密告
太陽暦一三〇四年十月初旬
太陽大陸海興国長港郡長港宮宰相室
「失礼いたします」
静まり返った長港宮の中。一人の男が蝋燭に火を灯してコソコソととある一室へと足を踏み入れた。
部屋の中はまるで昼間のように明るく照らされており、蝋燭が高級品と言われているこのご時世にしてはあまりに贅沢な環境とも言える場所となっている。
「すでに今日の役目は終了しているはずよ。いったい誰がこの私に仕事を押し付けたのかしら」
部屋の奥より不機嫌そうな声が響く。中に入った男はその声色を聞いて、分かりやすく身体を強張らせた。
「い、いえ…。先日密告があった件につきまして、情報が纏まりましたので急ぎご報告に参った次第でございます」
「そう。あんな簡単なことに随分と時間がかかったのではない?」
「恵楽郡での戦もあり、宰相室でも人員が」
「言い訳を聞きたいわけではないの。それらは言わば我が王の財産。そんな大切なものを誰かが誤魔化し、懐に入れていた。決して許される行いではないこと、あなたたちもよく理解しているでしょう。戦は大将軍に、内政は宰相に。戦が言い訳になるはずがない。ねぇ、そうでしょう?」
カチャリとカップが机に置かれた。揺れる色付きの水は最近南の諸島群より交易品として入って来る九頭茶であろうか。
本来は気分を落ち着かせる効果があるはずの紅茶も、詰められている男にとっては何の意味もない。むしろカップを置く動作一つのせいでさらに威圧感が与えられた。
「その通りでございます。遅れたのは私どもの仕事が遅いせいでございました」
「そうね。まぁあなたたちの仕事が遅いことはいつものことよ。今さら責めたりはしないわ。それよりも報告を」
「はっ、はい。密告者の言葉通り、三年ほど前より物産省が六省統括部に提出している収支報告と、実際に物産省管理下の蔵に収められた米の量に差が生じていたことが判明いたしました。証拠・証言ともに確保はしております」
「それで?」
「どうやら戦で蔵を開けるたびに帳尻合わせをしていたようで。発見が遅れたのは最終的に収支報告書の数値と蔵に残っていた米の量が一致していたからでございます」
男の額から大粒の汗が落ちる。ポタリ、ポタリと落ちるのは、目の前の女の表情が無に近づいたからである。
しかし報告を止めることも、この場から逃げ出すことも許されない。
なぜならば彼女がこの国の内政の全てを司る内政官の頂点。海興国の宰相であり、この太陽大陸最古の一族、陸宗家当主、陸桂葉その人であるからだ。
「近年、戦と言えば西の燕国による度重なる領土侵攻。他の国とは比較的円満な関係を築いているわ」
「売り払っているのであればもっと早くに足がついていたと思われます」
「起こっていない話をする必要はないわ。今私が知りたいことは、この横領が物産省の組織ぐるみの犯行であったのか。消えた米がどこにいったのか。その二点だけよ」
陸宰相の言葉に男はさらに顔を顰める。その手にある報告書には、陸宰相の知りたいことの内、一つは間違いなく書かれていた。
しかし口にすることが憚られる。どうしてか。もはや言わずとも分かることである。
「今回の件、物産長の長官である張義京様も関与しておられます」
「そう。いや、聞くまでも無かったわね。ここまで大規模な横領だもの。長官が知らないはずがないわ。むしろ知らないことの方が問題よ」
「…どういたしましょうか」
「まずは尚書台に報告を。あの子のことだからすぐに私に会いに来るわ。でも今日は駄目。明日の朝一番でのみ受け入れる」
「はっ」
「我が王には尚書台と協議したうえで伝えるわ。大事にするかしないかもその時に決める。だからこの話はここで…」
しかし陸宰相はわずかな時間、口を閉ざした。男は何事かと思ったが、すぐに背筋を伸ばして直立の姿勢を取る。
「今すぐにアレを呼んできなさい。どうせ書庫に籠って本でも読んでいるでしょうから」
アレという漠然とした言葉。文脈から人であることだけは読み取れる。
しかし男はそれが即座に誰を指しているのか理解した。
「ですが柳泉殿は」
「与えた役目はすでに終わっているわよ。私が目をかけて育てあげた秘蔵っ子。あの程度の役目に二日もかかるはずがないでしょう。もし嫌がったら仕事量を倍にすると言っていたと伝えなさい。私の元に飛んでくるから」
「はっ、かしこまりました」
男の口から出た柳泉という名前。陸桂葉が宰相として海興国に迎えられ、初めてこの長港宮に出仕した際に付き従った陸宗家の配下の一人である。
陸家の配下は皆が陸宰相の推薦により高級官僚として宰相室に配属されており、その役目を補佐しているわけだ。つまりこの柳泉という男もまたそのうちの一人なのである。
「それとあなたにも言っておくわ。この件、まだ公にすることは出来ない。他言無用で、ね」
そのあまりの迫力に、ついに言葉が出なかった男は激しく頷いた後に逃げるように部屋から出て行った。
わずかに開かれた扉の隙間から入り込んだ風により、部屋を照らしていた蝋燭が一本消える。しかしそれもまた陸宰相には些細なことなのだろう。
「張家も終わりかしら。でも狸親父の最期に見合うと言えばその通りなのでしょうね」
再び手に取ったカップの水面に映る自身の表情を見て、僅かに笑みをこぼした陸宰相。
つい漏れ出した言葉に落胆という感情は込められていなかった。そこにあったのは、ただ破滅を予感して愉快そうに表情を崩す一人の女の顔だけである。
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