092話:トキノ先生ごめんなさい
「君がお姫さまと聞いたから」
――それが、私を誘拐した理由らしい。
……そんなことってあるかしら?
彼はロテュと名乗った。
どうやらロテュの言い分では、“誘拐”じゃなくて“救出”みたい。
誰から私を救出したのか聞いてみたけど――
「敵が誰かなんて関係ないさ。君を助けたいって思ったからね」
……どういうことなの?
はぁん、ちょっと話すのをやめて、今いる場所を見渡してみた。
私の部屋の半分もない質素な家の一室だった。
さっき出してもらったお茶を、ひとくち。
薄かった。
……でも私の飲んだことない味がして、ホッとできるあと味だった。
外からは、聞いたことのない鳴き声。
動物種の飼育場らしくて、そこも私の知らない社会の匂いがした。
ヴェルシーに「何もするな」って言われたけど……これで良かったのかな?
そろそろ帰ろう――そう思ったとき。
開けっぱなしの扉の向こうから、可愛らしい声が聞こえてきた。
「ロテュ、いる?」
「やぁレラ。いるよー。今帰ってきたところだよ」
その声の主は、すぐに私の存在にも気づいた。
「あら、お客さんなの? めずらしいわね」
笑顔のレラさん。名前を聞かれたので「瑠る璃」と名乗ってみたけれど――
ふたりとも、私のことは知らない様子だった。
……なのに、名前を聞いただけで救出?
なんだか、やっぱりおかしいよね?
改めて帰ろうと立ち上がって、扉から外を覗いたら――
そこには、たくさんの動物種たちが群がっていた。
どう見ても、出られる状況じゃなかった。
「ああ、ごめんね。こいつら、たまにここに集まってくるんだよね。
しばらくすれば、他の場所に行くから。……もう一杯、お茶入れるよ」
はぅ……。
私のために動物たちをどかしてくれる気は、ないのね。
でも素直にお礼を言って、また椅子に座り直した。
すると、レラさんが「これもどうぞ」と焼き菓子を数個出してくれた。
たぶん自家製かな。香ばしい匂いがふんわり漂っていた。
ロテュさんとレラさんは、普通に世間話をしているだけみたいで、
変わった話題はないみたいだけど、なんだか楽しそう。
私は腰につけていたポーチを何気なく開けた。
――あ、光ってる。
中にあった“宿題本”の端が、ちかちか点滅していた。
取り出してページを開くと、そこにはこう書かれていた。
勇者探し:◯ 接近注意:✕
……みたいな評価がある。
しかも、点数までついてる。
って、え……この人が――勇者?
思わず宿題本を持った手が止まった。
今、目の前でお茶を飲んでる、ちょっとぼんやりしたこの人が……?
……トキノ先生? 本当に……この人で合ってるんですか?
ページの下に、たった一言。
《連絡を待て》
……なるほど。
私は、ここで“待っていれば”いいのね。
じゃあ――その間にできることって、結局……
この“勇者くん”と話すこと、くらいなのかも。
どんな話がいいのかな?
少しだけ、ふたりの会話に耳を傾けてみた。
「俺はさぁ、近々辺境に行くからね。
そこに植物種への対抗策が、絶対あるはずなんだよ」
「えっ!」
思わず声が出てしまった。
辺境地域は、昔たくさん研究されたけど、
植物種との関連は見つからず、やがて廃れたはずの場所。
でも今――植物種の森からの防衛が文化として根付いている私の国では、
お父様が“辺境”の再調査を始めているはず。
それを、なぜロテュさんが……?
「あ、ごめんなさい。ちょっと聞こえちゃったんだけど、辺境に行くの?」
「ああ、行くよ。
俺はわかったんだ。誰も考えていない“辺境”にこそ答えがあるってね」
ロテュさんの瞳は、自信に満ちていて――
どこかまっすぐで、眩しく見えた。
「でも、辺境って……すっごく危険なところだよ?
行くにしても、大勢で行かないと……」
私にも、多少の知識はあって場所にもよるけれど、とても危険なところだった。
幼い頃、辺境に数百人の軍団で進んだことがあった。
お父さまや兄さまたちが守ってくれたけど、
それでも数日で一割が死んでしまった事があった。
……そんな過酷な場所を――ひとりで?
「大丈夫さ。レラも行くし、武系と魔系の仲間も見つけるつもりだよ。
辺境に行く前にさ」
……私には、何を言ってるのかよくわからなかった。
でも、これが“勇者”っていう職業なのかもしれない、そう思った。
「ちょっと待って。私は、辺境に行くなんて言ってないでしょ?」
レラさんが、少し不機嫌そうに言った。
「なんだよ、俺たち唯一の幼なじみだろ? 一緒に行こうぜ」
ロテュさんは軽く言ったけど、
レラさんは何か考えているようで――なぜか私のことを見た。
「瑠る璃も一緒に行くの?」
私は「行くはずはない」って思ってたけど……
……そういえば、“待機命令”を受けている事を考えると……
トキノ先生が「勇者くんといなさい」って言うのだったら――
「うん」
私自身、思ってもいなかった返事が口からこぼれていた。




