第九話:旅立ちの餞別と、闇夜の番人
聖都へ旅立つ日の朝は、驚くほど晴れ渡っていた。
俺たちが教会の扉を開けると、そこには大工の親方をはじめ、パン屋の主人、商人たち、そして礼拝に集う信者たち、たくさんの人々が集まってくれていた。
「聖女様、これは俺たちからの餞別だ。道中、何かと物入りだろう」
「このマントは、夜の冷え込みから体を守ってくれるはずだよ」
「レイの兄ちゃん! うちの女房が焼いた保存食だ、腹が減っては戦はできねえからな! 聖女様のこと、くれぐれも頼んだぜ!」
口々に励ましの言葉と共に、旅に必要な品々が手渡される。それは、この一ヶ月余りで俺たちがこの街で築いてきた、温かい絆の証だった。
「皆さん……本当に、ありがとうございます……!」
セレスティーナは目に涙を浮かべ、何度も何度も頭を下げていた。
街の門で見送りを受け、俺たちは聖都行きの乗り合い馬車に乗り込んだ。
ガタガタと揺れる馬車の中から、小さくなっていく街並みをいつまでも見つめていたセレスティーナだったが、やがて視界に広がり始めた雄大な景色に、その瞳を輝かせ始めた。
「レイさん、見てください! あんなに大きな川、初めて見ました!」
「わあ……森がどこまでも続いています……!」
これまで教会の周りの、ごく狭い世界で生きてきた彼女にとって、見るものすべてが新鮮な驚きだったのだろう。子供のようにはしゃぐその姿に、俺は張り詰めていた警戒心を少しだけ緩めた。
旅の最初の夜は、森の中での野営となった。
他の乗客たちが焚き火を囲んで談笑する中、俺は一人、少し離れた場所で闇に目を凝らす。
セレスティーナが差し入れてくれたスープを飲み干した、その時。
(……来たか)
風に乗って、微かな殺気が届いた。獣ではない。獲物を物色する人間の、浅ましく統制の取れていない気配。十数人といったところか。夜盗だろう。
「少し、用を足してくる」
眠そうな目をこするセレスティーナにそう告げ、俺は音もなく闇に紛れた。
気配を完全に殺し、木々の梢を渡る。眼下では、汚らしい身なりの男たちが、俺たちのいる野営地を包囲しようと散開していた。
俺は懐から、ただの掌大の石を一つ取り出す。
狙いは、リーダー格と思わしき、指示を出している男。
呼吸を止め、全身のバネを使って、腕をしならせる。放たれた石は、闇を切り裂く弾丸と化し、男の首筋にある神経の集中点に寸分違わず命中した。
「ぐっ!?」
男は声にならない呻きを上げてその場に崩れ落ちる。何が起きたか理解できない手下たちは、突然リーダーを失って右往左往し始めた。そこへ、別の方向から獣の鳴き真似で注意を逸らすと、夜盗たちは恐れをなして森の奥へと退散していった。
時間にして、わずか三十秒。
俺が何事もなかったかのように野営地に戻ると、セレスティーナは小さな寝息を立てて、もう眠りについていた。俺が少し席を外していたことにすら、彼女は気づいていない。
それでいい。この光は、闇を知る必要はないのだから。
数日間の旅は何事もなく順調に進んだ。
馬車に揺られながら、セレスティーナが不安げに呟く。
「聖都って、どんなところなんでしょうか……。きっと、すごい聖職者の方々ばかりで、私、ちゃんとできるか不安です……」
「お前は、お前らしくしていればいい。それだけで十分だ」
俺のぶっきらぼうな言葉に、彼女は少し驚いた顔をしたが、やがて嬉しそうに微笑んだ。そして、ことりと俺の肩に頭を預け、穏やかな寝息を立て始めた。
旅の五日目。
馬車の御者が、興奮した声で叫んだ。
「見えてきたぜ! あれが聖都アルティスだ!」
窓の外に目をやると、地平線の彼方に、巨大な都市のシルエットが浮かび上がっていた。空を覆うほどの巨大な城壁、無数に立ち並ぶ塔、そしてその中央でひときわけ高くそびえ立ち、陽光を反射して輝く大神殿の白亜の尖塔。
その、あまりにも壮麗で圧倒的な光景に、セレスティーティーナは息を呑んだ。
「すごい……」
呟く彼女の横顔には、憧れと、そしてこれから待ち受けるであろう未知の運命への、かすかな不安が浮かんでいた。
俺は彼女の隣で、静かにその都を観察する。
(……あの壁の中に、俺たちの敵がいる)
俺の目が、穏やかな旅人のそれから、獲物を見定める冷徹な暗殺者の目へと変わったことを、隣で感動に打ち震える聖女はまだ知らない。
二人の希望と、俺一人の覚悟を乗せて。
馬車は、巨大な聖都の門へと、ゆっくりと向かっていく。




