088話:歯車を回す職業を探します
ヴェルシーが、階段をすべるように降りてきた。
「トキノ!! 本当に、時は動いていないの!?」
こんなヴェルシー、初めて見た。
私は思わず立ち上がって、落ち着かなと思って手を差し出した。
ヴェルシーは私の手を握りながら、じっとトキノちゃんを見つめていた。
そのまま二人で腰を下ろす……と思ったら、
いつの間にか椅子は二人掛けのソファになっていた。
まぁ、いいか。
トキノちゃんは「えっへん」と咳払いをすると、私たちを交互に見た。
「ちゃんと教えてあげるよ。あたしのしたことを……
そして、“ここの世界”のこともね」
自分の唾を飲み込んだ音が、やけに大きく聞こえた。
これから、すごいことを聞く気がした。
心臓の音まで聞こえてきそう。
「まず最初に……。あたしのことは今から、“トキノ先生”と呼ぶようにね!
ぜっ!たい!です!」
ヴェルシーを睨むようにして、トキノちゃんがぴしゃりとそう言った。
「思えば、ヴェルシー君は生命の女神に対して、遅れを取ってばかりでしたね。
歯車を回そうという気概が、まるでなかったですね」
言い返そうとしたヴェルシーが、口を開きかけたそのとき。
トキノちゃんが、音にしか聞こえない一言を発した。
その瞬間――ヴェルシーの体がピタリと止まった。
まるで時間ごと封じられたように、微動だにしない。
「まだ先生の方が強いですよ? ヴェルシー君の半分の年なのに?
でも――喜んでください。
瑠る璃君が、歯車を止めていた金具を壊してくれたんですから」
あれ……私、いつの間にか“君”呼びになってる……?
でも、役に立てたのなら嬉しい。
ヴェルシーに抱きつこうとしたけど――
もう動けるようになっていて、さらっとよけられた。
それでも、少し落ち着いたみたいで、
ヴェルシーは静かに息を吸って立ち上がった。
そして、トキノちゃんの目の前まで歩いていった。
「僕は……どうすればよかった?」
「……その、まじっけのないマナと、
他に類を見ない無詠唱から紡がれる神速の古代魔法は、確かにすごいよ?
でもね、ここの世界では、それを“育てる”ことができなかったのです。
だから! 私が先生。わかるよね?」
ヴェルシーは無言のまま振り向いて、ゆっくりと椅子へ戻ってきた。
そして、さっき吸った息を吐くようにして、小さく言った。
「ありがとう」
……ほんと、私は何もしてない。
でも――なんだか、ヴェルシーと“友達”だって感じた。
トキノちゃんが私たちを見ながら、にっこり笑って言った。
「運命を感じるよね」
でもそのあと、笑いながら続けた。
「でも、その言葉は覚えなくていいですからね。
あたしらの時代では、“運命”って、人を縛るものだったから。
いくつもの歯車が、それで止まってたんだよ」
その“歯車”こそが、トキノちゃんが長いあいだ止めていたもの。
でも今は――何かきっかけさえあれば、また動き出せるはずだと。
「それでね。探してきて欲しいの。」
そう言われた瞬間、私はちょっと胸を張った。
探すのは得意。
「まだ見つかってないリュオン君の他の部位とか?」
「いいえ。まだ、
生命の女神としての“加護”は完全にはなくなっていないようです。
ですから、リュオン君はそのうち復活できますよ。
リレアスが言ってたでしょ?」
そっか……まだ、《復活》できるんだ。
でも、もし――
あのとき、本当に加護が完全に消えてたら……?
「それが……この世界の歯車だよ。僕にとっての――魔法王ジにとってもね」
「そうだよね。リレアスがマナの流れを止めたんだから……それは正解だよ。
でもね、あたしがマナの流れを止めてたのは、たった二百年前だよ。
魔法王ジが引きこもったのは、それよりもっと前からだから、
直接的な原因じゃないよ」
「やっぱり、トキノ先生は魔法王ジを知ってるんですね。
魔法王ジは、どうしてマナを司ることをやめたんですか?
トキノ先生は、わかります?」
「わからないよ」
そう言いつつも、トキノちゃんはちょっと考えたあと言った。
「ヴェルシー君は、どうやら会ったことがあるみたいだけど――
魔法王ジは、“住む次元”が違うからね。
あたしたちには理解するのは難しいよ。植物種らと同じようにね」
そう聞いた私は、それがなんだかとても“怖い”ことに思えた。
植物種も、魔法も、次元の違う存在。
ヴェルシーは、どう思ってるんだろう……。
だってトキノちゃんですら、そう感じてるんだから。
「……いいよ、この世界を壊しても。
ただね――急に壊れたら、“いままでの普通”はぜんぶ失くなる。
だから、覚悟しておいて。……本当にね」
トキノちゃんのその言い方は私に怖さを吹き込んだ。
「私は――絶対に、覚悟なんてできてない……」
でも、でも――私の中で確かに感じてた。
私は、“歩いている”って。
「瑠る璃君、驚かせてごめんね。
あたしの加護がこの世界からなくなるまでに、
君たち――死んでるから大丈夫だよ」
「トキノちゃんがいじめる……」
「あたし、結構強いみたいだったね。
ずっと引きこもってたし、なにも気にしてなかったから……。
――あと、瑠る璃君。“トキノ先生”ね?」
……はぁ。
怖かったけど、ゆっくり勉強します。
……トキノ先生。
そして、トキノ先生が私たちを見ながら言った。
「それと、ヴェルシー君、瑠る璃君――
話は戻すけど、探して欲しいのは“勇者”……歯車を回せる、のね」




