043話:ぬるぬるって…絶対会いたくないよ!
ルクミィさんと一緒に、洞窟を歩く。
響くのは、二人の足音と自分の呼吸音。それに、この服がこすれる音だけ。
――それ以外は、何も聞こえない。
最初は、この服のせいで歩きづらかったけど、
それもすぐに気にならなくなった。
腰に付けたランタンの橙色の優しい光が、周囲をぼんやりと照らす。
あれ? いつの間にか手に何かついていた。ぬるぬるするし、べたべたする。
「それは、専門の器具を使わないと見えないほど小さな生物です」
ルクミィさんが、あまり知りたくないことを淡々と教えてくれた。
私の世界では、そんな小さな生物なんていないはず。
……それとも、知らないだけ?
なんとなく意識を集中させ、ぬるべたした感触をじっと見つめる。
――本当に、何かいる!
思わず息をのむ。自分の手を凝視したまま、固まる私。
そんな私を見て、ルクミィさんは何も言わず、そっと手を拭ってくれた。
もう一度、あの生物がいるか確かめようか――そう思ったが、やっぱりやめた。
少しでも濡れている壁にはいるものだとも教えてくれた。
もう壁に触れないかも……
しばらく、ルクミィさんの後ろに付いて行きながら、まわりを見る。
私たち二人が持つランタンが照らす空間の向こう。
なにか気になる。――もっと遠くを見てみた。
何か、見られている気がする。どこからだろう……?
なんだか最近、見られることに敏感になっている気もするけど……
ゴツゴツした岩肌の隙間や、出っ張った岩の裏側とか……
はっきりとは見えない。
私……何を見ているんだろう?
ルクミィさんを追いかけながらでは、うまく集中できない。
そこで、私は彼女に声をかけ、立ち止まることにした。
気になる辺りを見てみると――
ぁ、誰かいる?徐々に、その姿が明瞭になってきた。
うっすらと、人のようなものが。
……"人"なのかな?
私の世界では、“死んでいないのに、そこにいない人”をたまに見ることがあった。それを、『非物質界-アストラルプレーン』の存在って呼ぶらしい。
何度か見たことがある。それはかなりの老人だけど……同じ様に見えた。
……ルクミィさんに、聞いてみようか?
でも、暗闇でも見えるということを――自分の"秘密"を、
今ここで打ち明けるのは、まだ踏ん切りがつかなかった。
そんな事を考えていたら、”人”は、どこかに消えていた。
まわりを探そうとしたら、すぐ隣に、ルクミィさんが静かに立っていた。
私の集中を妨げないように――ただ、そっと、待っていてくれていた。
「ごめんなさい。なにかがいる様な感じがして……」
私は、適当にごまかした。
「ここにいるのは、魔法人くらいかしら?
……ぬるぬるな、あいつら以外はね」
ぬるぬる……
魔法人も不気味だけど、それよりも"ぬるぬる"とはもう、
絶対に会いたくない気がした。想像するだけで寒気がする。
魔法人とは関係ないみたいだけど……いったいどこから来るのか、謎だ。
「瑠る璃さん、聞こえるかしら? "あれ"」
何が聞こえる? 私には、何も聞こえていない。
プチッ……プィ、プチッ。
「……あ、聞こえます。とても小さな音」
「これは微生物が出している音。
私は勝手に『微生物のお食事』って呼んでいます」
えっ、あれが……そばにいるんだ……。
ルクミィさんは、ランタンの火を少し下げて、音に耳を澄ませていた。
その時間だけ、洞窟の闇が優しくなった気がした。
「器具を使わないと見えない生物ですけど、
寂しい時には、この子たちの音を聞いて気を紛らわせたりするんです。
――意外と可愛いですよ?」
――そうなんだ、ちゃんと見ていなかった。
――考えてみれば、ルクミィさんはここで一人きりなんだ?
それはとても大変なことなのかもしれない。
……ん?あの魔法みたいな家に住んでいるから、 もしかして、
こういう洞窟の中で暮らすのが趣味だったりする? そんな事ないよね?
ちょっと聞いてみようかな……。聞いてみた。
「そうですねー……」
ルクミィさんは少し考えてから、微笑んだ。
「迷子でしょうかね? でも、
瑠る璃さんのおかげで、もう迷子ではありませんよ」
それだけ言うと、ルクミィさんは「行きましょう」と言って、また歩き出す。
私の考える"迷子"とは、なんだか違う気がしたけど、
もう迷子じゃないみたいで、よかった。
どこに実家があるのかは知らないけど、
ルクミィさんは"帰れる"ってことだよね。
そういえば、ルクミィさんは、
あの湖でどのくらい保管されちゃってたんだろう。
もし家に戻ったら、碧り佳姉様と深る雪姉様が"おばあ様"になっていたら……。
それは、大変だ……。
早く私も、ヴェルシーに会いたい。
――洞窟の景色が、次第に鍾乳洞へと変わっていった。
最初は、天井や地面から突き出る鋭い岩に驚き、ルクミィさんに尋ねてみた。
「これ、なんですか?」
すると、彼女は「洞窟の中では、よく見られる一般的な地形ですよ」と、
さらりと答えた。
――まわりは全体的に濡れていて、水の滴る音が響いている。
進むにつれ、道はゆるやかに下り坂になって、
水の流れる音が次第に大きくなっていった。
ルクミィさんが歩みを止めた。
私もつられて足を止め、どうしたのかと近づこうとした瞬間――
「そこで待っていてください」
低い声で、そう制される。
私はルクミィさんの背越しに、その先を覗いた。
――魔法人?
角は一対。しかし、体は異様に大きく、四つん這いの姿勢をとっている。
……どう見ても"牛"なのだけど、
魔法人特有の"人間のような頭"がそこにあった。
ルクミィさんが、その魔法人に近づいていく。
二人は何か話しているようだった。
――この服のおかげで、まるで隣で聞いているかのように声は届く。
けれど……
何を言っているのかは、まったくわからなかった。
だけど、あの魔廃人カードゥが放っていた敵意と同じものを感じた。




