精霊って初めて殺しちゃった?
その時、静かな波が走り始めた。
見渡す限りの植物種が、光の点滅を繰り返してる。
それは天井も含めた地下都市が規則的に広がっていった。
それがやがていくつもの連鎖した波となった。
「この光はなに!?――あっ、また目玉が痙攣しだしたよ。探している」
何に集中したらいいのか、慌てている私にヴェルシーが、
落ちつくように柔らかく言ってくれた。
「こっちも役に立つかわからないけど、やってみるよ。見てて」
その直後――声が聞こえた。
まるで遠くの声が、直接脳内に響いてくるような感覚があった。
「瑠る璃が見ていてくれるから……正確にピントを合わせられるよ」
子供の声が聞こえだした。
すぐ近くで話しているように、鮮明に聞こえる。
「すん、すん……見つけなきゃ……すぅー……見つけなきゃ……」
――泣いてる?
私は眉をひそめた。
そこへ、背の高いユキノキ国の人が現れた。そっと子供の傍に寄る。
「泣くんじゃない。お前ならできるよ、手伝ってやるからな。」
その声には、どこか優しさが滲んでいた。
「うん、お兄ちゃん。」
それは、たわいもない日常のやり取りのように聞こえた。
だけど、目に映る彼らの姿は――それがただの会話ではないと気づかせていた。
二人は、何かを決心したように見えた。
「くるよ!」
ヴェルシーの警告が響いた瞬間――
前方から、雪が嵐のように吹き荒れた。視界が一瞬で白く染まる。
――だけど。
私とヴェルシーの前には、見えない障壁があった。
吹き荒れる雪がその表面に当たり、渦を巻いて弾かれる。
音も消音されていて、ここは静かだ。
すごい……なんなのこれ?風が暴れているよ、
――あっこれじゃ、私たちの場所がバレちゃうかも!?
「大規模な幻影を使ってるよ。もし異変が見つかったとしても、
僕たちがどれかは分からないよ」
すぐ私に答えをくれた、ヴェルシーは静かに微笑んだ。
「『非物質界-アストラルプレーン』にも即時迷路を作っているから、
精霊戦闘にはさせないよ」
その言葉を信じて、息を整えた。
私たちは精霊戦を避けて、逃げ延びる――。
……逃げた後は、どうしよう?
私たちが置いてきた世界は、あのままずっと時間が止まっている気がしていた。
――けれど見ている兄弟が、教えてくれた事がある。
ここは別の世界だと思っていたけれど、やっぱり続いている世界だった。
ヴェルシーは、どうする?
私の背中にぴったりとくっついているヴェルシーから、返事はない。
彼女も考えているのだろうか?
――なら、今は目の前のことだけに集中しよう。
ふと、気がつく。……すごく舞っていた雪が弱まっている?
「彼ら、この吹雪で僕らをあぶりだそうと思ってる訳じゃなかったみたいだ」
さっきまで視界を覆っていた吹雪が、少しずつ薄れ、向こうの姿が見え始めた。
彼らの姿はずっと変わりは無く、声は聞こえない。
「……僕たちを探すのを諦めた?それとも……」
ヴェルシーが小さく呟く。
「そんなことはないと思うけど……
今は僕らの方が有利だね。もう少しだけ様子を見よう」
私は彼らの表情をじっと見つめた。諦めるなんてこと、彼らがするはずがない。
そう言い切れるほど、彼らの表情は真剣で強く感じられた。
――雪が止んでいた。
何かが変わったのかな?吹雪が止み、静寂が広がる。
――変だよね……なぜか、かえって胸がざわつく。
ヴェルシーが考え込むように言う。
「彼らはかなりの精霊使いみたいだね。
そろそろ逃げようと思っていたんだけど……やっぱり気になる。
隣の男が雪の精霊を使役していたと思ってたけど、もう雪は舞っていないし、
どこかに隠れているかも?精霊自体がいない?」
「隠れているの?いつの間にか囲まれてて、見つかることもあるの?」
「うん、ありえるよ。」
「……そうなったら、どうする?」
ヴェルシーはじっと見つめてきた。
「君も戦う?どうする?」
「えっ、私も? どうやって……」
「これを、一応持っててね」
ヴェルシーが渡してくれたのは、鞘のない短剣だった。
柄には、無数の宝石が埋め込まれていた、
いくつか外れているように見えるけど意匠かな?
――あっ、冷たい柄に触れた瞬間、微かに指先が痺れた。
そっとそれを握る。平気だ、少しは扱えるけど持っているだけで緊張があがる。
――あれ?ヴェルシーは分かっていて渡したの? それとも偶然?
突然、私に見えたあれが長身の精霊使いが使役する精霊に違いなかった。
彼らの奥側――いままで気づかなかったけど、
透明に近く、輪郭だけがかろうじて認識できる、
とてつもなく大きな精霊がそびえていた。
「ヴェルシー、見える? すごいよ」
「瑠る璃、僕には見えないよ! どこ!」
ヴェルシーが焦ったように、私の背にぎゅっとしがみついた。
「見えない……」
――私は幻なんか見えているわけじゃない。ちゃんと"見えている"
「わかっているよ瑠る璃、あいつらを倒そう」
私の頭の中を、一瞬"何か"が駆け巡る。気がした。
「……もう、なんでもするよ!」
「準備してるから、今は精霊を見張っててね」
私の背中をさすって落ち着かせてくれた。
「実は僕、少しでもいいから――あいつらに一泡吹かせたいと思ってたんだ」
ヴェルシー、笑っているの? 冗談?
でも――。
――あたり一面の植物種に降り積もった雪が、静かに解けていく。
ん……? もしかして暖かくなってるの?
「違うよ!瑠る璃」
ヴェルシーの声は冷静だったが、どこか緊張をはらんでいた。
「どんどん温度は下がってるよ。液化が始まって来ただけだよ。
……このままじゃ、もう逃げることはできないからね」
「えっ……?」
「絶対に僕から離れちゃだめだよ、少しでも結界を出たら、即凍死だよ」
足元の氷が、じわじわと液状になった空気と交じっていった。
周囲は急激に温度が下がる。――そして全ての音が消えた。
「――何も音が聞こえないって……怖いんだね……」
「――もう、結界が持たない。でも準備はできてるから、心配しないで」
なんだか私たちだけの空間にいるようだった。
そう思った瞬間、私たちのまわりに残った空気が、
鋭く刺さるような冷たさに変わった。
私は思わず自分の体を抱きしめる。
その時だった。
巨大目玉を持つ子供が、こちらに振り向いた。
見られた――!!
だけど前とは違う。不思議と恐怖はなかった。視線をそらさず、じっと見返す。
私が見えていなかった子供の左半身は完全に氷に覆われ、凍りついていた。
言葉はもう聞こえない。
でも、彼は何か伝えようと必死だった。
それに気づいた長身の男が、子供の肩にそっと手を置いた。
まったく凍り付いた様子はないその長身の男が私を見た。
同時に巨大な精霊が、こちらへと向かってきた。
次の瞬間――
私の体が、一瞬で凍りついた。息も凍る冷気に襲われた。
周囲でとんでもない事が起こっているのは想像できる。
でも、そんなことはもうどうでもよかった。
――私の心臓が止まりそうなほどの問題は、たった一つ。
巨大な精霊が、"見えなくなった"
……どうしようヴェルシー、見えないよ……
涙も、声も、凍りついて出ない。
閉じることのできない瞳が捉えたのは――
ヴェルシーが、前に来て私を抱きしめる姿だった。
そのまま、彼女のローブがふわりと広がり、私の全身を包み込んだ。
「もう、この中じゃないと耐えられない。寒かった? ごめんね」
「もう平気……動けるよ。でも、もうどこにいるかわからないよ?」
「危ないから、ちゃんと短剣を持ってね。」
ヴェルシーは優しく、でもどこか真剣な表情で続ける。
「そのまま前を見張って。僕は後ろを見張るから。
”この中”にまで精霊が入ってきたら、それでやっちゃってね」
いつの間にか私は泣いていた。こぼれた涙の一部が、
ヴェルシーの体をつたって流れていく。
ヴェルシーは、また私の顔を見つめた。
「君の瞳が黄金色に輝いているね……」
ヴェルシーは小声でつぶやくと息をのんだ。
「君には見えるよ。もう一度、見まわしてごらん」
私がこの状況で考える事はなかった。
ローブの向こうに意識を集中させる。不透明な布を隔てているはずなのに――
"見える"。いや、"感じている"のかもしれない。
「きた! すぐそこ!」
ヴェルシーは何も言わなかった。今、陥っている状況を言っても無意味だから。
私はできるから。
ガラスにひびが入るような"空間の歪み"を捉えた。
瞬間――短剣を握りしめ、その中心へと突き刺した。
ローブが破れた途端、気がつくと外へと放り出されていた。
さっきまでの凍てつく寒さはもはやなく、
目の前に広がるのは「壊れていく世界」だった。
それはまるで爆発の内側に取り残されたかのようだった。
植物種が粉々に砕け、無数の破片となって宙を舞う。
その中に、巨大目玉を抱えた子供の姿があった。
隣の長身の男も子供と一緒に粉々になり、世界の崩壊と混じり合って、
どこへともなく消えていく。
隣にヴェルシーがいた。
彼女と一緒に、自分も宙へと放り出されていたのだと気づいたのは――
ヴェルシーの笑い声を聞いてからだった。




