第一章 霊剣『千年桜』 3
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夜の歌舞伎町。狭いバーで、龍王院慎二はビールを時間を掛けて飲んでいた。
もっともそんなしみったれた飲み方が似合わないのはわかっていた。強い酒をあおる方がずっと様になる。
百八十を超える身長にして体重は百キロ近い。だが間違っても脂肪太りではない。かといってボディビルダーのように必要以上に盛り上がった人工的な筋肉を身につけているわけでもない。とはいえ、革ジャンの上からでも、鍛え抜かれた体をしていることは誰にも想像が付くはず。ジーンズの膝下まであるブーツタイプの安全靴ははっきりいって酒場では浮いている。
さらに顔は一言でいえばワイルド。色黒で鋭い目つき、高い鼻にぶ厚い唇。天然パーマのかかった黒髪は、無造作に伸ばし、後ろでまとめられていた。風貌だけなら二十代前半に見えるようだが、最近三十の大台を超えている。おそらくバーテンは「この人なにやってる人?」とでも思っているだろう。
もっとも慎二は意図的に目立つ格好をしていた。ここ数日、夜の繁華街をうろつき回っている。それで釣れるかどうかは確信がないが、少なくとも変装しては意味がない。
ドアが開き、新規の客が入ってくる。
釣れた。
慎二は強い波動を感じると、そう思った。
海面に浮かんでいると、近くを通ったモーターボートに煽られて波を被ったような感覚。それに似ている。
波動とは場を連続してゆがめて伝わるエネルギーだ。この場合、歪んで伝わるのは海ではもちろんないし、空気ですらない。
それは空間そのもののひずみだった。それが波動となって慎二に伝わる。
それを感じることが慎二が生まれ持った特殊能力だ。
でが空間そのものをゆがめるものはなにか?
物質の存在そのものが空間をねじ曲げるのか?
違う。もちろん物質の存在そのものも空間をゆがめはするが、それによって生じる力はいわゆる重力だ。人間と人間の間に生じる重力など地球のそれに比べればゼロに等しい。
では磁力のようなものかというとそうでもない。
じつは一般的には知られていないが、空間そのものをねじ曲げる要素に、もうひとつ思考がある。
人間は物を考えるとき、無意識に空間をねじ曲げているのだ。
それは波動となって周囲に伝わる。いわば思念波だ。ただ普通の人間は、その波動を知覚できない。
せいぜい武道家が、相手の殺気を感じ取ることができる程度だ。
慎二が感じ取れることはもっと深い。もっともテレパスといわれる超能力者のように、相手の考えていることがはっきりとわかるわけではない。
だが相手の発する思念波の形を見極められる。正確には目に見えるわけではなく、体全体で感じるわけだから形というのは不適切だが他にいいようがない。とにかく、その形によって、相手を特定したり、感情の変化を感じ取ったりできる。
今感じ取れる思念波には見覚えがあった。
攻撃的で、暗く、ねじ曲がった形。それが大きな振幅でこの場の空間を揺り動かしている。
慎二は代金をテーブルに置くと、席を立った。
店を出ると、繁華街を抜け、わざと人通りの少ない小道を通る。
後ろを振り向かずとも、まがまがしい思念波の発生源がずっと後をつけてくるのがわかった。そのまま相手を見ずに話しかけた。
「よう。そろそろ仕掛けたらどうだい?」
「気づいていたのか?」
「俺をそこまで無能だと思っているのか? それとも殺気を上手く隠せたとでも勘違いしているのか? おまえもそうとううぬぼれが強いな」
そういって振り返ると、笑ってやった。
屈辱に歪む顔で慎二を睨み付ける男は、ずり下げたズボンに、だぼだぼの服、頭にはキャップといった今どきの若者風の格好をしている。年もそれに見合った二十歳前といったところだろう。まだ少年といっていい。
見覚えがあった。この前、もうひとりの若い男とつるんでいたやつだ。
「ひとりか? もうひとりはどうした? あの体からとげとげが飛び出すハリネズミみたいなやつだよ」
「兄貴は任務を失敗した時点で逃げようとした。そのせいで処分された。貴様のせいだ」
そいつは憎悪に燃える目を向ける。
「ほう、あいつは兄貴か? つまり兄弟の敵討ちってわけだな。なかなか感心じゃねえかよ、悪の組織の戦闘員にしてはよ」
「黙れ。なにもわかっていない体制の犬めが。ほんとうの正義もほんとうの幸せも、なにも理解せず、自分の頭で考えず、ただ餌をくれる人間にしっぽを振って、そいつらのいうがままに牙を立てる。貴様のようなやつがいるから俺たち『楽園の種』が存在するんだ」
「そのためには犠牲者を出してもかまわないってか? どうせ正義のためには少々の犠牲はつきものだとかほざくんだろうな」
「それは歴史が証明している。それを恐れていてはなにもできない」
「はっ、ワンパターンなんだよ、おめえらみたいなやつらのいうことはよ」
慎二は耳をほじり、息を吹きかけるポーズをした。露骨に挑発している。
「で、やるのか、やらねえのか? 小僧」
「やるに決まってる」
「で、おまえの得意技はなんだ? あいつと同じようにとげでも出すのか? それとも飛び道具か?」
「これだ!」
少年はパンチを繰り出した。間合いは三メートルほどもあるのに。
しかしその拳は爆裂音とともにものすごい勢いで慎二の顔面めがけて飛んでくる。慎二はそれを首をかしげただけでかわした。
拳は後ろのブロック塀を砕く。
そのパンチを放った少年の手首から先はなかった。かわりにそこから鎖が伸びている。それはブロックを砕いた拳に繋がっていた。どうやら自分の拳を鎖がまの分銅のように飛ばしたらしい。
「おお、懐かしい。子供のころ、マンガで見たぜ、そういうのをよ」
「黙れ」
拳は一瞬で引き戻された。
ふたたび拳が飛ぶ。今度は手首から火が放たれ、拳が切り離される様がはっきりと見えた。
「ロケットパーンチってか?」
慎二はおちゃらけた口調でいった。徹底的に馬鹿にしている。
空飛ぶ鉄拳は、弾丸に近いくらいのスピードはあるだろう。だがその程度では慎二を貫くことはできない。
潜り込んでかわすと、あっという間に、少年との間合いを詰める。
もう一方の拳が飛んできた。
今度は間合いが近いのと、飛び込んだせいでカウンター気味になったことで余裕がなかった。よけることがままならず、腕ではじき飛ばした。
少し腕が痺れる。だがそれだけだった。
慎二は相手の懐に飛び込むと、肘を胸にたたき込んだ。
生身の感触ではない。おそらく胸全体を金属板で覆っている。しかしたいした装甲ではなかった。肘でぶち破れこそしなかったが、明らかに変形した。
少年の口から血が吹き出る。今の一撃で肺を破損したらしい。
「終わりだ、小僧。命までは取らねえ。だが連行する」
そのとき、少年から強烈な思念波がわき起こった。
例の空飛ぶパンチを放つときにすら感じなかったほどの大きさの衝撃が空間をゆらし、脳を直撃する。
やべえ。
相手がなにをしようとしたのか見当が付いた。
手首のない両腕で、慎二を抱きかかえようとする。
とっさに両手で跳ね飛ばした。
一メートルほど離れた瞬間、少年の体が爆発した。慎二はその爆風が届く前に後方に激しく跳ぶ。
顔面、腹部などの急所を四肢を使ってガードし、爆風に乗る。
数メートルも吹っ飛ばされただろうか、爆風が弱まったところで、慎二は受け身を取りながら着地し、そのまま転がった。
上手く爆発に対処できたらしく、立ち上がったとき、体に痛みは感じられなかった。敵の攻撃を想定して、中に耐ショックスーツを着込んでいたのがさいわいしたといえる。
少年がいたところには、大きな鬼火のような炎がいまだ宙に浮いていた。
すぐに野次馬が来る。慎二は人に見られないように足早にそこを離れる。
ケータイを取り出した。今の爆発で壊れていないか心配だったが、通話を押すと通じた。
「慎二だ。この前の件は終わりだ。ひとりは処分されたらしい。もうひとりは自爆した。俺を道連れにしようとしてな。……ふん、俺はぴんぴんしてるよ。期待に添えなかったか? 残念だな」
雇い主にことの顛末を報告した。