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彼女の∞と私の零と  作者: イニシ
第九章:若冠の儀と壮冠の儀
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164話:ヴァレムウル皇子さまには言えなかったよ……

舞台の中央のスポットライトに浮かびあがったのは、凛々エルお姉さまだった。


そのとき、ヴィオラが低く一音「ボゥン……」と鳴る。

すぐにクラリネットが静かに重なり、

ハープの澄んだ音が光のように差し込む。


空気は張りつめ、場はもう――彼女のものだった。


そして、もうひとつのスポットライトが舞台に灯る。

そこに立っていたのは――帝国皇子。継承順位は十五番目。


弦がひとすじ、細く鋭く鳴り、風が通り抜けたようだった。

その音とともに、彼は何も言わず、ただ静かに立っていた。


凛々エルお姉さまの隣にいる、それだけで意味を帯びていた。


お姉さまは、三年前に彼と結婚し、帝都へ移り住んだ。

あの時の式にも、たしか――今と同じ音楽が流れていた気がする。


でも、今でもはっきり覚えているのは、

あのときのお姉さまの瞳――情熱のこもった、まっすぐな光だけだった。


目を閉じていると、もっと鮮明に思い出せる気がした。

あの瞳、あの音、あの時の空気――

私は、それに静かに浸っていた。


けれど気づけば、会場が――静まり返っていた。

そっと目を開けると、

私にスポットライトが当たっていた。


そして、そこにいたすべての人の視線が、私ひとりに向いていた。


「ここへ来なさい、瑠る璃」


凛々エルお姉さまの声が、やさしく、でも抗えない強さで響いた。


軽く速足で舞台へと近づく。

両側の階段には目もくれず、私は「ぽーんっ」とそのまま跳んだ。


ドレスの裾が、ふわりとひらめく。

トンッ――

二人のあいだに、軽やかに着地した私は、

まず皇子へ向かってゆっくりと礼をした。


そして次に、凛々エルお姉さまへも、同じように丁寧な礼を。


それからのことは――

きっと、トキノ先生が作ってくれた食事のおかげかな?

何かを考える必要はなかった。ただ、舞台の上で踊っていただけだった。


凛々エルお姉さまの踊りは、まるで私に手本を示すような、

ひとつひとつが完璧に整った、美しい導きの踊り。


でも皇子さまとの踊りは――

なぜだか、私のほうがリードしているような踊りだった。


そんなに長い時間じゃなかった。

でも――楽しかった。


少し汗ばんでいたけれど、

いつものように、ドレスの中の下着が体温を整えてくれている。


ふと見ると、胸元のあの小さな裂け目も、

傷と一緒に――もう、消えていた。


……よかった。トキノ先生のドレスが治っていて……


「少し休みましょうよ。飲み物も用意してあるから――こっちよ」


凛々エルお姉さまが先を歩き、

そのあとを私、そして皇子さまが続いた。


「君の着ているドレスは……まさか――」


そう言った皇子さまの声には、どこか敬意のようなものがにじんでいた。

舞台を降り、専用の部屋に着くころには――

彼はなぜか、私に深々と頭を下げていた。


……え? どうしちゃったの?


凛々エルお姉さまも一瞬きょとんとして、


「どうしたのよヴァレムウル……?」


お姉さまも私と同じように、事情を聞こうとしていた。


「そのデザインに、魔法糸の配置……」

皇子はじっと私のドレスを見つめたまま言った。

「私も一応、魔法使いの端くれなのでね。憶えているよ――もちろんだとも」


なんだか、ヴァレムウル皇子は魔法に興奮しているようだった。

全ての魔法使いが、“それ”をどこかで求めている気がする。


「帝都誕生のときに現れ、導いた“名もなき魔女”。

その手で作られた衣装は、今や数品しか残っていない。

しかもそれにサインが入っていれば……もう、収集家向けの宝物だ。

――でも、こうして実物を見ると、やっぱり興奮してしまうね!」


そう言って、ヴァレムウル皇子は高らかに笑った。


「まっ、瑠る璃くんも――私のことは“おにいちゃん”と呼んでくれていいぞ」

ヴァレムウル皇子は楽しげに笑った。


「はははぁ……まさか、トール国にこれほど綺麗に残って、

しかもまだ“着られる”状態のものがあるなんて。

――さては君、隠してたな?」


そう言いながら、凛々エルお姉さまにウインクを飛ばしていた。


最初は、この式に最後までいらせるつもりだったらしい。

でも――凛々エルお姉さまが「もう帰りなさい」と言うので、

私はそれに素直に従うことにした。


「……帰りますね、おにいちゃん」――なんて、やっぱり言えなかったから、

普通に、静かにその場をあとにした。

【後書き】――rururi


えっと……やっぱり言えなかったよ「おにいちゃん」って。

なんか……タイミングも空気も、全部、ムリだよぅ……!


でもね、ドレスのこと、そんなに大事なものだったんだ。

トキノ先生……ほんとに、すごいもの着せてくれたんだね。

あの人が高ぶってたの、ちょっとわかったかも。


踊るだけなのに、いろんなことが起こるなんて思わなかったけど……

私、ちゃんと真ん中に立ってた気がする。


……なんとなく、だけどね!


【後書き】――writer I


この回では、瑠る璃がふたたび“見られる側”になります。

それはただの舞台のスポットではなく、

もっと静かで、重さのある視線の集まりでした。


凛々エルの隣で踊ること。

皇子と対等に振る舞うこと。

そして、あのドレスを着て舞台に立つこと。

どれも、本人にとっては自然な流れだったけれど、

場にいた人々にとっては、それぞれに意味を持っていたはずです。


瑠る璃が知らぬまま、いくつもの立場と視線が動いていく。

そういう時間を、今回はそっと描きました。

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