あれ?お母様、何かおかしくないですか?
トール国の女王である母、秋り守さまと、私は――
他の部屋と比べれば狭いこの執務室で、向かい合っていた。
「お母様、お久しぶりですっ!」
久しぶりの再会で、ちょっとだけ緊張して――思わず声がうわずってしまった。
でも、お母様の顔を見たら、すぐに笑顔になった。
お母様は国内の政治を一手に引き受けていて、王宮にいないことも多い。
……だからこそ、こうして目の前で笑ってくれる時間は、ほんとうに貴重で、
自然と頬がゆるんでしまう。
「そうね。少し見ない間に、また成長したわね~」
「えへんっ。そうですか?」
「ええ。もう十四歳なんですもの~。来年には若冠の儀ですね!」
「そうですね。私も、今日から“ちゃんとした”王女になります!」
そうは言ってみたけど――
正直、王女としての自覚なんて、私にはあまりない。
これまでだって、自分のやりたいように生きてきた。
両親がとても忙しいことは、子どもながらによくわかってる。
だからこそ、自分もいずれ同じようになるのかと思うと、少し気が重くなったりもする。
でも、今日は誕生日。
“何かが変わる日”だと、信じていたかった。
私は、お母様の隣に椅子を引き寄せた。
いつもは向かい合う形で座るのに、今日は違う。
どうしても、隣にいたかった。
胸を張って得意げな顔をすると、お母様は優しい笑顔でこちらを見てくれる。
それは、母として――娘の私を見守るようなまなざしだった。
「立派な王女……ね。ふふっ、昔は『お姫さまになったら、お菓子のお城を建てるの!』なんて言ってたのに?」
「うっ、それは子どもの頃の話です!」
「ほんとうに?」
くすくす笑うお母様に、私は思わずむぅっと膨れっ面になってしまった。
――とはいえ、こんなふうに母とやりとりできる時間も、ほんとうに久しぶりだった。
お母様とゆっくり過ごせる時間は、今や貴重で。
だから私は、少しでも長くこの時間を大事にしたかった。
……けれど、心のどこかでは――
やっぱり、今日も来られなかった父様や兄様たちのことが、ちょっと気になっていた。
長男のガ紅兄さまは、とても厳しい人。
昔、護身術を教わっていた時の記憶が強く残っていて、少し近寄りがたかった。
でも今は、その厳しささえ懐かしくて……もうずっと会っていないことが、寂しく感じる。
次男の明リディ水兄さまは、家に寄りつかない性格の、ちょっと変わった兄さま。
私が小さいころは、夜中にひょっこり現れては、知らない国の話をたくさん聞かせてくれた。
そのまま眠りについた翌朝には、もう姿がなかった。
あまりに不意に現れて、すぐいなくなるから……
一時期は「明リディ水兄さま」は私の空想なんじゃないかって、本気で思ってた。
三男の三スイ三兄さま。
他の兄さまたちを横に並べたくらいの巨体で、とにかく大きくて頼もしい存在。
いつも危険な場所へ行くときの護衛をしていて、私にもこう言ってくれた――
『お前は俺が守る。怖がらなくていい』
あのときの言葉、今でもちゃんと覚えてる。
無骨で、口数も少ないけれど――ああいうときは誰よりも頼もしい。
だからきっと、今もどこかで誰かを守ってるんだろうな、って思う。
四男の西南ド兄様は、奇病を患っていて、
私が会えたのは片手で数えられるほどしかない。
『瑠る璃……また、会えるよ』
――前に会ったとき、兄様は静かにそう言って、すっと消えた。
弦ギ父様は、寡黙な人だと思う。
何を話したかなんて、正直ほとんど覚えていない。
でも、兄様たちもみんなそうだし、
みんなトール国を守る王の血を引く者たちなのは一緒だった。
『……しっかり生きろ』
父様が私に言った言葉で、一番印象に残っているのは、それだけだった。
でも、それで十分だった。だって、私もトール一族だから――
―気がつくと、お母様との時間がだいぶたっていた。
「お父様と兄様たちは……やっぱり間に合わないかな」
独り言のようにつぶやいた。
父様と兄様たちは、辺境の調査に出ている。
新しく人が住める場所を探すための仕事だ。
本当なら、もう帰ってきているはずなのに――
これまで予定通りに戻ったためしがない。
『すぐに戻る』
いつもそう言うのに、結局帰ってくるのは、ずっとずっと先になる。
「そうね~。いつものことね」
母様は変わらない笑顔でそう言ったが、どこか、何を考えているのか分からない――そんな、含みのある表情をしていた。
そして、女王秋り守は、落ち着いた声で言った。
「もう、こんな時間なのね。瑠る璃に、一番大切な話があるのよ」
「ん?」
何かいいことかも、と期待が高まる。
私はわずかに緊張しながら、母の顔を見上げた。
まさか、誕生日のサプライズ? 特別なお祝いの話?
そう思った直後――
「あなたは今から……帝都に行くのよ」
……えっ、いまから?
不意打ちすぎて、思考が止まる。
「えーっと、何しに今から帝都にいくんですか?」
……直接買い物に行くとか……?
「あなたは、帝都で生活をするのよ」
……あれっ、意味が頭に入ってこない!。
「え、えっと……それは、その……つまり?」
「帝都で修行しなさい!」
普段は穏やかな母が、めずらしく大きな声を出す。
いやいや、ちょっと待って? 帝都? 私が? 行く? 今から?
誕生日の話から、なぜいきなり帝都!?
理解が追いつかない。これって聞き間違い? それとも冗談? いや、まさか――
「い、いやいや! だって今日は私の誕生日ですよ!? なのに、帝都で生活なんて……」
「誕生日だからこそ、よ」
抗議をさらりと受け流しながら、女王秋り守は優雅に微笑む。
「ふふっ、驚いた?」
「お、おどろ……びっくりしすぎて頭が追いつきません!!」
お母さまが何かを話している――
――けれど、その言葉は頭の中を素通りしていった。
今日は、私の誕生日のはず。
でも、何かおかしい。
こんなの、聞いてない。
「……それで? いつ戻ってくるんですか?」
混乱しながらも、なんとか冷静を保とうとする。
だけど、母の返事はあまりにもあっさりしていた。
「戻る? そんな予定はないわよ」
「――――へぇ?」
思わず、間の抜けた声が出た。
「瑠る璃、とりあえず若冠の儀まで修行をするのよ。
準成人になれば、あなたも正式に特権を持てるわけですし、
それに見合った責任も持ちなさいね」
「いや、ちょっと待ってください! それ、今決まったことじゃないですよね!?
どうして誰も私に言ってくれなかったんですか!?」
「それは、私が昨夜決めたからよ。
あなたはすでに寝ていたけれど、私たちのこの国は眠らないんですよ?」
えっ、そんなことあるの!?
母様の手際の良さにも驚いたけど、やっぱりこれは冗談――ですよね?
泣きたくなってきた。
「瑠る璃、もうすぐ準備もできますから、あとは自分の部屋を片付けなさい」
私は呆然としながら、小さくつぶやいた。
でも、もう――この流れは止められそうにない。
――私の誕生日は、思っていた以上に、とんでもない一日になりそうだった。




