066話:魔法の勉強をしたいよ
「うん、魔法の香りがする」
私が最初に思ったのは、この洗練された部屋がとても好きだということだった。
だけど、ヴェルシーはまじめな顔で
「魔法に香りはないよ。二百年前から知っているよね」と返してきた。
――そんなことは気にしない。
この家に帰って来て、またお風呂に入れるなんて最高だよね?
いいかな?そう言いながら歩き出した途端、肩口をぎゅ、と掴まれた。
「君は実家に帰らないとダメだよ」
「えっ、なぜですか!?」
驚いてそう聞くと、ヴェルシーは少し困ったように答えた。
「こんな『蝕界』の時に君がいなくなったら“秘密”がばれてしまうし、
僕がズルをしたことも……まぁ、それはいいけど」
「はぅん……それじゃあ、どう帰ればいいの?
またそのローブを貸してくれるの?」
私は欲しがるようにローブの裾を摘まんだ。
「いや、これは貸せないよ。
でも、魔法生物キューに頼めば、あっという間に帰れるでしょ。
この『蝕界』で見つかることもないよ」
「えっ、キューちゃんに会えるの?」
「もう来てもらえるように合図はしてあるよ」
ヴェルシーは落ち着かせるように私の肩を抱いた。
「そうか、まだ何日もたっていないのに、
魔掌ルドさんも魔法生物キューちゃんも会えるんだね」
袖から手を放して、両手を広げて一回転しながら言った。
私には、彼らにずいぶん長い間会っていないように思える。
ヴェルシーを救出するという一大事をこなしたせいで、
普段よりも時間が長く感じられるのかもしれない。
そう思っていると、チィリンっとベルが鳴った。
「来たようだね」
そう言いながら歩き出すヴェルシーを見て、私はふと考えた。
この家にエントランスなんてあったかしら?
そんなことを思いながら彼についていくと、
少し奥にある螺旋階段が、いつの間にかさらに、
上部へと伸びていることに気がついた。
その階段を上り、扉を開く。
そこは――大きなエントランス、
と言っていいのかはわからないけど、長細い部屋だった。
半面以上がガラス張りの壁で、両端には壁がなくて、
そのまま花冠の上に降り立つことができる。
……いや、そんなことはしないけれど、
そのまま帝都の景色を眺めながら飛び降りることさえできそうだった。
――そう、今目の前にいる魔法生物キューちゃんが、
自由に出入りできるようになっている部屋なのね。
「じゃあ、すぐ乗っていきなよ。まだ真夜中だけど、
今日のことは誰にも知られないほうがいいからさ」
ヴェルシーに急かされた。
魔法生物キューちゃんのお腹あたりの闇毛がふわりと動き、そこに扉が開いた。
その入り口の向こうに立っていた魔掌ルドさんが、
「こちらからどうぞ」と穏やかに手を差し伸べた。
私はそのまま乗り込んだ。
ヴェルシーに手を振ると、扉が静かに閉まって、
窓の向こうに夜の帝都が流れていった。
扉の横に備えついた椅子に腰掛け、
魔掌ルドさんとたわいもない話を交わした。
ほんの数分だったはずなのに、不思議と安心感があった。
「では、また会いましょう」
魔掌ルドさんが静かに頷く。
そう言って見送られ、降り立った先は――自宅の、私の部屋のテラスだった。
部屋に入る。『蝕界』の最中だからか、姉さまたちはまだ眠っていた。
ふと視線をやると、ベッドの横に眠り絹の寝衣が脱ぎ捨てられていた。
今着ている服と変えるために拾い上げた瞬間、何かが滑り落ちた。
――ネックレス。
私の大切なものなのに、ずっと気づいていなかった。
しばらくそれを見つめていたけど、そっと宝箱にしまって、寝衣に着替えた。
そして、姉さまたちの間に滑り込んで、
ぬくもりの間でゆっくりと眠りに落ちていった。




