高級官僚 陸柳泉
太陽大陸海興国長港郡長港宮国学省禁書庫 陸柳泉
太陽暦一三〇四年十月初旬
「確かこの辺りにあったような…」
とある書物を探すため、俺は足場を利用して棚の最上段へと目を向けていた。
背表紙を一冊一冊確認しながら、目的の物をひたすらに探す。
そしてしばらく、彷徨う指の先に探していた書物『東方諸国との外交記録』の題が姿を現した。じゃっかん背表紙が白くなっているのは、長らく誰もこの書物を手に取っていないからだろう。
「あった、あった。これで桂葉様に押し付けられた仕事も完成させられる。明日までに完成とか言われるから、睡眠時間もごっそり削っちゃったもんなぁ」
随分とガチガチに差し込まれていたせいだろうか。少し引っ張ったぐらいでは棚から抜くことも出来ない。
不安定な足場の上で力いっぱい引き抜くと足元が急にふらつき、受け身を取る暇もなく床に転がっていた。
その勢いがあまりに強すぎたのか、溜まりに溜まっていた埃が舞い上がり、目や口、鼻など穴という穴が不愉快な異物感に襲われる。「ゴホッゴホッ」と激しくせき込んでいると、おそらく落下した音に気が付いたであろう、禁書庫の管理人が慌てて飛んできた。
「柳泉様!?りゅ、柳泉様!?いったい何がありましたか!?」
「あいててて…。申し訳ありません、郭尹殿。少しばかり背が足りず、足場に登り、その上無理な体勢で本を引き抜いたところ、フラフラッと」
俺が笑うと禁書庫の管理人、上級官僚の郭尹殿は顔を真っ青にして駆け寄ってきてくれた。
「無事でございますか?どこかやったなんてことは…」
「そこまで大層なことでもありませんよ。そもそもこちらの不注意でしたし、無理に引っ張り出さず、一冊ずつ丁寧に抜くべきだったのです。ですからそうお気になさらず」
「ご無事であるならばよいのです。禁書庫で柳泉様に何かあったなどと陸宰相の耳に入れば、ただでさえ陸宰相と国学省の関係は悪いのに…。あ、いや。今の言葉は聞かなかったことにしていただけると」
郭尹殿はそう言うと、かなり気まずそうに俺から顔をそむけた。俺もその真意をよく理解しているからこそ、それ以上の追及はしなかった。
ちなみに国学省とはこの海興国の内政を担う主要六省の一つ。その名の通り、国内の教育や研究部門を預かる組織である。主な役割は大きく分けて二つ。
一つ目が年に二回行われる海興国官僚採用試験、通称国試の開催と運営を行うこと。この国試で優秀な成績を修めた者は主要六省かその下部組織へ配属されることになり、場合によっては海興国の直臣として、あるいは領主として認められる場合もある。この郭尹殿も上級官僚であるから国試で採用された側の人間だ。ちなみに俺は高級官僚と呼ばれる存在で、国試は受けていない。その代わり、高級官僚は高級官僚で厳しい審査の末に手にすることが出来る肩書である。まぁその話はまた今度として。
そして二つ目。それは国家推奨の研究分野に対して研究費用の無償提供や将来的に回収することが約束された先行投資を国費から捻出する。その調整を担っている。特に海興国は海上交易が盛んであり海上関連の技術が太陽大陸内で最も進んでいると言われている。比較的新しい国家であることを考えると、どれだけその分野に力を入れているのかが分かるはずだ。
とにかくこういった国の未来を担う組織であるにも関わらず、その働きぶりに不満を持つ桂葉様は国学省との間に溝を生み出しておられるのだ。この事実は上級官僚のみならず、その下に位置する一般官僚の耳にすら入っている。国学省付きの官僚たちは色々と将来が不安であろうな。
「下手なことは言いませんとも。私とて陸宰相の怒りを受け止めたくはありませんからね。おっと、どうやら足が折れてしまっていたようですね」
俺の言葉に顔面を真っ青にする郭尹殿。
「なっ!?それは一大事ではありませんか!?あぁ、なんということか。私はお終いだ」
ガクリと肩を落とす郭尹殿。意図的にそういった言い回しをしたものの、あまりの落胆ぶりに心が痛む。
俺はすぐに足場を郭尹殿の前に引っ張り出し、「足場の足ですよ」と補足しておいた。するとわかりやすくホッと息を吐く、深く吐き出す郭尹殿。
いくら将来がある程度明るいと言われている上級官僚とはいえ、禁書庫の管理人ともなると出世の道は遠のいていると言えてしまう。所謂窓際官僚だ。
正直に言えば俺も禁書庫の管理人に対して思うところはあった。本来であれば宰相室付きの高級官僚である俺が、国学省の中にある禁書庫にまで足を運ぶ必要など無い。宰相室付きの上級官僚に頼んで、俺の部屋に運んでもらうことだってできたのだ。
にもかかわらず、上級官僚が持ち帰ってきたのは依頼した書物では無くどこにあるのかわからないというあまりにも無責任な管理人の言葉だけであった。その管理人は郭尹殿のことでは無いが、禁書庫というとても限られた空間の中すらも把握していない、出来ない官僚が置かれている。だからよく利用する俺のような存在からすると、窓際官僚の置き場となっている禁書庫管理も国学省のそういった人事にも腹が立っている。もう一度言っておくがふざけた回答を寄越したのは郭尹殿のことではない。
たしかに郭尹殿は気が弱く、官僚として致命的なほどに向上心は足りないが、与えられた役目は最低限でもしっかりとこなしてはくれる。
だからこそここにいるのかもしれないが。
「しかし禁書庫が普段人の立ち入りを認めていないとはいえ、掃除の行き届き具合や備品の管理など。あまりにも杜撰なのではありませんか?」
欠けた足を拾い集めながら、ついつい愚痴をこぼしてしまった。実際打った背中は痛く、身体は埃まみれでずっと鼻の調子は良くない。壊した足場も間近でよく見れば、いつ壊れてもおかしくないほどにひび割れや欠け、素材の劣化がひどいものであった。
「掃除や備品の管理は本来一般官僚の役目なのですが、ここにはそういった者たちも入ることが出来ませんので。私一人の手では掃除をしようにも限界がありますし、常にいるわけでもございませんので」
「なるほど。上級官僚は一般官僚に比べて与えられる役目も多いですからね。そこまで手が行き届かないということですか」
「えぇ、まぁ…」
バツが悪そうに目を彷徨わせる郭尹殿。まぁ上級官僚にもなって掃除なんぞやっていられるか、という高いプライド持ちの管理人が多いのであろうな。
ここの番をしていても大してやることなんて無いはずなのだがな。そもそも俺は何度もこの禁書庫に足を運んでいるが、管理人以外の人間と会ったことも無いのだが、いったい管理人たちは掃除をする暇も無いほど何をしているのであろうか。
「禁書庫に収められている書物は通常人目に触れさせてはならないものばかり。そのために一般官僚の立ち入りは禁じられており、上級官僚ですら決められた、あるいは許可を貰っている人間以外は国学省関係者ですら入れない。ただし主要六省の高級官僚や長官・副長官・補佐長格ともなると立ち入る機会も多少はありましょう。そのような場所がこのような有様ではいずれ大きな問題が生まれてもおかしくはありません。ここは一つ、よく利用している私の方から状況改善の陳情を陸宰相にいたしましょう」
「あっ、いえ…。どうかそれだけは」
俺の言葉を郭尹殿は親切心だとは受け取らなかったはずだ。もしかしたら今回の出来事で烈火のごとく腹を立てているとすら感じたかもしれない。
まぁそこまででは無いにしても、禁書庫を管理する立場の組織として国学省にはぜひとも状況改善を進めてもらいたいところである。あまり期待もしていないが。
そもそも禁書庫管理を窓際官僚の置き場にするような組織である。建国の功臣の一人、隆朴仁なる御仁がこの国学省の長官なのだが、とにかく頭が固いと有名だ。そして異常なまでに伝統を重んじており、ここ近年の桂葉様との確執はまさにこの性格の不一致から起きているとすら言われている。
どう考えても禁書庫の諸問題の改善は進められないだろう。優先の序列がほとんど最下位であるからな。それに年明けの国試も迫ってきているゆえになおさら。
「まぁもしその気になれば言ってください。私と郭尹殿の仲ですからね。出来る限りは助けとなりますよ」
「その機会が訪れた際にはぜひともよろしくお願いいたします」
「もちろんです。とりあえず今回の目的は果たせましたので、貸出処理を」
俺は未だ地面に散らばっている書物をかき集め、それを郭尹殿に手渡そうとした。
しかし郭尹殿は受け取るそぶりも見せない。どうしたものかと困り果てていると、袖口から一枚の紙を取り出される。
「以前依頼を出された書物から変更はございますか?」
「いえ。依頼通りの書物を六冊ですが」
「…そのようでございますね。はい、確認が出来ましたので、そのまま持ち出していただいて問題ありません。貸出許可はすでに依頼を受けた者がやっていたようですので」
「それは手間が省けてありがたい!」
大げさに言っておいたが、それでまことに良いのだろうか。たしかにこちらとしては時間が短縮できてありがたいものではあるのだが…。
まぁもう今日は災難続きで早く仕事を終わらせたい気分だ。いつまでも禁書庫に籠っていても仕方がない。
そう考えを改め、俺は郭尹殿に礼を言って禁書庫の扉をくぐった。
外は通常の書庫であり、禁書庫は通常書庫の最奥の部屋。新鮮な空気を肺一杯に吸い込もうと大きく深呼吸をして、そして目を開いたところで今は見たくない存在に気が付いてしまった。思わず「ゲッ」と心底嫌そうな声が漏れ出たのだが、すでに相手は俺のことを視認していたようである。逃げようにも書庫を出るためには必ずあの男の脇を通らなければならない。
「観念してください、柳泉殿」
「…人違いでしょう」
「そのようなはずがありませんよ。そんなことよりも陸宰相が宰相室で柳泉殿をお待ちです。一刻も早く顔を出すようにと」
「それはまた随分とおかしなことで。時間外労働を誰よりも嫌っておられる陸宰相に限って、このような時間に人を呼び出すなんてそんな」
「たしかに。実際尚書台の面会については明日にされましたし、先ほど執務室を訪ねた私もかなり邪険に扱われました。つまり明日の陸宰相の機嫌をどうにか出来るのはおそらく本日最後の訪問となる柳泉殿以外にいないのでございます。きっと今頃尚書台の方々も震えて眠れない夜を過ごしておられましょう」
尚書台とは王の側近中の側近が集まる組織である。宰相と並ぶ国家の主要三役の内の一つだ。現在の長、尚書台では尚書令と呼んでいるのだがその御方はかなり若い。だがあの桂葉様ですら一目置く存在である。そんな御方が桂葉様の機嫌一つにびくびく震えるだろうか。
何度もご一緒させていただいている俺からすれば、まるでそのような姿は想像できないものであるが。
「相手が悪いですよ、歩蘭殿。いくら我らが宰相室付きの高級官僚であるとはいえ、相手があの呂家の方ともなると何をされるか」
「相手が悪いと感じているのは柳泉殿だけでしょう」
同僚、李歩蘭殿は軽く笑い、そして俺の手にあった書物を全部丸ごと奪ってしまう。
「これは柳泉殿の部屋に持って行っておけばよいでしょうか」
「なっ!?私はまだ行くとは」
「行かねば仕事量を倍にすると申しておられました。大人しく命に従っておいた方が、私は良いと思いますが」
やはり桂葉様。なんとも卑怯なことを平然とされる。
そもそも今の俺の仕事量が倍になんてなれば、それは人がこなせる仕事量を大幅に超過することになるだろう。いくら俺の事務能力が高く評価されているのだとしても、その字のままに馬車馬のように働かされている俺の身にもなってほしいものだ。
それでも桂葉様には恩があるから嫌々でも命には従ってしまうのだがな。
「…観念しました。行ってまいりましょう」
「はい、よろしくお願いします」
随分と爽やかな顔で歩蘭殿は書庫から出て行ってしまった。俺もまた気持ちを奮い立たせて宰相室へと向かう。
未だ仕事が終わっていないというのに、次はいったい何を言われるのであろうか。
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