第三話:ゴミ掃除と聖女様の編み物
翌朝、セレスティーナが淹れてくれた(ぬるい)ハーブティーを飲みながら、俺は静かに告げた。
「少し、街の様子を見てくる」
「えっ、もうどこかへ行ってしまうのですか!?」
ガタッと椅子から立ち上がり、捨てられた子犬のような目で俺を見るセレスティーナ。どうやら俺が出ていくと勘違いしたらしい。
「違う。昼までには戻る。何か必要なものがあれば買ってくる」
「そ、そうでしたか……よかった……。えっと、でしたら卵をお願いしてもいいですか? 今日こそは、ふわふわのオムレツを作りますから!」
昨日、炭にしてしまった失敗をもう忘れたのか。そのあまりのポジティブさに呆れつつも、俺は静かに頷き、教会を後にした。
一歩、街の雑踏に紛れた瞬間、俺は『レイ』という仮面を外し、『亡霊』へと意識を切り替える。
気配を消し、呼吸を殺し、人々の視界から意識を逸らす。ただの街の住人Aとして、俺は完全に風景の一部と化した。
目的は一つ、ガルドー司祭代理の『調査』だ。
まずは奴が頻繁に出入りするという、少し治安の悪い地区の酒場へ。昼間から酒を煽るチンピラたちの会話に、意識を集中させる。
「聞いたかよ、ガルドーの旦那の計画」
「ああ、あの聖女様を追い出して、教会を俺らの新しいアジトにするって話だろ?」
「教会の土地は高く売れるらしいぜ。その金で俺らも大儲けってわけだ」
聞けば、ガルドーは教団の金を横領し、悪徳商人と組んで教会の土地の乗っ取りを計画。そのためにセレスティーナに無理な寄付金を要求し、達成できなければ追い出すという算段らしい。
くだらない。あまりにも陳腐で、救いようのない悪意だ。
だが、それで十分だった。虫ケラを潰すのに、大層な理由など必要ない。
約束通り昼前に教会へ戻ると、そこには新たな惨状が広がっていた。
「うぅ……レイさぁん……」
セレスティーナが、涙目で助けを求めてくる。どうやら俺のためにマフラーを編もうとして、毛糸が見事なまでに絡まり、巨大なオブジェと化してしまったらしい。
俺は無言で彼女から毛糸玉を受け取ると、指先で結び目を探り、一本一本丁寧に解きほぐしていく。こういう緻密な作業は、爆弾の解体などで慣れていた。
「わぁ……! すごい! どうしてそんなに器用なんですか、レイさん!」
尊敬の眼差しを向ける無垢な聖女。
その笑顔を見ながら、俺は内心で自嘲した。今夜、その手で人の命を奪おうとしている男が、何を言っているんだか。
守りたい、と思った。
この温かくて、少し間の抜けた日常を。
そのためなら、俺は何度でも闇に還ろう。
その夜。
セレスティーナが穏やかな寝息を立て始めたのを確認し、俺は音もなくベッドを抜け出した。
黒を基調とした動きやすい服に着替え、夜の闇に溶け込む。まるで、古巣に帰ったような心地よささえ感じた。
ガルドーとチンピラたちが密会場所にしている、廃倉庫の裏。
闇の中、俺は静かに『掃除』を開始した。
「――がはっ!?」
見張りの一人が、背後から近づく俺の気配に気づくことすらできず、首への一撃で崩れ落ちる。物音一つ立てさせない。
「おい、どうした?」
仲間の一人が、闇の向こうへ声をかける。返事はない。
警戒しながら近づいてきたところを、影から伸ばした腕で口を塞ぎ、そのまま首の骨を折る。
パニックに陥る暇さえ与えない。
悲鳴は、闇が飲み込んだ。
五分後。そこには意識を失ったチンピラたちの山だけが残されていた。
そして、最後に残ったガルドーの前に、俺は静かに姿を現す。
「ひぃっ!? き、貴様、いつの間に……俺の護衛たちはどうした!?」
「静かに眠っている」
事実を告げると、ガルドーは腰を抜かし、無様に後ずさった。
「ば、化け物め……! 俺を誰だか分かっているのか! 教団の司祭代理だぞ! 俺に手を出せば、神罰が下るぞ!」
神罰、か。
ならば、俺がそれを代行してやろう。
「お前は、見てはいけないものを見た。触れてはいけないものに、触ろうとした」
俺は一切の感情を排した声で、ゆっくりと彼に近づく。
「た、頼む! 金か!? 金ならやる! だから命だけは……!」
「聖女様の名を」
俺は命乞いをするその汚い口元に手をかけ、路地のさらに深い闇へと引きずり込んだ。
「二度とその口で呼ぶな」
翌朝。
街は、一つの噂で持ちきりだった。
「教会の神官様が、悪党と金銭トラブルの末に、路地裏で無残な姿で見つかったらしい」
「なんでも、仲間割れだろうってさ。自業自得だな」
そんな噂話が流れる街を背に、俺は教会へと戻った。
「おはようございます、レイさん!」
何も知らないセレスティーナが、いつものように無邪気な笑顔で俺を迎える。
その手には、少し不格好だが、なんとか形になったマフラーが握られていた。
「これ、どうぞ! いつも助けてくれるお礼です!」
差し出された温かいマフラーを受け取りながら、俺は昨夜の血の匂いを思い出す。
この日常を守れたことに、ほんの少しの満足感を覚えながら、俺はただ静かに「ありがとう」とだけ、呟いた。




