表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

2/25

第二話:ポンコツ聖女と穏やかすぎる日常

セレスティーナに手を引かれ、たどり着いた教会は、彼女の言葉通り「ボロボロ」だった。

街の外れにひっそりと佇むその建物は、石造りの壁には蔦が絡まり、屋根の瓦はいくつか剥がれ落ちている。かつてはステンドグラスだったであろう窓も、多くは木の板で塞がれていた。


「ど、どうぞ! ここが私のおうちです!」


なぜか胸を張るセレスティーナに促され、俺は軋む扉を開けて中へと足を踏み入れた。


外観とは裏腹に、教会の中は驚くほど清潔だった。

床は磨かれ、並べられた長椅子には一つも埃がない。祭壇には一輪の花が飾られ、彼女がこの場所をどれだけ大切にしているかが一目でわかった。

信者が一人もいない、がらんとした空間。だが、不思議と冷たさは感じなかった。


「お腹、すきましたよね! 私、料理は得意なんです! とっておきのシチューを作りますから、座って待っててください!」


得意、という言葉に、なぜか一抹の不安を覚えたが、黙って長椅子に腰を下ろす。

教会の奥にある質素な居住スペースから、セレスティーナが鼻歌まじりに調理を始める音が聞こえてきた。


しばらくして、ふわりと甘い香りが漂ってくる。

シチューから甘い香り……? 嫌な予感が的中したのは、それからすぐのことだった。


「うわぁぁん! またやっちゃいましたーっ!」


悲鳴と何かが割れる音。

慌てて駆けつけると、そこには目に涙を浮かべ、黒焦げになった鍋の前で立ち尽くすセレスティーナの姿があった。床には割れた壺と、白い粉が散らばっている。シチューの甘い香りの正体は、塩と間違えて投入された大量の砂糖だったらしい。


「ご、ごめんなさい……。お腹すいてるのに……私、また……」

「……別にいい。それより、ケガはないか」

「はい……手は滑らせましたけど、大丈夫です……」


しょんぼりと俯く彼女の姿に、ため息が一つ漏れる。

暗殺者としての俺の能力の一つに、『完璧な状況把握と最適解の実行』というものがある。まさか、そのスキルを鍋の後始末と夕食の準備に使うことになるとは。


「残りの食材は?」

「え? あ、はい。パンと干し肉と、野菜が少しだけ……」

「貸せ」


俺は散らばった粉を片付け、無事だった食材を手に取る。潜伏生活で自炊のスキルは嫌というほど身についていた。干し肉と野菜で簡単なスープを作り、硬くなったパンをそれに浸して食卓に並べる。


五分後。

「おいしい……! レイさん、すごいです! こんなにおいしいスープ、初めて食べました!」

目をキラキラさせながらスープを頬張るセレスティーナを見て、俺の口から、またため息が漏れた。どうやらこの聖女様は、俺が思っていた以上にポンコツらしい。


食事をしながら、ぽつりぽつりと彼女は話してくれた。

この教会は信者がほとんどおらず、教団本部からの支援金もごくわずかであること。それでも、困っている人がいつ来てもいいように、毎日一人でここを守っているのだという。


「レイさんのような方をお助けするのが、私の役目ですから」


そう言って、彼女ははにかんだ。

その笑顔は、俺が今まで見てきたどんなものよりも、まっすぐで、温かかった。

このまま、こんな日々が続けばいい。柄にもなく、そう思った。


だが、平穏を壊す者は、いつだって唐突に現れる。


ゴン、ゴン、ゴン!


教会の扉が、まるで壊すかのように乱暴に叩かれた。

セレスティーナの肩がびくりと跳ねる。その怯えた表情に、俺は眉をひそめた。


「セレスティーナ殿! いらっしゃいますかな!」


扉を開けると、そこに立っていたのは、肥え太った中年の中級神官だった。その目は蛇のようにいやらしく、俺の全身を値踏みするように舐め回す。


「これはこれは……どこの馬の骨ですかな? 聖女様が、素性の知れぬ男を教会に住まわせていると聞き、心配して見に来ましたぞ」

「ガルドー司祭代理……。この方は、怪我をされていたので保護しただけで……」

「ほう。そのようなお優しい心、結構ですな。ですが、その施しのせいで、今月の目標寄付額に達していないのでは?」


ガルドーはねちっこい口調でセレスティーナを追い詰める。

「このままでは、教団もこの教会を見捨てるしかなくなりますなぁ? あなたのその『聖女』という御立場も、どうなることか」


「も、申し訳ありません……! すぐに、なんとか……!」


深々と頭を下げるセレスティーナ。彼女の拳が、悔しさに白く握られているのを俺は見逃さなかった。

ガルドーは満足げに鼻を鳴らすと、最後に「せいぜい頑張ることですな」と吐き捨てて去っていった。


扉が閉まり、静寂が戻る。


「……すみません、お見苦しいところを」

落ち込んでいるかと思いきや、セレスティーナはすぐに顔を上げ、無理に笑顔を作った。

「大丈夫です! 私、頑張りますから!」


その笑顔が、ひどく痛々しい。


俺は黙って、ガルドーが去っていった方向を睨む。

あの男の目。あれは、ただの忠告の目ではない。獲物を見る捕食者の目だ。侮蔑と、劣情と、どす黒い欲望にまみれた、醜い目。


ああ、そうか。

この世界でも、それは同じらしい。


平穏とは、誰かが与えてくれるものではない。

自らの手で、邪魔者を『排除』して、勝ち取るものだ。


ならば、やることは変わらない。

俺の、そして彼女の『日常』を脅かすゴミは――静かに『掃除』するだけだ。

俺の内で、忘れていたはずの暗殺者のスイッチが、静かにオンになるのを感じた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ