罠にかかった私、罠じゃなかった
今日は……おかしいよね? 今日の方がおかしいんだよね? 私じゃなくて……
瑠る璃にとって、『蝕界』の最中でも景色は普段通りに見えている。
闇に包まれているはずの世界も、彼女の目にははっきりと映っていた。
音も、匂いも、肌に感じる空気も――すべて変わらない。
ただ、そこにあるのを“見ている”だけ。
集中すると、世界を覆う薄い膜のようなものが感じ取れた。
まるで微かにかかった霧の向こうを見通しているような――それだけの違い。
私は、『蝕界』の恐怖を感じることはないけれど、
だからこそ――『蝕界』そのものを“見る”ことができた。
「ピッ、ピッ、ピッ……キュイーン!」
遠くで警報の音が響いた。
『蝕界』で感覚が鈍る人々への警告として設置されているものだ。
帝都では、火災などの二次災害を防ぐためのシステムが発達している。
さらに、『蝕界』の影響を受けにくい精霊を使役できる者も多く、対策は万全だ。
この場所でも、まだ聞こえる……もっと奥に行ってみよう
――『蝕界』の影響を受けない私にとっては、ただの騒音に過ぎなかった。
洞窟のような通路を進む。分かれ道はなく、ただ奥へと続くだけ。
騒音が遠のいた頃、視界が開けた。
――えっ……なに、これ……。
甘さと苦さが混じった香りが鼻をくすぐる。目の前には、
この世界では、花など滅多に見られない、発光する花々が一面に広がっていた。
それが、こんなにも……。
私は、ただその幻想的な光景に見入っていた。
だから、花畑の中央に佇む“誰か”の存在に気づくのが遅れた。
あなた……だれ?
心臓が、高鳴る。『蝕界』の最中で、こんな距離で誰かと目が合うなんて――。
――目が離せない。どうして?
顔深くまでローブをまとったその姿。
印象に残るのは、ただ瞳だけ。魔法使い――そう思うしかなかった。
……どこかに、仕掛けがあったの? この人の罠に、私……まんまとかかったの?
こういう時の対処法は、教わっている。
私は右手の人差し指に触れる。そこには「ディスペルマジック」を封じ込めた指輪があった。
「……ほんと、なんでこんな場所に罠があるのよ。」
起動ワードを口にする。小さくつぶやきながら、指輪の魔法を解放した。
――何も変わらない。
視線も外せない。息が詰まるような感覚に、額にじんわりと汗が滲む。――どうする?
その時、ローブがわずかに揺れた。隙間から覗くのは、幼い顔。私よりも、少し年下かな?。
「ねぇねぇ、やっぱりその距離で僕のことがわかるんだね?」
「……え?」
心臓が跳ねる。『蝕界』の最中である今、
この距離で相手を認識することは、普通なら絶対に不可能だから!
――いや、それだけじゃない。
……何かがおかしい。私が“見えている”ことを、なぜこの子は確信している?
「こっちに来てよ、大丈夫だからさ」
何が大丈夫なのよ、もう……
私は少しだけ後ずさった。その瞬間、足元に霧が広がった。
ふわりと立ち上る白い靄の中から、扉が現れる。
自分の興味なのか、それとも魔法の影響なのか――。わからない。
でも、どちらにしても――小さな手が私の手を握る。
「来て」
そう言われると、一瞬だけ迷った。でも……自然と足が動いていた。
警戒心よりも、疑念よりも、強く湧き上がるのは――やっぱり、興味かも。




