第四話:焦げたオムレツと次なる足音
ガルドーが街から消えて、数日が過ぎた。
彼の死は「悪党との仲間割れ」として処理され、教団もそれ以上の調査はしなかったらしい。街の人々は、忌々しい徴税官がいなくなったことを素直に喜んでいた。
変化は、すぐにセレスティーナの小さな教会にも訪れた。
「聖女様、いつもありがとう。これはほんの気持ちだよ」
パン屋の主人が、焼きたてのパンを。
「ガルドー様に無理やり買い叩かれていた野菜です。どうぞ、召し上がってください」
農家の女性が、瑞々しい野菜を。
これまでガルドーに搾取され、教会に寄り付かなかった人々が、次々と寄付を持って訪れるようになったのだ。
がらんとしていた教会の食料庫は、あっという間に満たされていった。
「皆さん、とても親切です……! ガルドーさんのことは……その、残念でしたけど……」
少し複雑そうな顔をしながらも、セレスティーナは嬉しそうに微笑んだ。俺のした『掃除』が、目に見える形で彼女の笑顔に繋がっている。その事実に、俺は静かな満足感を覚えた。
そして、食材が潤沢になったことで、聖女様の料理への情熱が再燃した。
「レイさん! 見てください、この卵! 今日こそ、今日こそはレイさんのために、ふわっふわのオムレツを作ってみせます!」
キラキラと目を輝かせ、寄付されたばかりの新鮮な卵を掲げるセレスティーナ。
俺は黙って、彼女の三度目の挑戦を見守ることにした。
コンコン、パカッ……ぐしゃ。
「ああっ!?」
当然のように、卵の殻が綺麗にボウルの中へとダイブする。
塩とコショウを振ろうとして、容器の蓋が外れて中身をぶちまける。
油を引いたフライパンを火にかけすぎて、盛大に煙が立ち上る。
もはや様式美とも言えるポンコツぶりだったが、それでも彼女は諦めなかった。
そして十分後。
「で、できました……! レイさんのオムレツです!」
差し出された皿の上には、やや黒みがかった、しかしギリギリ原型を留めた物体が乗っていた。
俺はそれを無言で受け取り、フォークで一口、口に運ぶ。
「お、美味しい……ですか?」
セレスティーナが、判決を待つ罪人のような顔で俺を見つめる。
味は、まあ、食べられなくはない。少し塩辛く、少し焦げ臭い、そんな味がした。
だが、俺はただ一言だけ告げた。
「……悪くない」
その瞬間、セレスティーナの顔が、ぱあっと花が咲いたように輝いた。
「本当ですか!? よかったぁ……!」
心底嬉しそうに笑う彼女を見て、焦げたオムレツの味も、悪くないと思えた。
その週末の日曜日。
教会の礼拝には、信じられないことに十数名の信者が集まっていた。ガルドーの件で助けられた商人や、昔からセレスティーナの優しさを知る街の貧しい人々だ。
祭壇の前に立ったセレスティーナは、少し緊張しながらも、穏やかで、そして凛とした声で祈りの言葉を紡ぐ。その姿は、いつものポンコツな彼女ではなく、紛れもなく人々を導く『聖女』そのものだった。
後方の席からその光景を眺めながら、俺は思う。
守る価値は、ある。この光景を、この笑顔を。
だが、穏やかな時間は、新たな足音によって破られた。
礼拝が終わり、信者たちが帰っていく。その入れ替わりに、教会の扉が静かに開かれた。
そこに立っていたのは、純白の豪奢な法衣をまとった、鋭い目つきの青年だった。その胸には、教団本部直属の使者であることを示す紋章が輝いている。
「あなたが、セレスティーナ殿ですね。教団本部より通達です」
感情の読めない冷たい声。使者はセレスティーナの前に立つと、一枚の羊皮紙を突きつけた。
「先日、不慮の死を遂げたガルドー司祭代理の件、ならびに当教区の監査のため、近いうちに、聖都よりヨハネス司教様が直々に視察に訪れられます。心して準備なさい」
セレスティーナの顔から、さっと血の気が引く。
司教。それは、ガルドーのような末端の代理とは比べ物にならない、教団の最高幹部の一人だ。
使者は、俺を一瞥すると、侮蔑を隠そうともしない目で言った。
「……このような素性の知れぬ男を教会に置いていることも、司教様にはご報告させていただきます」
高圧的に言い放ち、使者は背を向けて去っていった。
残されたのは、重い沈黙と、不安に震えるセレスティーティーナ。彼女は、助けを求めるように俺を見つめた。
俺は彼女の不安を読み取り、静かに告げる。
「問題ない」
その短い言葉に、セレスティーナは少しだけ安堵の表情を浮かべた。
「俺がいる」
彼女には聞こえないよう、心の中で続ける。
――次の『ゴミ』が、自分からやってきてくれるらしい。ならば、こちらもそれ相応の『掃除』の準備をするだけだ。
俺の目には、次なる獲物を見定めた、暗殺者の冷たい光が宿っていた。