第六話:鉄血司教と、聖女の証明
教会の扉が、重々しい音を立てて開かれた。
最初に足を踏み入れてきたのは、鋼の鎧に身を包んだ二人の聖堂騎士。その鋭い視線が、教会にいる者たちを射抜く。
そして、彼らに守られるようにして、一人の老人がゆっくりと姿を現した。
歳は六十をとうに超えているだろうか。背筋は鋼のようにまっすぐに伸び、その身にまとった純白の法衣は、ガルドーのそれとは比べ物にならない威厳を放っている。何より印象的なのは、その鷲のような眼光だった。全てを見透かし、嘘も欺瞞も一切許さないと語る、鋭く冷たい瞳。
この男が、ヨハネス司教。噂に違わぬ、『鉄血』の異名を持つ男だ。
「……セレスティーナ聖女だな」
地を這うような低い声が、静まり返った礼拝堂に響く。
セレスティーナの肩が、びくりと震えた。俺は彼女の半歩後ろに立ち、ただ静かに目の前の老人を観察する。
(呼吸、脈拍ともに乱れなし。隙のない立ち姿。だが、わずかに右足に重心を置く癖がある。古傷か……? この男、ただの聖職者ではない)
ヨハネス司教は、修繕された教会を一瞥すると、ふんと鼻を鳴らした。
「付け焼き刃の繕い、ご苦労。だが、このような小手先の体裁で、私の目がごまかせるとでも?」
彼はセレスティーナの目の前まで歩み寄ると、矢継ぎ早に問いを浴びせ始めた。
「ガルドー司祭代理が死んだ経緯、詳しく話せ」「この教会の収支報告は」「寄付金の流れは適正か」
それは尋問だった。セレスティーナは必死に、そして正直に答えるが、その声は緊張で震えていた。
やがて、ヨハネスの冷たい視線が、俺に突き刺さる。
「そして、そこの男。貴様は何者だ? 聖女が素性の知れぬ男を侍らせるとは……言語道断。まさか、貴様がガルドーを手にかけたのではないか?」
あからさまな、カマかけ。
俺は内心の暗殺者を完璧に押し殺し、無害な流れ者を演じる。
「……俺はただ、聖女様に命を救っていただいた者です。司祭代理殿が亡くなったと聞いた時は、驚きました。俺のような者に、人を殺める力などありません」
完璧なポーカーフェイス。俺の言葉に、ヨハネスはわずかに眉をひそめたが、それ以上は追及せず、再び矛先をセレスティーナへと向けた。
「ふん。まあいい。それよりも問題は、この者たちだ」
ヨハネスは、教会に残ってセレスティーナを見守っていた大工の親方や商人たちを、侮蔑の眼差しで見下した。
「お前たち、この女にいくらで雇われた? ガルドーがいなくなり、都合が良くなった悪党どもが、新たな利権を求めて集まっているだけではないのか?」
その言葉は、決して許されない一線だった。
「そりゃあんまりだぜ、司教様!」
大工の親方が声を荒らげる。聖堂騎士が、剣の柄に手をかけた。
だが、その騎士の動きを止めたのは、か細く、しかし凛とした声だった。
「――おやめください」
セレスティーナだった。
彼女は震える親方の前に立つと、恐怖を振り払い、ヨハネス司教をまっすぐに見据えた。
「司教様。この私へのご叱責は、いくらでもお受けいたします。ですが……!」
彼女は言葉を続ける。
「この方々は、見返りも求めず、ただ私とこの教会を助けたいという一心で……その温かい真心で、力を貸してくださったのです! そのお気持ちを、踏みにじるような発言だけは……どうか、撤回してください!」
叫びにも似た、魂からの訴え。
その瞬間だった。
ふわり、と。
セレスティーティーナの全身から、淡く、しかし温かい光が溢れ出した。
それは強力な攻撃魔法の輝きではない。治癒魔法のそれとも違う。ただただ純粋で、清らかで、慈愛に満ちた聖なるオーラ。彼女が本物の『聖女』であることの、紛れもない証明の光だった。
礼拝堂にいた誰もが、その神々しい光景に息を呑む。
鉄血と呼ばれたヨハネス司教でさえ、その鋭い目を見開き、驚きに言葉を失っていた。彼の眼光が、冷徹なものから、畏敬と、そして何か別の感情へと揺らぐのを、俺は見逃さなかった。
(……賭けは、勝ちか)
この厳格な司教が、本当に求めていたもの。
それは、腐敗した教団の中で失われつつあった、本物の『信仰』の光。
セレスティーナは、それを無意識のうちに、最高の形で示してみせたのだ。
鉄血司教の査察は、今、誰も予想しなかった形で、大きな転機を迎えようとしていた。