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第二章 鼠と『鴉』 3


   3


 慎二は、東平安名あがりへんな総合商社の本社ビルに立ち寄った。

 地上五十五階のタワービルで西新宿の高層ビル群の一角にある。建物の中には東平安名系列の銀行、保険会社、証券会社、自動車会社、コンピューター会社などさまざまなグループ企業、および系列会社がひしめき合っている。

 ほとんどがお堅いスーツで身を固めた職員や客の中、慎二のジーンズに革ジャン姿は浮いていた。そうでなくてもでかい体で目立つし、ワイルドな風貌だ。

 スタッフは見て見ぬふりをしているが、外部の人間はたまに好奇に駆られたまなざしを無遠慮に向ける。

 毎回思うが、なるべく来たくないところだぜ。

 慎二は苦虫を噛みしめながら、エレベーターで地下二階まで下りたあと、廊下をしばらく歩き、隅にある倉庫の鍵穴に鍵をつっこむ。乱暴に扉を開けると、中に入り、ロックした。

 部屋の中のクローゼットを開けると、そこは一般の人間は知らないエレベーターになっている。

 慎二はクローゼットの中に入り、壁についた指紋センサーに指を押しつけると、その下にあるテンキーで暗証番号を押す。さらに「行け」と誰にでもなく命令した。

 指紋、声紋、暗証番号。このみっつがそろうと、床全体が下に向かった。

 この建物は建前上は地下二階までしかないが、じつはその下がある。

 はっきりいえば隠し部屋。それもかなり普通ではない特殊な部屋がいくつかある。

 エレベーターがとまると、慎二はその部屋の中でも一番メインになる部屋に足を運んだ。

 とはいってもたいした部屋ではない。とうぜん窓もなく、蛍光灯の光だけが頼りの狭い部屋だ。中にいる人間も少ない。今いるのはふたり。ひとりはパソコンの画面をぼうっと眺めている女、緑川晶みどりかわあきら。もうひとりは中央のデスクでふんぞり返って電話を受けている絶世の美女、東平安名龍香あがりへんなりゅうかだった。

 龍香は日本最大の企業グループ東平安名家の長女で、エリート中のエリート。つまり大金持ちで財界や政界に顔が利き、東大出のキャリアでもあるし、若干二十七歳にして警視という警察官僚としての顔も持っている。とうぜん頭はいいし、そればかりか運動能力も人間離れしている。腰までかかる髪は虹のように七色に染め、きわどいタイトミニに、真っ白なスーツの隙間から覗く上三段までのボタンを外したブラウスというエロいフェロモンがあふれ出そうな格好をしている。慎二も今は慣れたが、最初は異様に豊満な胸の谷間を見せつけられると目のやり場に困ったものだった。

 そもそも警察官僚がこんな自分の企業ビルの中でいったいなにをしているのか?

 東平安名は警察上層部から特命を受けていた。いや、むしろ彼女の方から上層部に働きかけて、今の地位をつかみ取った。

 名目だけは警察組織に属するが、その裏では私的な捜査組織を持ち、それを指揮すること。

 東平安名は、この組織をポケットマネーで作った。警察に名目だけでも属しているのは、警察権力を使えるようにするためでしかない。

 慎二の属する龍王院家は、いわば鳳凰院家と同じようなところで、裏家業専門の歴史を持っている。鳳凰院家とは協力関係にないかわりに敵対もしていない。仕事上バッティングしない限り戦うことはないし、少なくともこの百年ほどの間、そうなることはなかった。

「シン」

 東平安名はど派手な顔立ちに似合わない、男のようなハスキーボイスで慎二を呼んだ。

「わざわざ呼び出したのはなんの用だ?」

 慎二は依頼人に遠慮のない口の利き方をする。はじめのうちは形だけでも敬意を払っていたが、この女があまりにもめちゃくちゃなので、へりくだるのが馬鹿馬鹿しくなった。この女の方でも、そんなことはこれっぽっちも気に掛けていないようだ。

「『楽園の種』の潜入捜査官から連絡が入った」

 慎二の体中に緊張が走った。

『楽園の種』。一般には知られていないが、強力な組織力と科学力を誇るテロ組織。日本だけをターゲットにしているとも、世界的な組織の日本支部だともいわれ、謎に包まれている。

 東平安名の作ったこの組織は『楽園の種』撲滅のためだけに存在している。そのせいで警察上層部はこの組織を『鴉』と呼ぶ。要するに「ゴンベが種まきゃ鴉がほじくる」の鴉だ。やつらが巻いた『楽園の種』をほじくるやつらという意味らしい。名前だけならどっちが悪役だかわかりゃしない。

「ふん、それでやつらの狙いは?」

 東平安名はおぞましい物を見るような顔でいう。

「ネズミだ」

「なに?」

「やつらはネズミをばらまく気らしい。おそらくなんらかの細工をしたやつをな」

「細菌兵器か?」

 背筋が寒くなった。かつてヨーロッパで黒死病と呼ばれたペストが流行ったのも、ネズミを媒体としてのことだ。ペストを超える細菌兵器をネズミを使ってばらまくとしたら。

「そいつはどうかな?」

 東平安名は納得のいかない顔をする。

「やつらは名目上はテロ組織といわれているが、今までの手口からいって、恐怖によって体制を転覆させようとしているわけじゃない。やつらは単純な爆弾テロなんてただの一度だってやったことはなかった」

 それは彼女のいうとおりだった。通常のテロ組織は爆弾や毒ガスなどで破壊や殺戮を繰り返し、一般市民を恐怖のどん底に陥れる。つまり一般市民の命を人質に国家を動かそうとする。だが今までは、むしろ誰にも知られないような水面下の作戦を遂行している。スパイ活動、裏工作、暗殺、誘拐、脅迫、情報操作。『楽園の種』の名前が一般市民に知られないのもそのためだ。

「だがネズミを大量にばらまいてなにかをするとなると、細菌を使った無差別テロしか考えられないだろう?」

「そうやってついに『楽園の種』を名乗り、恐怖で日本を支配しようとする? あるいは特効薬と引き替えに日本政府になにか要求する? 違うね、そんな単純なことじゃない。絶対になにか裏がある」

「具体的な情報でもあるのか?」

「そんなものはないさ。潜入捜査官はしょせんあの組織では下っ端だ。たいした情報はつかめない。わかったのは近いうちにネズミを使ってなにかやるってことだ。それも東京で」

 東平安名は眉をつり上げ、真っ赤なルージュを塗った唇をいまいましそうに噛む。

「アキラ、ネズミに関する情報はないか情報屋に調べさせろ」

「もうやってま~す」

 緑川は東平安名とは逆に、明るく軽い口調でいった。もちろん顔には女らしい笑顔を浮かべて。

 晶などという男のような名前でありながら、緑川はじつに女らしい。というより、女の子っぽいという方が正確かもしれない。

 年は二十五歳になったばかりだが、ルックスだけでいうならば下手すると十歳くらい若く見える。ボブカットというよりも、まさにおかっぱという表現がぴったりの黒髪、化粧っけのないロリ顔に一昔前のガリ勉学生のような黒縁眼鏡。背も高くなく、出るところが出ていない体型。正式な警察官ではないが、東平安名のおかげで慎二同様警察権力のお裾分けをもらっているせいか、好んで婦人警官の服装をしている。ただこいつがそんな格好をしていると、女子高生の婦警コスプレにしか見えない。

 だがけっして無能ではない。彼女の仕事は情報収集。慎二もくわしくは知らないが、何人もの情報屋を飼っている。ヤクの売人や、やくざ、浮浪者、娼婦、中国人犯罪者、ハッカーなどの怪しげな連中から、マスコミに政治家、学者、医者、学生、探偵にいたるまで品ぞろいが多いらしい。どうやってそういう連中を束ねているのかは知らないが、とんでもない統率力である。もちろんそれなりの情報料もかかるが、それは東平安名が警察上層部から強引にぶんどってくるらしい。そういうことは得意中の得意だ。

 緑川は神速のタイピングで作ったメールを、膨大なアドレスリストに転送する。

 それが終わると、まったりと紅茶を飲み出した。この世にこれほど旨いものは他にないといった顔で。その際、自分ひとりの分しか入れないが、ここでは誰もそんなことで文句はいわない。

「で、俺はなにをすりゃいいんだ?」

「しばらく待機してろ。なにかあれば動いてもらう」

 東平安名はそういうと、片っ端から電話をかけはじめた。どうやら、都内をまわっているパトロール部隊に状況を説明しているらしい。

 やれやれと思った。

 動くといったところで、慎二はいわゆる捜査には向いていない。完全な戦闘、および追跡部隊で、東平安名にしろそれ以外の能力を買っているとは思えない。

 だが逆に、やつらの相手をするとなると、慎二以外に適任はいない。

 便宜上テロリストとはいったが、実体はテレビのヒーローものに出てくる悪の組織の怪人に近い。サイボーグというほどでもないのだが、銃弾すらはじき返す装甲を体に埋め込んだり、体の一部を機械化し、武器を仕込んでいるようなやつらだ。この前の刃森というやつは全身に刃物を仕込んでいた。しかもその一部をミサイルのように飛ばす。その弟はロケットパンチだ。とても並みの警官の手に負えるやつらではない。

「暇そうですね、シンさん」

「優雅にお茶飲んでるやつがいう台詞か?」

「あたしは情報待ち。やることやって待ってるんです」

 緑川は悪戯っぽく笑う。

「俺だって待機中なんだよ。べつにここで待ってる必要はねえと自分でも思うけどな」

「だめだ、ここにいろ。おまえは放し飼いにしておくと、すぐに面倒を起こす」

 東平安名はかすかに笑みを浮かべながらいう。それを聞いて緑川がけたけたと笑いころげた。

 ちっ、どうもこの女は苦手だ。

 東平安名の方は高飛車で頭には来るが、やりにくくはない。相手は依頼人だと思えば傲慢な態度もべつに腹は立たない。だがこの子供のような女は東平安名に使われているという点では自分と同じだし、年も下なのに妙に振り回される。普通、この年の女なら、自分を怖がるのが普通だ。

 突如、緑川のパソコンにメールが届いた合図が鳴る。緑川と東平安名はその音に真顔に戻った。

「隊長、来ましたよ、情報の第一段」

 緑川はそういって、メールを開く。ちなみに隊長というのは東平安名のことだ。

「誰からだ? なにが書いてある、アキラ?」

「都内の医者からです」

 東平安名と慎二は緑川のパソコンのモニターを覗き込んだ。


『ネズミといえば、三日前、ネズミに噛まれたという主婦のかたが来ました。こんなことは開業して以来はじめてですね。患者さんは微熱が出ましたが、次の日には下がりました。とりあえず伝染病の心配はないようです』


「ネズミに噛まれただぁ?」

 慎二は呆れて口走った。

 たしかに聞いたことがない。赤ん坊ならばともかく、主婦がおめおめとネズミに噛まれるだろうか? ネズミを素手で捕まえようとする根性が主婦にあればべつだが。

 東平安名の鋭い目が光る。

「その患者の容態を追跡調査して知らせるように伝えろ」

 返事よりも先に、緑川の指が動く。そしてその医者にメールを送り返した。



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