1-01 Not Safe For Watch
まるで捨てられたゴミのように、黒ずんだ鴉が砂利道で倒れていた。
羽は熱に照らされて鈍く艶を帯び、アスファルトへ貼りつくようにしてそれは微動だにしない。まるで霊魂を抜かれた置き物のように目を閉じ、足も投げ出したままだった――けれど、私がポカリのキャップを開けてクチバシに近づけると――この妙に警戒心の薄い莫迦なカラスは、グイッと喉を鳴らして距離を縮めてくる。
「……マジで飲むんだ。お前って、なんか可愛いな」
八月の上旬、正午を少し過ぎた頃。この限界集落にひとつしかないバス停の小さな影に、私はしゃがみ込んでいた。白金色の髪に似合わないジャージ姿で、カラスに話しかけながら。
ポカリという名の命のガソリンを与えられ、少しずつ元気を取り戻すカラス。その姿を見つめる自分が、何かの物語の序章にいるような――そんな希望を抱きながら。
話は少しだけ遡る――バスの車内は、まるで熱したピザ窯のようだった。こんなに熱いのなら私の不幸な人生も、ついでに焼き直せそうなほどの熱気。味付けに失敗した料理でも幾らか焦げ目がつけば、ゴードン・ラムゼイ曰くそれなりに味が出るらしい――そんなことを言っていた気がする。
けれど、なぜか空気だけは妙に冷たかった。
「――エアコンは数日前から壊れてるって言ってたのに」
ただの気のせい……そう思い込むことにして、私は窓の外をぼんやりと睨む。
『このバスは河口小学校前行きです。次の停留所は終点、河口小学校前です』
車内アナウンスに、浅い眠気が剥がされる。目蓋を擦って前方に視線を向けると、視界の先には――どこか気味の悪い老婆の後ろ姿、営業鞄を抱えた青白い顔の男――そして、まるで何かからの干渉を受けたかのように、二人とは明らかに異なる顔面周辺がグチャリと乱れた規制線のような“歪み”を帯びた数人の乗客たちの姿。
私は景色だけに意識を向けていた。風景は静かに流れていく。東京から電車で二時間弱、最寄りの八童子駅でバスを待つこと三十分。そこからピザ窯と化したバスに蒸され、さらに一時間強――気が遠くなるような道のりなのは言うまでもない。
祖父の屋敷がある八童子市の上河口町という限界集落までの数時間は、もはや都会人にとっては一種の果てしない旅路だった。
「たった数時間なのに、空気がまるで別世界……」
リュックをまさぐる。中はすっかり混沌だった。生温くなったペットボトルと溶けたアイスの包装紙、グシャグシャになった夏休みの宿題、etc。ようやく引っ張り出した財布は、真夏の夜に冷房の切れた四畳半で揉み合ったカップルのように――目を背けたくなるほど凄惨な状態だった。
「うわ……これってセンシティブすぎない?」
咄嗟に零れた声が座席の布地に吸い込まれていく。白濁色に染まった包装紙とペットボトルのヌメリ具合に我慢できず、反射的に手を座席で拭う――その瞬間だった。バスがガタンと縁石を乗り越え、最悪のタイミングで急ブレーキをかけた。
「……え、今の見られてた?」
何処からか明らかに視線を感じる。顔を上げると、運転席から運転手がこちらをじっと見つめていた――そう、あれは“無言で圧をかけてくる系の大人”だ。
この手の人種は、だいたいが御三家と呼ばれる厄介な三種類の大人に分類できる。
①勝手に話しかけてくる世話焼きタイプ。
②やたら親切だけど距離感がバグってる善意の押し付けモンスター。
③無言で睨んでくる圧力タイプ……そして、この人は間違いなく③番だった。
しかもこのタイプの厄介さは、こちらが何も言わなくても勝手に察して、勝手にがっかりしてくるところにある。こっちが財布をアイスまみれにしたのは、別にあなたの責任じゃないので黙っていてください。
そう直感しながらも、私は涼しい顔を装って席を立つ。
「……君、倉敷さんのお孫さんかい?」
声のトーンは穏やかで、敵意は感じられない――が、目だけが全然笑っていない。
「ああ、やっぱり③番だ……はい、倉敷 紬華紗です」
そう答えたときには、すでに“やり過ごすモード”に突入していた。
何も言わずに表面だけ繕い、無難に終わるのが理想。余計な親切は地雷になりがちだし、③番には“見えてないヒト成らざるモノ”の話なんて、こっちから持ち出すわけにもいかない。それが、今の私にとって最も穏便な逃げ道……だったことにしておく。このバスを降りるまでは――ちゃんと、ちゃんと間違ってなんかいない。
そう思わなきゃあ、やってられない。