不正を暴く者
太陽大陸海興国長港郡長港宮宰相室 陸柳泉
太陽暦一三〇四年十月初旬
「いったいどこで道草を食っていたのかしら」
入室早々随分な言われようである。しかしこれもまたいつものことで、俺が肩で息をする演技すらも触れずに、ただ苦言だけが飛んでくる。
「歩蘭殿に呼ばれ、慌ててきたのです。そのような口調で私の苦労諸共責め立てるのはおやめください」
そう言いながら、俺は宰相室の中央へと歩を進める。相変わらず明るい部屋ではあるが、蝋燭自体はおそらく陸宗家の領地から届けられているのであろう。あの地は豊富な鉱山資源に注目されがちであるが、高級品として扱われる蝋燭の産地としても有名である。年に数度、まとめてこの長港宮へと運び込まれるのだ。その大半は海興国の王である、高白麗様に献上されるのだがその余剰分は桂葉様が私物として使用される。その結果がこの贅沢な使い方なのだ。
羨望の眼差しで見られていることが分かっておられるのであろうな。内政官内で行われる褒賞の場ではよく蝋燭が渡されている。
いや、そんなことよりも、だ。
俺は手を伸ばせば届きそうな距離におられる桂葉様に目を向けた。
「それはそうとしていったいこのような時間に呼び出しをされるとは珍しいこともあるのですね。もう本日の御役目は相当前に終わっているはずでございますが」
「通常業務はね。まぁいいわ。とりあえずこれを読みなさい。そこの椅子に腰を掛けても良いから」
「なんともまた急なことで」
とは言いつつも、俺は桂葉様から随分と分厚い紙の束を受け取った。一枚目は真っ白ではあるのだが、その下部に小さな印が押してあることに気が付く。
そこには『調査部』の名が記されており、この紙の束がなんであるのかすぐに予想が出来た。
「どうして歩蘭殿が俺を呼びに来たのか理解いたしました。宰相室付きの調査部を動かしておられたのですね」
「えぇ、その通りよ。あなたが龍岳の領地に戻っていた際にとある密告があったのよ。真偽が不明であったから、ちょうどよい機会だと思って命を下したの」
宰相付き調査部。先ほど言葉を交わした李歩蘭殿を筆頭とした桂葉様直属の内部捜査組織である。その手は内政系統の組織全域に届くものであり、彼らが動けば各省の長官たちですら拒むことが許されないと言われている。
これを止められるのは王のみであり、宰相と同じ主要三役ですら止められない。
ちなみに三役とは宰相と尚書令に加えて、武官系統のまとめ役である大将軍が並ぶのだが、現大将軍は王の異母弟の高白轟様である。つまり王家の血筋の御方であるのだが、それでも調査部を止めることは出来ない。これは宰相の特権というよりも、陸宗家の当主である桂葉様の力がそれだけ強いから王に認められていると言う方が正解かもしれない。
「宰相付きの調査部がその成果を公表したのは過去に三度、今回で四度目になるわけですか」
「公表したのではないわ。捜査権を発動させたこと自体が三度。そしてすべて公表しているのよ。そして今回公表できるかどうかは」
「…まだわからないのですか?」
「証言者と証拠は集めたと書いてあるはずよ。でもそれはあくまで物産省内で行われていた不正とその事実について。黒幕については何も分からないような状況なの」
たしかに読み進めるとそのように書いてある。調査部は随分と慎重に探りを入れていたようだ。長官すらも従わせる力を有してはいるが、当初はただ密告者がいただけの状態である。さらに物産省の長官、張義京様もまた国学省の長官と同様に建国の功臣の一人とされている。それも隆朴仁殿とは比べ物にならないほど、王はその働きぶりを感謝しておられる。
ゆえに下手につつくことが出来なかったようだ。
現在張義京様は大将軍の恵楽郡出兵に同行しておられる。もし下手に調査が明るみに出てしまうと、すぐに戻ってこられるであろうし、仮に組織ぐるみの反抗であった場合はなんだかんだと文句をつけられている間に証拠を消し去られてしまう恐れもある。
「しかもよりにもよって物産省での不正ですか。なかなか難儀な密告だったのですね」
「その通りよ。物産省は主要六省の一角でありながら、非常に軍部との関わりも深いわ」
「表沙汰にでもなれば大混乱ですよ。それがもし誤りであったともなれば、いくら桂葉様のお立場であったとしても厄介ごとになるやもしれません。ここは慎重に捜査を進めるべきかと」
読み終わった俺は報告書を桂葉様の机へと戻す。
しかし本当に難儀なのだ。何がそこまで難儀なのかと言えば、物産省の立場がかなり特殊であるからである。
先ほど桂葉様も申しておられたが、物産省はその役割から内政系統の組織であるにも関わらず軍部との関わりが非常に強いのだ。
まず物産省の役割から説明すると、これまた大きく分けて二つ。
一つは国内で税として徴収された穀物の集積と管理。長港にある物産省管理の蔵にすべて運び込まれるのだ。夏の終わりから秋の始め頃に見られる景色なのだがかなり圧巻である。
そして二つ目が集められた穀物を出陣の際に兵糧として運び出すこと。つまり出兵の際に兵の胃袋を預かっているのがこの物産省なのである。もし物産省の官僚に嫌われたら、出兵先で餓死するほかないとまで言われており、軍部では張家に媚びへつらう者も一定数いる。
慎重にならなければならないのはこの二つ目の役割が大きなところだろう。
ただまだ慎重になるべき理由はあった。こちらは物産省どうこうという問題では無く、国内における派閥争い、また国家外のさらに大きな問題にも直結する非常に厄介な事情もある。
「誤りであった場合を危惧して。たとえばあの密告自体が私を嵌めるための罠である可能性を考慮して、調査部には遠巻きにのみ調査させたのよ」
「さすがは桂葉様」
「あなたに思いつくことくらい、私が思いついて当然でしょう?ただ今回の調査結果を受けて、物産省自体に不正があったことは確実なものとなったわ。つまり手を出しても証拠としてこの調査報告書を出してやれば黙らせることが出来る。それにあの狸親父の悪だくみが明るみになれば、これを糾弾する者たちも出てくるでしょう」
「対外省ですか。そりゃあちらはこれぞ好機と責め立てるでしょうが。下手をすれば国を割りかねませんよ」
「そのための根回しよ。明日から五日間、六省統括部内にて主要六省が集まって来たる年に向けた評議を行うわ。その最終日にこの問題を物産省に叩きつける予定よ」
「はぁ。それはまた随分と急な話で」
「ただしその前に尚書台のあの子に根回しを依頼しておくわ。特に軍部は私の手の及ばぬところであるから、先走って馬鹿な真似をしないように釘を打っておかないと」
「大陸の歴史を見ても歴代最年少の尚書令ですからね。やはり仕事が出来るというのは良いことで」
しかし尚書令、呂伏龍様はかつて桂葉様の預かりであったことを利用されて上手く使われているだけにしか見えない。
高位の立場がある分、俺よりもさらに可哀想である。歳が近い人が桂葉様にこき使われているところを見ると、自分に重ねてしまい時折辛くなるのだ。
「どうしてあなた、他人事でいるのかしら」
「どうしても何も。俺がこの件で介入できることなんてありませんよ」
「あるわよ。どうしてこんな時間にあなたを呼んだと思っているの?ただ話をするためだけに、私の睡眠時間を削ってまで呼ぶとでも?」
「…そんなまさか」
「そのまさかよ」
俺はそんなつもりで「まさか」とは言っていない。そんな馬鹿なという意味で言ったのだ。しかしすでに桂葉様の口は俺に何かを命令するために態勢を整えている。
まさかこのような大事にまで巻き込まれるとは、なんとも良い迷惑である。ただでさえ、業務に追われて追われて、ようやく終わりが見えたというのに。
「柳泉、あなたに調査部の指揮権を一時的に譲渡します。私が物産省の不正を突き付ける評議最終日までに黒幕も含めた決定的とも言える証拠を見つけ出しなさい。それが今回の命よ」
「…無茶なことを言わないで下さいよ、桂葉様。調査報告書を見る限り、この不正は数年間続けられていたそうではないですか。その中で物産省が蔵を開けた回数はゆうに百を超えるのですよ。どうやってそんなものの中から調べろと」
「分からない?だからこそあなたに命じているのです。あなたの情報を処理する速さを私は買っているのです。だから忌み子として、我が領内近くを山賊に連れまわされていたあなたに陸宗家の教育を施し、陸家の名を与えたのです」
「…それを持ち出すのは些かずるいのでは?」
「使えるものはすべて使う。それが私のやり方よ」
恩はある。今回の件、最悪の場合桂葉様は失脚する恐れもある。それは王の意思に関係なく、臣下の謀略によって。
この窮地、とてもでは無いが見て見ぬふりは出来ない。どれだけ面倒な命であったとしても、だ。
ただあまりにも難しいことを言われていることもまた事実である。情報の漏洩を嫌うのであれば、勝負はたったの一日しかない。立ち入った日にすべてを決着付けなければならない。
「それと柳泉。私のことを名で呼ぶのはそろそろやめなさい。この宮では宰相と呼ぶべきです」
「…これは失礼いたしました。つい癖で」
「それと前に頼んでいた件については明日の朝で良いこととするわ。ただし尚書台が朝一番に訪ねてくるはずだから、その前に提出しておくように」
「…」
「返事は?」
「必ずや」
地獄である。いや、地獄はこれからか。
物産省に直接踏み込めないのであれば、とりあえず過去の収支報告書と今回の報告書を照らし合わせるところから始めるべきだろう。
調査部の権限が一時的に渡ったのだから、とりあえず調査部所属の人間をかき集めて情報収集からだ。評議四日目に物産省に立ち入り、その日の内に桂葉様に報告を上げることが出来れば最も良い。最悪当日にはなるだろうが、そこまでにすべての下準備を終える必要がある。
これ、俺はいつ睡眠を取ればよいのだろうか。そろそろ睡眠不足で倒れると思うのだが。
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