044話:怒りは自然現象なのかも
私の目の前にいる魔法人は――怒っているように見えた。
鼻息が荒く、顔は真っ赤。
その足を踏み鳴らすと、低く響く振動が私の体を通り抜け、
周囲の壁や天井から小さな石がパラパラと落ちてきた。
えっ……?
次の瞬間、さらに強い衝撃。今度は、体ごと揺れるほどの振動が走る。
天井から落ちてくる石がどんどん増えていく。
わ……!
私の頭にも、石が当たった。もし、この服がなければ、きっと痛かっただろう。
恐怖が背筋を這い上がる。思わず天井を見上げていると――。
「落ち着いて逃げてください。戻りましょう」
ルクミィさんの声が聞こえた。だけど、彼女は私の方を見ていない。
えっ……? ルクミィさん……?
迷う。どうすればいい? どう動けばいいの?その一瞬の迷いが――失敗だった。
ルクミィさんが心配して振り向いた、その時。
ズドン――!
魔法人が、再び足を踏み鳴らす。
それと同時に――突進してきた。
「ルクミィさん――!」
叫ぶ間もなく、彼女は"魔法牛"と化した魔法人に跳ね飛ばされてしまった。
「きゃぁ――っ!」
ルクミィさんの悲鳴が、鍾乳洞に響いた。
魔法牛は、その勢いのまま私に向かって突進してくる。
まずい……!
私は思いっきり跳び上がり、なんとか躱した――けど。
着地した瞬間、足場の悪さに足を取られて、そのまま転倒してしまう。
魔法牛はそのまま、頭から鍾乳石を砕きながら、
私たちが来た洞窟へと突進していった。
……行った?
転がるようにして身を起こし、素早くルクミィさんの方を見る。
ルクミィさんは――立ち上がっている。
だけど、様子がおかしい。
まるで朦朧としているように、どこか一点をじっと見つめ、動かない。
「ルクミィさん、大丈夫?」
近づくと、ルクミィさんの服の右側が破れているのが見えた。
血は――流れていないようだ。
でも、もう一度声をかけると。
「あの災害への対処は難しいですね……」
ルクミィさんは、静かに言った。
「安全な場所へ行きたいですが、間に合いません。
瑠る璃さんはここで待っていてください。――緊急処置します」
……緊急処置?
どういう意味なのか、まったくわからない。
でも、ルクミィさんを見ているうちに――なんとなく理解してきた。
彼女の腕についていた"アクセサリー"だと思っていたものが、
キンッ――キンッ――と、高い音を立てながら、形を変えていく。
それは――一本の剣のように見えた。
「ちょっと叱ってきますねー」
ルクミィさんは、穏やかにそう言った。
突如として現れた鋭い剣と、その言葉に――私が思ったのは……
それ……それで叱っちゃうんだ……!?だった。
ルクミィさんが魔法牛へと向かっていく。
私は、ここで待っているだけでいいのかな……?
……んー、ごめんなさい。無理です。じっとなんてしていられない。
待つことに耐えられなくなった私は、洞窟の方へ向かった。
そのとき――
ドンッ――!!
魔法牛が、またしても足を踏み鳴らした。
今まで以上に強い衝撃が洞窟に響き渡る。
このままじゃ崩れてしまう……!?
そして――
ゴゴゴ……!
轟音とともに、魔法牛の突進する音が聞こえた。
こっちに向かってくる……!
行こうとしていた足を止め、とっさに見つからない場所に隠れる。
次の瞬間――魔法牛が、視界に入った。
……えっ!?
さっきまで暴れ回っていた魔法牛の喉元に――
ルクミィさんが持っていた剣が、深く刺さっていた。
――そんな魔法牛が、よろよろと揺れながら、ふらついている。
「ルクミィさん……! 聞こえますか!? 大丈夫?」
「はい、私は大丈夫ですよ」
静かに答えながら、ルクミィさんも洞窟の影から姿を現した。
「ルクミィさん、もしかして……魔法人を"殺しちゃった"の?」
「まさか。"殺せませんよ"叱っているだけです」
ルクミィさんは穏やかに言う。
――でも、目の前で起こったことを考えると、
本当に"叱っているだけ"なのか、私にはよくわからなかった。
そんな私の視線の先で、またしてもキンッキンッと音が鳴る。
次の瞬間、ルクミィさんは再び剣を手にしていた。
魔法牛が、ゆっくりとルクミィさんの方へ向き直る。
そして――咆哮。
その瞬間――。
私の目の前で、思いもよらないことが起こった。
まわりの鍾乳石が、青、橙、黄、赤、紫――さまざまな光を放ち始めた。
崩れていた石も光を帯び、まるで生きているかのように揺れて、
地面に反発するように飛び跳ねている。
魔法牛の体は、震えている? いや……輪郭が、滲んできている?
何、これ……?
さらに、首に刺さっていた剣が、自然と抜け落ちた。
ルクミィさんは右手に剣を持っている――。
そして、今落ちたはずの剣が、左手へと"戻って"いく。
……どうなっているんだろう?
私には、すべてが理解できなかった。だけど、
両手に剣を持ったルクミィさんは――カッコいい。
「瑠る璃さん。この人は”誰か”を怒っているわけじゃないんです。
ただ怒っているだけ。ですから、自然現象みたいなものですよ。
いろいろな魔法人がいますけどね」
本当に、いろいろな人がいるみたい。
「ルクミィさん、カッコいいですね」
ふふっと笑うルクミィさん。
「怒りをもっと分散させられたら、話も通じると思うんですけどね……」
言葉とは裏腹に、彼女の手の中で剣がわずかに輝く。
次の瞬間――魔法牛が地面を踏み鳴らした。
また来る!
そう思った瞬間、魔法牛は跳躍した。
訳の分からないほどの速度で、ルクミィさんに向かっていた。
ルクミィさんの右手の剣が、魔法牛の体を貫いた。
だけど、左手の剣は、まるで盾のように構えられていた。
――そのまま、魔法牛の全身がルクミィさんにのしかかる。
ズガンッ――!
それは音より先に見えた。ルクミィさんの左腕――私の足元へ飛んできた
”時”が止まったような感覚。
――大規模な天井崩落が起こった。
轟音とともに岩が崩れ、大量の水が洞窟内に流れ込んでくる。
ルクミィさんの……腕……!
私は、彼女の腕を拾おうと手を伸ばした。だけど、次の瞬間――
激しい濁流がすべてを押し流した。
私が最後に覚えているのは――。
頭にかぶっていた透明な服が、砕け散る光景だけだった。




