第一章 霊剣『千年桜』 1
第一章 霊剣『千年桜』
1
学校帰り、満開に咲いた桜並木に挟まれたあぜ道を歩いているとき、薫子は殺気を感じた。
左斜め前方にある大きな桜の樹の上からひとつ。背後の桜の木陰からひとつ。左右にある茂みからひとつずつ。
いずれも灼熱の炎のような気。それぞれの相手の力量を物語っている。
白いセーラー服姿の薫子は、道に黒革の学生鞄を置くと、手に持った布袋から木刀を取り出した。
大小二本の木刀。使い古されてはいるが、一撃で岩をも割れる薫子の体の一部と化した物だ。
大刀を右手に、小刀を左手に構えると、相手が何者なのかを推し量る。
誰だ? 只者じゃない。
四人とも自分に近い腕前だ。この里にもこのレベルの使い手はそういない。
薫子はつぶらな瞳を凝らし、殺気の方向をつぎつぎと見据え、相手を探す。さらにあらゆる音を聞き逃すまいと耳を澄まし、ツンと尖った小振りな鼻は相手の放つ匂いさえ嗅ぎ取ろうとする。
今の薫子の感覚は、人間よりも獣に近い。
完全に戦闘態勢に入った。
前方の大きな桜の樹の枝が揺れる。
その振動で数百枚の花びらが散り、風とともに薫子に向かった。
春一番が、つむじを巻く。スカートがまくれ上がったが、気にしている余裕はない。薫子は一瞬たりとも構えを解かなかった。
桜の花びらは風に乗り、芳しい香りを放ちながら薫子の回りを舞った。
しまった。
薫子は直感的に気づいた。香りに隠された罠に。
桜の匂いにかすかに異臭が混じっている。
薬だ。一瞬にしてくらっとする。
その薬は意外と弱いものらしく、効き目はその一瞬だけだった。しかし隙を作るにはそれで十分だったらしい。次の瞬間、左右から同時に何者かが飛び込んでくる。ふたりとも白い仮面をつけていた。
「くっ」
虚を突かれた。薫子が前方の敵の術に心を奪われ、左右への敵の警戒がおろそかになった瞬間のことだったからだ。
ひょぉおん。
風きり音とともに右の敵が木刀を上段から振り下ろす。同時に左の敵が薫子の胴に木刀を突いてきた。
どうするか迷う間もなく、小柄ながら山猫のようにしなやかな体が勝手に動いた。
左の小刀で上から打ち下ろすように、突いてきた敵の木刀を払った。同時にもうひとりの上段からの振り下ろしを木刀で受けずに足さばきだけでかわし、相手の外側に回りこんだ。そのまま独楽のように一回転し、右の敵の背後から切りつける。死なないように手加減はした。
鳳凰院流の技、円牙だ。
残ったひとりが薫子の喉を突いてくる。
薫子は二本の木刀を交差させて下から敵の木刀をかち上げた。そのまま一歩踏み出すと左右の木刀で挟むように相手のわき腹を叩き打つ。
鳳凰院流、咬牙。
倒れたふたりの刺客は高校生くらいの若い女だった。ふたりの服装が薫子と同じセーラー服だったことにはじめて気が付いた。
ま、まさか?
そういえば、このふたりの太刀筋には見覚えがあった。しかし、そんなことは信じられない。
仮面を外し、疑惑を払拭する暇もなかった。真後ろから火の玉のような殺気が飛んでくる。
薫子が振り返ると同時に、三人目は太刀を逆袈裟の形で下から跳ね上げた。切っ先は薫子の首を狙う。薫子が受けようとすると、敵は太刀筋をひらりと返し、狙いを脚に変えた。
相手の技は鳳凰院流の稲妻。
敵は同門だ。しかも薫子には誰か想像が付いた。
敵の木刀は薫子の脚を叩き折ることはできなかった。薫子がその前に跳んだからだ。
同時に左の小刀を振り上げる。それで敵の太刀を下から跳ね飛ばしつつ、その勢いで後方回転した。着地と同時にもう一方の太刀を相手のみぞおちに突き入れた。
鳳凰院流、裏風車。
着地時に舞い上がったスカートと、男の子のように短い栗色の髪がふわりと元に戻るころ、敵は倒れた。
薫子は敵の仮面を木刀で軽く払った。割れ落ちた仮面から現れた顔は色白の和風美女。思ったとおり見慣れた顔だった。
月代。
薫子は動揺する。幼馴染であり、同門である彼女がなぜ自分を襲うのか?
倒れている残りのふたりは確認するまでもなく、後輩の葉子と晴美だ。
「桜子、あんたなの?」
薫子は前方の桜の樹に潜んでいる最後の敵に向かっていった。
やはりセーラー服姿の女が桜の枝から降り立った。仮面は外したのか、素顔をさらしている。
腰までの黒髪、切れ長の目、上品そうな唇、薫子よりも頭ひとつ分は高いグラマラスな体。そこに立っているのは紛れもなく剣のライバルにして親友、というか、薫子にそれ以上の愛情を密かに抱いているはずの桜子本人だった。
いったいなにが起きてるっていうのよ?
薫子には理解不能だが、桜子は冗談でやっているわけではないらしい。真剣なまなざしで薫子同様二本の木刀を構えた。
「ちょ、ちょっと待ってよ。なに考えてんの、あんた?」
しかし桜子は待たない。無言のままで薫子に向かって突進してくる。
その勢いに乗せ、二本の木刀を同時に突いた。狙いは薫子の顔面とみぞおち。
鳳凰院流の双角だ。
薫子は体裁きでかわしながら、独楽のように回転し桜子の背中を狙う。最初の葉子を倒した技、円牙だ。だが薫子の剣は、桜子の残像をすり抜けた。
桜子は地に伏せていた。そのまましゃがんだ状態で独楽のように回転する。左足を軸に、右脚で薫子の脚を刈ろうというのだ。中国拳法に似た技があるが、違うのは脚と同時に二本の剣が目にも留まらぬスピードで飛んでくることだ。
大刀で首、小刀で胴、脚で脚を同時に狙う技、渦裂爪。
跳んでかわすことも、後ろに逃げることも不可能。受けるしかない。
薫子は大小の木刀で桜子の二本の木刀を受け、足の裏で蹴りをとめる。
ものすごい衝撃で弾き飛ばされた。薫子が空転して着地するころには、桜子は立ち上がり、態勢を整えなおしていた。
他の三人と違って、手加減なんかしている余裕はない。
だが薫子は本気で桜子と戦うことに迷いがあった。
桜子はそれを見逃すほど甘い使い手ではなかった。剣を正面で交差させると下から跳ね上げる。
くっ、咬牙か?
ついさっき、自分自身が使った技。胴体をはさみ切るような技だ。
薫子は下からの剣撃を木刀で受けず、上体を引いてかわした。左右の剣は両脇をブロックする。
だが桜子は振り上げた両剣を左右の鎖骨めがけて振り下ろす。
薫子は猫科の野獣のような身軽さで跳躍し、両足の裏で木剣の根元を受け、はじき上げると同時にそのままバク転しながら二本の剣で突いた。裏風車の変化技だ。
しかし当たらない。桜子は跳躍すると、突いた薫子の木刀の背に乗った。それも左右の剣に左右の足を乗せて。
腕では体重を支えられずに手を離しそうになる。しかしそれは許されない。桜子は両剣を封じたまま、左右の剣で同時に両方向から斜め袈裟に切り下ろすつもりだ。剣を手放したところでどの方向にも逃げるのは不可能だ。
それこそ鳳凰院流奥義十二形剣のうちの樹猿爪。桜子は本気だ。
薫子は前方にふらつきながらも、両腕を大きく左右に開いた。それにともない乗っている桜子の脚も開く。ふたつの太刀が斜め上から振り下ろされるが、薫子は地を前方に転がりながら開いた桜子の股の間をすり抜ける。
「桜子、なんのまねか知らないけど、もうやめて」
薫子は間合いを取りながらいう。
だが桜子は無言、無表情のまま間合いを詰める。
手加減すれば決められないだろう。かといって本気でやれば桜子は大怪我するかもしれない。しかしもはや、やるしかなかった。
薫子は左の小刀を桜子のみぞおちめがけて手裏剣のように投げた。
桜子はそれをとうぜん払おうとする。
だが薫子は小刀を投げると同時に、間合いを瞬時に詰めた。
そのまま、大刀の切っ先で、投げた小刀の根元を突く。
二本の木刀は槍のように連なり、大刀で投げた小刀を突くことにより、その切っ先は加速する。
桜子は小刀を払いのけることができずに、その切っ先をみぞおちにまともに受けた。
鳳凰院流奥義十二形剣、蛇毒牙。
桜子も読んでいただろうが、薫子が本気で突けばかわすことは不可能だ。
「それまで!」
桜の樹の陰から大声とともに小柄な老人が出てくる。
「お、おじいちゃん?」
薫子は困惑した。その和服姿の白髪頭をした老人は紛れもなく薫子の祖父にして鳳凰院流の首領。
その実力からして、気配を完璧に消し去っていたこと自体は不思議でもなんでもないが、問題は彼こそが桜子たちをけしかけた張本人ではないかということだ。
「いったいぜんたいこれはどういうことなのよ?」
薫子は剣を構えながら怒鳴る。自分の祖父とて、桜子たち同様襲ってこないとは限らない。
「ふん、試験じゃ。おまえを試させてもらった」
試験?
「おい、おまえら、いつまで寝てる気だ?」
首領のひとことで、桜子が立ち上がり、セーラー服のほこりを払う。
「さ、桜子?」
「それなりの準備はしてあるよ」
桜子はセーラー服をめくった。なかには薄手ながら衝撃吸収の効果が大きい胴宛を着ている。
「死んだふりも楽じゃないわ」
「やっぱり薫子先輩は強いです」
そういいながら、月代たち三人も立ち上がった。
「ど、ど、ど、どうなってんの、まったく」
薫子は頬を膨らませた。
「怒らない、怒らない。可愛い顔が台なしだよ」
桜子が人差し指で薫子の下顎をくいと上に向けつつ、楽しそうに笑う。
「おじいちゃん、ちゃんと説明してよね! あたしが納得できるように、じっくりと」
薫子は桜子の手を振り払い、自分の祖父に向かって叫ぶ。
「初任務じゃよ、薫子。だが敵は手強いらしい。もしおまえに力がなければ断ろうと思っていた」
「初任務?」
薫子は胸が躍った。
もともと鳳凰院流とは歴史の闇の舞台で体制に使えてきた忍者のようなものだ。かつては一般にこそ知られていなかったとはいえ、知る人ぞ知る一大勢力だった。しかし平和な現代にいたっては、とくにたいしたことをするでもなく細々と代を継承して来たに過ぎない。
それでも薫子たちはいつか来る任務のために、子供のころから純粋培養されてきた。腕が上達するにつれ、自分の技を実際に試したくて仕方なくなる。
だが訓練に明け暮れるだけで、実際の出番は十七になった今に至るまでこなかった。しかも神の悪戯か、薫子たちの代には男が生まれてこなくなり、女ばかりになった。まさに鳳凰院存続の危機が迫っており、首領は自分たちの代で鳳凰院流を終わらせるつもりではないか、とさえ思っていた。だから薫子はいい加減、自分たちが実際の任務にありつくことは起こりえないと考えるようにまでなっていたのだ。
「で、どんな敵? 強いの?」
心なしか声が弾む。
「それを調べるのもおまえの仕事じゃ。いいか、敵を倒すだけなら、こっちも大人数で行ばいい。だがとりあえずは相手の目的と正体を探る必要がある。だからまずひとりが行くんじゃ。数に頼めば目立って、怪しまれる」
「え~っ、じゃあ、まだほんとうに悪いやつかどうかわかんないじゃない?」
薫子は少しがっかりする。ほんとうにやりたいことは探偵などではなく、剣を思い切り振るい悪いやつらを叩きのめすことだ。探った結果、相手が邪悪な存在でなければ、依頼主に報告して終わりになる。鳳凰院流は私利私欲のためにはけっして力を使わない。また、世のためにならぬ悪には荷担しない。正義の大義名分が必要なのだ。
その判断は首領にゆだねられている。
「依頼主を無条件で信じるわけにはいかない。それほど我らの力は強大なのじゃ。だが、依頼主を信じる限り、敵はそうとう邪悪で、なおかつ強大だ。探るだけでもどんな危険を伴うかわからん。だから、悪いがおまえを試させてもらった」
「それで、試験はもちろん合格だよね?」
半分怒り、半分期待しながら薫子は祖父に聞く。
「腕は申し分ない。だがそれだけではだめじゃ。霊剣、もしくは魔剣がおまえを選ばなければこの仕事は断るつもりじゃ」
「霊剣か魔剣ですって?」
薫子は驚いた。
樹齢千年を超え、霊力を宿したといわれる桜の枝で作った霊剣『千年桜』。
欧州から飛来した伝説の吸血鬼の魂を封印したといわれる魔剣『伯爵の牙』。
いずれも一見ただの木刀だが、選ばれたものがもつと不思議な力を発揮するという鳳凰院家に伝わる家宝。それを使いこなせたものは鳳凰院家の歴史の中でも数えるほどしかおらず、過去、鳳凰院家がそれらの剣を使ったときは必ず歴史が動いたといわれる伝説の剣だ。
逆にいえば、その力が必要なほど、相手は強いと首領は思っているらしい。
「ではこれからが最終試験じゃ。神の祠にいく」
首領は背を向け、歩き出した。
薫子とその仲間たちは無言で後を追った。