深秋の咆哮、止まった風の記憶
秋口の夜だった。
雨上がりの夜気は冷たく、どこか土の匂いが混ざっていた。
雨が上がったあとの夜は、やけに静かだった。
鳳学園の中庭。水たまりに映る月光が揺れている。
人影のない中庭に、彼は立っていた。
制服のジャケットを羽織っているが、冷気が骨の髄まで染み込んでくる。
(あの事件の日も、こんな月夜だった……)
雲間から顔を出した月は鋭く、血の気のない光を投げかけている。
真冬の寒さとは違う、秋の湿気を帯びた冷たさ。
草薙登夢は、ひとり立ち尽くしていた。
夜気は冷たく、胸の奥に沈んだ澱をそっと掘り起こすようだった。
(……風が、止んでいる)
彼は無意識に拳を握る。
その手のひらの中央、薄く残った古い傷跡に、かすかな幻痛が走った。
それは、遠い記憶の残響、氷点下の闇を切り裂く、灼熱の悲劇。
登夢の意識の奥では、真冬の炎の熱さが焼き付いていた。
「……熱い。」
登夢の唇から、小さな吐息と共に言葉が漏れた。
秋口だというのに、彼の額には一筋の汗が伝っている。
炎の記憶が、季節を無視して、彼の内側を焦がし続けている。
――悲鳴。焦げた木の匂い。
『登夢……心を閉ざしてはいけない。あなたの“手”は、誰かを守るためにあるの』
母の最期の声。
もう十数年経つというのに、あの夜の炎の色は、瞼の裏に焼き付いて消えない。
「……俺は、守れなかった」
自責の言葉が、唇からこぼれる。
その時、背後で軽い靴音がした。
「風が、完全に止んでるな。」
登夢は振り返らない。
そこにいるのが誰か、音を聞かずとも分かっていた。
雷伴隆だった。
制服の上着を肩にかけ、手に持った温かいブラックコーヒー缶の湯気が、月の光に白く浮かび上がっていた。
「やっぱりここにいたか」
登夢を射抜くように見ている。
「どうした? こんな時間に火の番か。」
雷の言葉は、登夢の過去を知っているからこその挑発であり、問いかけだった。
「……眠れなくて」
「また“あの夢”か?」
登夢は黙ってうなずく。
雷は、小さくため息をついた。
「お前が気にしてること、だいたい察しはつく。だがな、過去はもう変えられねぇ。お前が壊れたままだと、今ある『守るべきもの』も守れなくなるぞ」
登夢はその言葉にハッとして顔を上げる。
景の笑顔。
燃やシャケとの馬鹿騒ぎ。
そして、家族との食事。
「……守る、か」
「ああ。今度は、ちゃんと守れ。“壊す”前にな」
雷の言葉が、夜風の代わりに胸に刺さる。
登夢は拳をほどき、見えない何かを握り直すように手を閉じた。
「……ああ。今度こそ」
その声は小さく、けれど確かに響いた。




