魔術の属性
水の豊かでない地方から来たジアードにとって温泉は今回が初めての経験だ。
それを知ったダウィたちは揃って「俺達は後でいいから先に行っておいで」と言い、あの温泉の歌を口ずさむフアナと共に部屋を出された。
風呂はいくつかの個室浴場と男女別の大浴場とに別れているらしい。
軍人時代の集団生活のおかげで他人の前で服を脱ぐ事に抵抗の無いジアードはともかく、年頃のフアナまで「大浴場がいい!」と言い出したのには驚いた。
理由を問うと、ウォーゼル王国の温泉は皆裸で入るし、どうせなら広いお風呂がいいとの事だった。
「ウォーゼルにも温泉があるのか……」
思わずもらした声が岩屋にこだました。
この男湯の大浴場は洞窟の中に湧く温泉をそのまま利用したものだという事だ。ごつごつとした岩肌が湯気でじっとりと湿っている様がやや光量を抑えた魔術の灯りによって照らし出されている。まどろむように目を閉じると長旅の疲れがじんわり溶け出して行く心地だ。
「休みができたら行ってみるか」
フアナはよく利用するという口ぶりだったし、日帰りできる距離だろう。
そう判断してにやりと笑う。
全身を湯に浸すという行為が事の外気に入ったジアードだった。
随分長湯をしたつもりだったが、フアナはまだ部屋に戻っていなかった。
ジアードと交代で風呂へ向かうダウィは「温泉楽しみにしてたからねー」等と言っていたが、それにしたって遅い。
「のぼせて倒れたとかじゃねえだろうな」
様子を見に行こうと立ち上がった所で、奥から別の声がした。
「タイ。探して来い」
一段高くなった板張りの部屋――靴を脱いで寛ぐ場所だそうだ――にクッションを引いて胡坐をかいていた魔術師だ。
フアナ同様、彼もこの犬と言葉を交わすことができるらしい。
相変わらずジアードには犬の話す言葉は聞こえないが、表情から察するに「嫌だ」と応えたのだろう。だが魔術師はひく気がない。
「犬なら浴場に入っても問題ないだろう」
タイは珍しく唸り声を上げた。
「あー……俺が行こうか」
浴場の前まで行って、それまでに会えなければ他の女性客にでも頼めばいい。
ジアードはタイの頭を撫でて部屋を出た。
階段を下りるとすぐ廊下の向こうから「温泉の歌」が聞こえてきた。
「……なんだ。まだ歌ってんのか」
音の反響するあの岩屋で歌っていなければいいのだが……
他の入浴客の事を思って眩暈を覚えた。
「つ~るつ~るぴ~かぴ~か♪ あれ? ジアード?」
こちらに気付いたフアナが濡れ髪を揺らしながら走ってきた。足取りがふらついているような様子は無い。
頬は林檎色に染まっているが、これくらいなら問題ないだろう。
「のぼせてはいないな」
「え、あ、うん。もしかして探してくれた?」
「――珍しい」
「ん? 何?」
「髪を下ろしているのは初めて見た」
「そうだっけ?」
「いつも風呂のあとはすぐに『拳骨』?にしてるじゃねえか」
そういうとフアナは疲れたような顔で溜息をついた。
「……『お団子』ね」
覚え間違えたのは悪かったが、そこまで冷たい目で見ることはないと思う。
* * *
部屋に戻る頃にはすでに機嫌が直っていた。
濡れ髪をタオルで拭き、髪に良いという油を馴染ませながらフアナはギルと楽しげに会話していた。
「すっごい立派な温泉でしたー!」
「ここらで一番の温泉宿だからな」
「……すっかりお任せしちゃってましたけど、お高くないんですか?」
「それなりに高い。だが半額でいいと言ってたから他の宿に泊まるよりは安い」
「半額?!」
「普段はウチのがここで働いてるんだ」
「お、奥様が?! 奥様って、リサ様――火の賢者様ですよね?!」
「掃除したり料理を運んだりしてる。ああ、今は魔術師の森で足止めを食らってて留守だ」
「……賢者様が温泉宿で……」
ショックを受けた顔を見てギルはにやりと笑う。
「接客が好きらしいな」
ギルが偉い魔術師だという事はフアナが何度も力説するので知っていたが、その妻もどうやら凄い人物らしい。
そういえばそのリサという名に聞き覚えがあった。
砂漠の手前の町で、遠話の魔術を介して出会った魔術師だ。魔術によって大きくなった蝋燭の炎に姿を映して会話した。あの魔術とフアナのいう「火の賢者」という言葉のイメージもなんとなく繋がる。
思い出すのは炎と同じ辰砂色の目。
瞳の色こそ違うが、切れ長な目尻やさらさらと流れるまっすぐな黒髪、それに全体の印象がギルと似ていた。そしてその顔立ちはこの国ですれ違う多くの人とも似ている。二人ともこの国の出身なのだろう。
「私、賢者様のイメージが随分変わりました」
「うん?」
「高位の魔術師だったり、長生きしてらしたり、王家の血筋だったり……孤高の人というか、近づきがたいイメージを持ってました」
「そうか」
「お話を聞いていると、街中ですれ違っても気がつかなそうです」
「――ふっ」
何が面白かったのか、ギルは突然吹き出したした。
「ははははは。そうかもな」
確かに、時々見せるこんな笑い方はどこにでもいる普通の兄ちゃんだ。
最初に魔族を凍らせるなんていう強力な魔術を見ていなければ、魔術師と言われても信じなかったかもしれない。いや、見た目で魔術師に見えないという意味ではローブすら着ないフアナの方が上をいっているが。
魔術師同士の会話が途切れたようなので、ジアードが気になっていた事を口にした。
「一番偉い魔術師ってのは、どういう奴なんだ?」
ギルは魔術師の中で三番目に偉いとか言っていたから当然知っているだろう。そう思って聞いてみた。
フアナも興味を引かれた顔で身を乗り出す。
視線の集まったギルは顎に手を当てながら言葉を捻り出すように答えた。
「あれはあまり人前に出たがらないから話して良いのか知らんが――魔力が強すぎるせいでいつも力を持て余してる引き込もりの魔導師だ。会議には顔を出さないし、仕事を振っても何のかんの理由をつけて逃げる。真面目に働く姿なんて二十年以上見てないな」
二人の目に呆れの色が浮かぶのを見て、付け加えるように言った。
「――好みじゃないが見た目は悪くない」
好みがどうこうという事は……
「女なのか?」
「魔術師の七割は女性だ」
言われてみれば、フアナもダウィの嫁も遠話師のパウラも破魔石の取れる町のヘナも……更には直接会った事は無いが、先程名前の出ていたリサやフアナの祖母も女性だ。男性の魔術師は目の前に居るギルしか知らない。
物語に出てくる魔術師が皆ローブを着て杖を持った老婆なのも、魔術師に女性が多いからなのだろうか。
「しかし、一番上がそんなやる気のなさで魔術師連盟は運営が成り立ってるのか?」
「意思決定に関しては評議会がある。経営でいうなら、給料は事案毎に一件幾らで支払われる。あいつが仕事をしようがサボろうが運営上は問題ない。
もともと魔術師の順位は連盟を運営するための物ではなく、衝突回避のためのものだからな」
「うん?」
「例えば第一位の魔術師と第二位の魔術師の意見が対立したとしよう。
二人とも魔術の一撃で街ひとつくらい焦土にできる魔術師だ。正面からぶつかる訳にはいかない」
魔力の暴走で破壊された馬車を思い出した。
その何倍もの力を持つという事だろうか。ジアードは知らず身を震わせた。
「……戦争はしないでほしいな」
「だから出来たのが、順位が下のものは上のものに絶対服従というルールだ」
「反発することもあるんじゃねえの?」
「納得できないならより高位の者に判断を仰ぐ権利はある。理不尽な要求や法的に問題のある物は勿論すぐに棄却されるし、幸い第一位の魔術師は引きこもりなおかげで誰とも利害関係がないんでな、あいつの所までもつれ込めば公正な判断がされる」
「それでも納得できなかったら?」
「魔術師たちは魔力の恐ろしさを身をもって知っている。それでも逆らおうなんていう奴はいない」
隣でフアナも必死で首を縦に振っていた。
野生生物の群れの序列のようなものだろうと結論付け、もう一つ気になった事を聞いてみた。
「さっき一番偉い奴は運営に関係していないといってたけど、じゃあ魔術師連盟を運営しているのは誰なんだ?」
「『評議会』だ。
まあ、そのメンバーも順位と無関係というわけでもなくて、『順位が上の者には逆らわない』の法則に則って基本的には魔力の強いやつがなる」
ギルは指を折りながら話し始めた。
「魔術師の第一位はさっき話した引き篭もり。
第二位は世間では『闇の賢者』なんて呼ばれている。攻撃に特化した魔術師だ。
魔術師の名門バゼ家の人間だから、そういう意味でも恐れられているな。あまり魔術師の森に居る事はなかったんだが最近は手下をシメ直すとかでよく見かけるな」
「手下……?」
「そういう関係にしか見えんのだが、あれはなんだ。部下とか舎弟とかいうのか」
言葉のニュアンスから苛烈な人物を想像した。攻撃に特化したとか言っていたからそう遠くもないだろう。
「それで、第三位が俺。第四位が俺の妻。妻とは遠話で話したそうだな」
脳裏を過ぎったのはあの炎に映された緋色の女。
ジアードは辰砂色の瞳を思い出しながら頷いた。
「俺は魔導師に、妻は魔術師に一応分類されてる。さして変わらんと思うが」
「あー……悪い。魔術師と魔導師は違うのか」
「魔術を使う際に、生来持っている魔力を主に使うのが魔術師、自然界にある力を借りるのが魔導師」
「……ふむ」
正直よくわからない。
「この二つの説明でよく例えられるのは戦士だな。
己の体一つで戦う拳闘士にあたるのが魔術師、剣士や弓士のように道具を用いて戦うのが魔導師という」
「ああ、それならわかる気がする」
「さすが戦いの国のイーカル人だな。
実際には剣士が拳でもある程度戦える事があるように、魔導師であっても生来の魔力が強ければ魔術師のように振舞えたりもするから大して意味のある分類じゃない。魔術師連盟としても魔術を使う者の総称として『魔術師』を採用しているくらいだから、魔術師と深く付き合うような事が無い限り気にしなくて良い。
それでなんだっけか――序列の五位から七位と、八位から十五位くらいまでは団子だな」
「団子?」
「実力が拮抗してるからしょっちゅう順位が入れ替わる。一々覚えてられん。
まあ、だいたいその辺までが魔術師連盟の意思決定機関である評議会のメンバーだ。
森に常駐してるのはその八位から十五位の奴だけだから、大きな問題が起こらない限りその八人が魔術師連盟の意思を決めているといっていい」
「順位はどうやってつけてるんだ?」
「実力」
わかりやすいが基準が曖昧で非常にわかりにくい言い方だ。
「つまり、扱える魔力の量が多い順だな」
「戦うのか?」
「ちょっとしたゲームだよ。フアナ、やってみるか?」
「え、私なんて――」
「見せるだけだ」
ギルはフアナを呼び寄せ手を取った。
いつぞやジアードの魔力を確かめた時のように、お互いの右手と左手をつなぎ、輪を作る。
「この状態で魔力のやり取りをするんだ。最初は弱く、だんだん強い力を送りあう。相手をギブアップさせた方が勝ちだ」
青い目が楽しげに歪んだ。
「本気でおいで」
深呼吸したフアナは目を閉じ、口の中で何か呪文のようなものを唱えだした。
次第に彼女の右手が淡く光りだす。トカゲの魔族の手が光っていたのとよく似た燐光――いや、やや赤く色づいているようにも見える。
閉じられていた瞼が開き、挑むような目でギルを見つめた。
「いきます」
光は繋いだ手のひらから、ギルの体に飲まれた。
「返すぞ」
ギルの右腕から出てきたのは、先ほどよりも強い光。球状になった光の玉の表面で赤い火の粉と青い火の粉がちりちりと爆ぜている。
それがフアナの左腕を伝い、胸元へ消えると小さなうめき声が漏れた。
「――くっ」
「お、耐えたな」
光はまたフアナの右腕からギルの左手に消えていく。
「もう一回いけるかな」
さらに強くなった光がフアナの体に入っていく。
「む、無理――」
フアナの体全体が強く光った。
「じゃあ、もらおう」
ギルが左手でフアナの額に触れると、光はみるみる間にそこへ吸い込まれていった。
肩で息をするフアナの背を撫でながら、ギルは言った。
「だいたいこんな物だな。
フアナが渡してきた魔力に俺がちょっと魔力を足してフアナに返す。フアナはそれに更に魔力を重ねる。
それをどちらかがギブアップするまで続ける。次第に大きくなっていく魔力をどこまで押さえられるかがポイントだ。
自分より順位が上の奴に勝てばその順位をもらえる。下のやつに負ければ繰り下がる。魔術師の森じゃ毎日そんなことばかりやってる連中もいるな」
「そんな事ばかりやっている連中がいる――って事はやらない奴もいる?」
「序列にこだわらない奴はやらないな。
俺も後進の指導としてやる事はあるが、競い合うためにはやらない。
まあ、俺の場合は序列に興味がないからというより、相手がいないからなんだけどな」
ギルは確か世界で三位と言っていた。
まだ上に一位と二位がいるのに相手が居ないとはどういうことだろう。それに下の者から挑まれる事があるのではないかと思うのだが――
そういうと自嘲するように笑った。
「上の二人は桁が違う。今の俺じゃさっきのフアナみたいに二巡で終わりだな。
すぐ下は妻である以前に妹だ。これでも兄の矜持という物があるから追いつかれるような事はないようにしている」
「兄妹なのか」
驚いてギルの顔をまじまじと見つめた。
あの妻だという炎の女に似ているのは民族が同じだからだけではなかったのか。
「近親間での婚姻は魔術師の中じゃ珍しくもない。それぞれの母国の法律にさえ触れなければ親子でも兄妹でもなんでも有りだ。
――フアナ、落ち着いたか?」
「……なんとか」
荒い息を吐いていたフアナがようやく顔をあげた。
「魔力を渡すっていうより、ずるずると引きずり出されるような感覚がしました。やっぱり世界が違いますね」
「フアナも潜在能力は高そうだ。魔力を封印をしてるな」
「え?」
「お前は知らないのか。じゃあ、これはソユーだな」
ギルはフアナの顎を捉え、何かを探るようにじっとその目の奥を覗き込んだ。
「手の込んだ封印だ。これを解いてきちんと訓練すれば――ソユーと同じ五十位くらいには入れるかも知れん。
戻ったらなんで封印したのかソユーに聞いてみることだ」
「はい」
「ソユーについては、俺は順位よりも封印に特化した魔術の精度を評価している。
あいつの封印は美しいからな。アレもソユーだろう」
指差す先にはフアナの鞄。
そこに入っているのはあの封印された絵本だ。
彼ほどの魔術師になれば鞄の中に入っている本にかけられた魔術までわかるらしい。
「見せてくれないか」
言われるままにフアナがそれを取り出すと、ギルは許可を取ってそれに触れた。
指先が僅かに光った直後、油紙の上に緋色のラインが走る。
何をしたのかはわからないが、魔術を使えないジアードの目にも複雑に絡み合う図形が見えた。
「……緻密かつ繊細な封印だ。中の物が外に出る事を決して許さず、かといって中の物を傷つける事がない。
お前も『運び屋』として生きるなら祖母を目標とするといい」
フアナは神妙な顔で頷いた。
「ただいまー」
扉を開けたのはダウィだった。
「いいお湯でした――って、なんか真面目な話してた?」
絵本の入った包みを膝に載せたギルを中心に円座を組んでいるのを見て小首を傾げた。
「お前ソユーと親しかったな。フアナの封印の事を何か知らんか?」
「封印? なにそれ」
「まあそうだろうな――俺も風呂いってくる」
「いってらっしゃい」
「一応結界をはっていくが、風呂からじゃすぐには駆けつけられないからな」
「わかってるよ」
ギルは扉に指でなにやら文字を書いた――と、同時に、ジアードの目には一瞬部屋の全ての壁や天井が光って見えた。
扉が閉まるのを確認した後、ジアードは誰にともなく聞いた。
「さっきも言ってたが、結界っていうのはなんなんだ?」
「マーキング」
そう言ってダウィはちらりと愛犬を見た。
「『俺をそこらの野良犬と一緒にすんなよ』って、タイがいってるわよ」
「結界っていうのは犬のマーキングみたいなものじゃないの。空間を仕切って、『ここは俺の縄張りだ!近寄るな!』って」
「間違っちゃいないんだけどなんか失礼」
口を尖らせたフアナが説明を始めた。
「仕切られた空間が結界っていうのはあってるよ。
ただ、その空間の中は、それを作った魔術師やその魔術師と近い属性の魔術師以外の魔力が極端に弱まるの。つまり、自分と極近い仲間以外の魔力を奪う事ができるのね。
この間のトカゲみたいな魔族の時は私も魔術が使えない状態になったし、ギル様と私じゃ属性が違うから、今も私は魔術を殆ど使えない」
うまく使えば相手の攻撃を封じる事ができる。
けれど下手に仲間を巻き込むと仲間の魔術師まで攻撃不能になるという事か。
「便利なんだか不便なんだかわからねえな」
ジアードの感想にフアナは肩を竦めてみせた。
「使い方次第なのよ。
例えば、私たち『運び屋』はそれを応用して、魔力を帯びたアイテムを封印して安全に運ぶ事ができるの。この本みたいにね」
「……本」
ジアードの目はフアナの膝の上にのせたままだった絵本の包みに注がれていた。
「本、光ってねえか」
うっすらと緋色の燐光を帯びて見える。先程見せられた封印の魔術と同じ色だ。
「ど、どうしようっ 封印が消えかけてる!」
慌てるフアナの目の前で光はどんどん強くなっていった。
「タイ!」
ダウィが名を呼ぶと犬が駆け寄り、本に鼻を押し付ける。
光は見る間に収束していった。
「な、何があったんだ?」
一人落ち着いた様子のダウィが答えた。
「結界は、それを作った魔術師とその属性の力を持つ魔術師以外の力を極端に弱めるってことだね」
「悪い、その本の事すっかり忘れてた」
口を挟んだのは扉から顔を覗かせたギルだ。
「結界の中で魔術が発動したのを感じたから戻って来たんだ。
俺の結界のせいでソユーの封印が弱まったんだな」
ギルはフアナから本へ視線を落とし、そして恨みがましげに見上げるタイを見た。
「まあ、タイがいるなら大丈夫だろ。俺は風呂行って来る」
低くうなり声を上げるタイを無視して、扉は再び閉められた。
フアナが機嫌の悪い犬の背を撫でた。
「ごめんね、タイ」
目は閉じられたが、尻尾が不満を訴えている。
とりあえずの危機は脱したようなのでジアードは現状把握に努めることにした。
「よくわからないんだが、今のはギルの結界のせいでその本の封印が消えそうになって、タイがそれを食い止めたってことか?」
「そうだね。ギルは水属性で、その本の封印をしたソユーは火属性の魔術を使うから相性が悪かったんだ」
「ってことはタイもその水属性?」
「いや、極端な土属性のはずだよ。
ギルが片手間に掛けた弱い結界だからギリギリ魔力が発動してるってとこじゃない?」
同意を求めるようにダウィがフアナを見た。
「そうみたい。
でも本当にギリギリで、さっきも『きっついんだよ、この蛇賢者!』って叫んでたよ」
「相変わらず口が悪いなあ」
「『そういう事言うなら手前がやってみろ』だって」
「どうせ俺は『虫けら以下』だからね。
まあ、そんなこと言ってられるならギルが長湯しても大丈夫そうだね。温泉も水だから、水の賢者のお風呂は長いよ」
ダウィは笑った。
いつもの笑顔じゃない。すごく悪い方の笑みだ。
「そういえば、フアナの属性ってソユーと同じ火?」
「うん」
頷きながらフアナは膝の上の本を撫でた。
「それから多分この子も火」
ジアードは首を傾げた。
――結界は違う属性の魔力を極端に弱める。
逆を言えば同じ属性なら影響がないという事だ。
「火属性の封印は、火属性の魔術でできるのか?」
「効率は悪いけどね。持つ力に差があればできるよ」
ようは力押しという事か。
「あー。タイがずっと封印しておいてくれたら楽なんだけどな――じょ、冗談よ?!」
睨め上げるタイの目に気付き、慌てて謝り始めるフアナ。
犬は本に鼻先をつけたまま、深くため息をついた。




