要も無い。

 小さな鞄は丸く膨らんでいて、固そうだったりゴツゴツ尖ったりはしていない。となると、布製品か布で包まれた物か……

「わっかんねえなあ」

「何入れてるんだろうねー」

 




 タイに飛びつきリュックサックをこじ開けようとするフアナと、走って逃げるタイの鬼ごっこという一幕はあったものの、概ね何事もなく夕方前には目的の町についた。

 地域の領主の居城もあるという、田舎にしては大きな町だ。

 背景には山脈とそこから続く深い森があり、荒地育ちのジアードも都会育ちのフアナもそれぞれに「自然が豊かな町」という感想を抱いた。

「あの森がウクバの森なんだね」

 宿の窓から外を眺めていたフアナが感慨深げにつぶやいた。

 ベッドに荷物を広げ、着替えを用意しようとしていたジアードも夕焼けに赤く染まる森に目をやった。

「あそこでなんとかの魔術ってのをやるんだっけか」

「解放の魔術、ね。

 でもまだ期限までにだいぶ余裕があるから、明日はちょっと調べ物をしたいと思ってるんだ」

「何を?」

「魔術を行うのに一番適した場所を探すの」

「ああ。縁の深い場所で魔術をやるのがいいとか言ってたな」

「絵本の舞台になった場所がこの町の近くにあるんじゃないかとおもうのよ」

「あの真っ白な――いや、最初の森の絵か」

「そう。森の中の陽だまり。小花が咲き乱れる場所。苔生した倒木や落ち葉の溜まった小鹿の寝床……百年も前だからそのまま残ってるとも思えないけど、できるだけ『その場所』の近くで魔術を行った方が成功率が上がるわ」

「つまり明日は町の役場とかに行って、アルヴィン・ローリーと縁のあった場所について調べりゃいいんだな」

 魔術だ思念だと言われてもさっぱりわからないが、過去に実在した人間について調べるならジアードでも手伝えることがありそうだ。

 すると、それまで黙って部屋の隅で本を読んでいたダウィが口を挟んだ。

「でも、アルヴィン・ローリーって本名じゃないよね」

「この仕事を受けた時に図書館で彼の書いた本を探したの。そこには政治活動用の名前だって書いてあったわ。本名までは載ってなかったけど」

「本名がわからないと普通は役所じゃわからないだろうな」

 そういわれて困った顔をするフアナに同情したのか、「アルヴィン・ローリーは有名人だからなんとかなるかもしれない」と付け加えた。 

「ところで、この本なんだと思う?」

 ダウィは膝の上に載せていた本の背表紙をこちらに見せた。

 共通語とも違う、ジアードには読めない文字だ。フアナが小首を傾げながら小さな声で答える。

「それ……ローラク語?」

「ああそうか。共通語じゃなかった。

 これね、さっきフアナが言っていたアルヴィン・ローリーの自叙伝の原語版だよ。国境の町で見つけたんだ」

 どうやらジアード達が防寒具などを買い込んでいる間に書店へも寄っていたらしい。

「あの絵本に出てくる『まっしろなせかい』についてだけどね、ここにこんな事が書かれてるよ。

 『子供の頃、母も兄弟もない私は殆どの時間を一人森の中で過ごした。夏の家のあるその森は、冬には白い世界に変幻する』――だから彼の夏の家の場所を探し出して、その近くに行けば良いんじゃないかな」

「夏の家って何?」

「そのまま夏場に住む家という意味だよ。

 細かく言うとこの辺りでは二つの意味があって……一つ目は、この辺りが高原で夏でも涼しい事を利用した富裕層の別荘。彼の母方の実家はお金持ちのようだからその可能性も無いわけじゃないけど、自叙伝の中に『祖父が森で切って来た木で建てた家』という文章があるから多分もう一つの意味じゃないかな。

 それは森の中で仕事をする樵や猟師、茸や薬草を摘んで生計を立てているような人の住む家の事でね。

 そういう仕事をする人の多くは家を二つ持っているんだ。ほら、豪雪に埋もれる時期は仕事がなくなる上、雪で道が塞がって町との行き来が出来なくなるだろ。だから雪が融け始める頃まで森を出て町外れの仮の家に移り住むんだね。その二つの家を『夏の家』『冬の家』と分けて呼んでいる」

 そう説明してから、ダウィはフアナにもう一度あの本を見せて欲しいと頼んだ。

 絵の中に何かヒントが隠れているかもしれないからと。

 だが、「まっしろ」が来てから――雪が降り出してからのシーンには鹿と雪しか描かれていないし、序盤の森で幸せそうに「ともだち」との時間を過ごすシーンにも特徴的なものは何一つ描かれていなかった。

 ある意味一番特徴的なのはその鹿自身だろう。

「この動物は――鹿なんだよな」

 思わず確認してしまうほどに変わっているのだ。

 生きた鹿は見たことがないが、生まれた場所から遠くない山に子馬ほどのサイズの鹿が生息しているので、村長の家で毛皮を見たことがある。だがその時話に聞いたのとは随分印象が違う。

「これはエールジカだね。

 この絵の通り、凄く大きくて――なんといっても特徴はこの角」

「でかいな」

 大きくて重そうだ。生活に不便なんじゃないかと思われるほどに。

「うん。それに角の付け根に臭腺があって甘い匂いがするんだ。

 これを飾りにしたり、香木のように使うため、毎年何千頭ものエールジカが殺されていた時代があった」

 鹿が一年に何頭の子を生むのかは知らないが、馬と同じくらいのペースだとしたらそれでは何万頭居ようが確実に数が追いつかなくなる。ジアードは顔をしかめた。

「一時期は絶滅したって言われてたくらいなんだよ。

 昔はこの国の主要な輸出品だったんだけど、さすがに絶滅の噂が立ってからは規制された」

「――だろうな」

「こういう例はエールジカだけじゃなくてね。目的は骨だったり脂だったり毛皮だったり色々だけど、人間の欲望のために殺されて絶滅しそうな動物は沢山いるんだ。

 そういう動物を『捕るな』って言っても高値で売れるんじゃ止められないよね。だから売買の方を禁止しようって国際条約があるんだ。買い手がつかなければ捕る意味もないからね。

 今では大陸の東側では殆どの国が批准してる。マーレップ条約って聞いた事ないかな」

 ジアードは首を横に振った。

 いやもしかしたらどこかで耳にした事くらいはあるのかもしれないが、条約だとか協定だとかの名前はどれも似たり寄ったりで区別がつかない。

「イーカル王国にもそのうち批准の働きかけがいくと思うよ。大陸東岸国と貿易をするなら確実にね。

 批准したらその取締りも俺たちの仕事になる。だからこの条約の事は覚えておいて」

 少しだけ真面目な話をした後、フアナに「脱線ばかりでごめんね」と謝って、ダウィはまた絵本の方に話を戻した。


 フアナはその脱線話の最中ずっと絵本に書かれた文字を追いかけていたらしい。 

 最後のページをめくり、光沢のある布を張った見返しに至るとつまらなそうに溜息をついた。

「この話、オチがないのよね」

 確かにフアナの言うとおりだ。

 エールジカが雪の中を彷徨ってるところで終わってる。「ともだちのしるし」と表現されている贈り物の正体も、それを見つけたのかもわからない。

「こんな中途半端な本……誰に読ませたかったんだろうな」

「ジアード! それだ!」

 特に深い意味もなく呟いた言葉だったが、ダウィは嬉しそうに手にしていたアルヴィン・ローリーの自叙伝を閉じた。

「絵本は誰かに――特に文字が読めない子供なんかに見せるものなんだよ!」



 * * *



 翌朝、三人と一匹は霜柱を踏みしめながら大通りへ向かう小道を歩いていた。

 この辺りに多いのは、傾斜のきつい瓦屋根に赤っぽい煉瓦の家。必ずあるのは、立派な煙突と玄関に続く階段とポーチ。

 普段こういった特徴的なものがあれば、すぐダウィが嬉々として解説を始めるのだが、今日は静かに殿を歩いていた。

 様子がおかしいのでちらちらと見ていると、時折歩を止め背後を振り返りながら何事か考えているようだ。

「そっちになんかあるのか」

 何度目かに立ち止まった時に聞いてみた。

「絵本に出てくる友達は、今もいるのかなと思ってさ」

「絵本なんだから創作だろ?」

「モデルはきっとこの近くにいるよ」

 確信をこめた声に、ジアードもフアナも足を止めた。

「どういう事?」

 真剣な顔で聞いたのはフアナだ。

「絵本の中で雪の中を彷徨うエールジカは、アルヴィン・ローリー自身の事のように思えるんだ」

「そうね」

「じゃあ、贈り物をくれた友達は誰で、彼に何を渡したのかな」

「何を渡したっていうのは最後まで書いてなかったのよねー。

 でも、『誰』はヒントが無いわけでもないのか……吹雪が『まっしろのせかい』だとするなら、冬が来ると同時に『まっくろのせかい』へ帰る友達……?」

 フアナはぶつぶつと呟いた。

「それが比喩なら、夏の間だけ避暑に来ていたお金持ちの子とか湯治に来ていた病弱な子……かな。あ、湯治に来ていたのは親で、それについて来た子供って可能性も……。

 そうだとしたら、まっくろのせかいってのは何だろうなあ。『ともだち』にとって夢も希望もない場所という意味……?」

 考えている間も右足でざくざくと霜柱を壊し続ける。

 

「でもきみはもういないかもしれない――きみにはりっぱなあしがある。りっぱなつのがある。どこへでもいけるし、どこでもいきていけるじゃないか」


 絵本の中の一文を暗唱したのはダウィだ。

 それは再会を願う小鹿に「ともだち」が告げた別離の言葉。

「羨んでいるように聞こえるんだ。だからその『ともだち』は今もこの森の傍に住んでいるような気がする。

 百年も前の話だからもう死んでるかもしれないけど、森から去るのはエールジカであって『ともだち』じゃないんだ」


「『羨ましい? 大地に縛られた草が大空を自由に駆ける風に憧れるように?』」


 全員の視線が突然よくわからない事を言い出したフアナに集まった。

「あ、あたしじゃないわよ! タイがそう言ってたの!」

 ダウィがしゃがみこみ、タイと視線を合わせた。

 後ずさったタイはフアナを盾にするように背後に回り、耳と尻尾を垂れた。

「それはこの絵本とは関係ない事だよね。

 フアナもその犬の言う事なんて気にしなくて良いよ。所詮犬だから」


 ……表情からはわからないが、タイの言葉は相当機嫌を損ねたようだ。


「やっぱり、解放する前にその『ともだち』を探してみたいな。

 フアナは役場を調べるって言ってたよね。ジアードとタイはフアナと一緒に行ってあげて」

「ダウィはどうするの?」

「ちょっとその辺を歩き回ってみようと思う」



 * * *



 役所で話を聞くという役目は、その後の図書館での調べ物とあわせて結局夕方近くまでかかってしまった。

 目的の記録が百年前と古かった事もあるが、それ以上に役所の人間が渋ったのだ。

 ジアードが辺境騎士団の人間であると身元を証明してもそれだったのだから、フアナ一人だったらもっと時間がかかっていただろう。

 フアナは宿屋に戻ると、ダウィとの挨拶もそこそこに「疲れたー!」と言いながらベッドにダイブした。

 後から入ってきたジアードが慌ててそこに駆け寄る。

「それは俺のベッド! フアナは隣の部屋だ!」

「いいじゃない。それくらい。けちー」

「毎度の事だが、男の部屋に平気で入ってくるのがまず問題だってわかってるか!?」

「だってどうせダウィと調べてきた事を話すんでしょ?」

「だったらまずベッドから降りて――」

 ふと隣に気配を感じて視線を落とすと、タイが慰めるように見上げていた。

 

 ……犬に同情されるなんてなあ……


 何故か物凄く疲れてどうでも良くなった。

 小さな書き物机の前に置かれていた椅子を持ってきて腰を下ろす。

 その様子を笑いながら見ていたダウィがようやく口を開いた。

「何かわかった?」

 その問いには、勝手に枕を胸元に引き寄せて抱き枕のようにしたフアナが答える。

 勿論ジアードのベッドに寝転がったままだ。

「役場と図書館でアルヴィン・ローリーの記録を探してきたんだけどね。何もないの」

「元々無いの? 消されたの?」

「痕跡は残っていたけど、政治犯ということで抹消されたんですってー」

 やっぱり、と呟くダウィにはそれくらいの事は織り込み済みだったのだろう。

「ダウィの方はどうだったの?」

「百年前の事なんて知ってる人はいなかったよ」

「そうよねー」

「ただ『冬の家』の準備で町に来ていた樵の中に、お爺さんから話を聞いた事があるっていうお爺さんは居た」

 がばっとフアナが身を起こした。

「なになに、どんな話!?」

「町外れ――っていうよりもう森の中かな。猟師なんかが使う細い道があって、それを更に分け入った所の小屋に国家を揺るがす政治犯が住んでいたっていう話だよ」

「そこに行けば何か残ってるかも?!」

「残念ながら、そっちも政治犯ということで軍人が燃やしたんだって。それが百年前の事だから今はもうすっかり森に還って跡形もないみたい」

「うーん……でもやっぱりそこかなあ」

 フアナの言うのは解放の魔術の舞台の話だ。

 対象となる思念に縁のある場所が良いと言う。他に具体的な場所がわからない以上、生家のあった場所が一番縁深そうに思える。

 ダウィとジアードが頷くのを見て、フアナはタイとも目を合わせた。

 犬が彼女に何を言ったのかはわからないが、きっと後押しするような事を言ったのだろう。

「そうだね。そこに行ってみよう」

 フアナは肩から提げたままだった絵本の入った鞄を引き寄せた。

「できれば、この絵本に籠められた強い思いを――願いを叶えてあげたいね」




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