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彼女の∞と私の零と  作者: イニシ
第九章:若冠の儀と壮冠の儀
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163話:私の為にオーケストラ?

扉をくぐった先には、高い壁が立ちはだかっていた。


足元には、私の腰ほどしかない小さな扉が開いていて、

その奥からは、きれいな音色の断片と、ときどき混じる笑い声が聞こえていた。


私はしゃがんでドレスをまとめると、

「えいっ」と声を小さく出しながら、扉をくぐった。


そこは、ぱあっと明るい光が目に飛び込んできた。

大きな建物の等間隔に並ぶパティオドアから部屋の明かりが、

外へと静かに流れ出ているようだった。


「ここが――会場だよねー?」


ぽつん、ぽつんとタイル敷きの庭にいる人たちには聞こえないくらいの小声で、

独り言をこぼしながら、私は視線を建物の左右へとゆっくり巡らせた。


こんなところから入って来て、変な人だと思われたかな?


ちらっとそんなことも考えたけど――平気だった。


あの“人たち”は、たぶん、私なんか見ていない。


とりあえず、こっそりと会場に入って、

うまく紛れ込めればそれでいい……そう思った。


――だけど、その考えはすぐに崩れた。


この場所には、

影すら生まれず、隠れるという選択肢さえ許されない場所だ――


……先生。トキノ先生――どうやらこの衣装……目立つみたいですよ……


この明るさに負けないどころか、一層引き立てる強烈な彩のドレスは、

いつも薄暗い部屋にいる私には――もっと地味だと思ったのにな……


会場にいる大勢の半分は仮面をつけていた。


仮面をつけていない人たちは、横目で見るか、

何かを測るようにちらっと視線をよこすだけだった。


……仮面人のほうが、顔は隠していても、

まるで“本当の目”で見てくるみたいだった。


……でも、いいや。

私が主人公ってわけじゃないんだし。


今、この場の主役は――

台上で演奏する数十人の音楽団と、

その音に合わせて緩やかに踊る人たちだよね。


だから私は、なるべく壁際にくっついているつもりだった。


仮面をつけてるのって、たしか身分を隠すため――だよね?


私の目の前に壁みたいに立ってるこの人も仮面はつけてるけど、

その巨体、隠す気はないのかな……?


魔法で見た目くらい変えられるはずなのに。


もう、あなたツツンシだよね……


見上げて目を合わせるのも面倒だから、

目の前の“壁”――でっかいお腹から視線を外して、

適当な場所を見ることにした。


「ちょっとこい」


ツツンシはそう言うなり、私の腕をつかもうと手を伸ばしてきた。


私は、それをひょいっと軽く身をずらして躱すと、

もう今では私を捕まえようとするツツンシと私のおにごっこになっていた。


最初はのんびりした動きだったけれど、

演奏の音が響く舞台の近くまで来た頃には、

私たちの鬼ごっこは、ほとんど駆け足になっていた。


どちらに行こうか考えていると、

もう息が切れているツツンシが、ついに追いついてきた。


そのとき、ふと気づいたことがある。


さっきまで流れていたのは、軽快で明るい音楽だったはずなのに、

いつの間にか、少し暗めの雰囲気をまとった“音”に変わっていた。


……ん?なんだろう?


そう考えていた私に、ツツンシの腕が、もう一度こちらに伸びてくる。


その動きに合わせて、舞台から低く響く音がした。


ぼうっ……ぐるるっ――


ファゴットの音色が、ツツンシの巨体に重ねられるように空気を揺らした。


その瞬間、舞台から「ぴんっ……ふうぅ~」という音が鳴った。


グロッケンとフルートの音が、まるで私の動きに合わせるように響き、

軽く揺れるドレスの裾のように、空気の中へ消えていった。


今――ここにいる誰もが、空気を察したのか、

会場からすべての音が消えた。


「ぐおぉぉーッ」


ツツンシの咆哮と同時に、ティンパニが重く響く。

大地が揺れるようなその音が、空気を押し出してくる。


迫ってくるツツンシから逃げる私の足元には、

軽やかなマリンバのリズムが追いかけるように重なった。


トン、トトン――軽く、でも絶え間ない音。

それは、まるで私の“逃げ足”のテーマ曲みたいだった。


私は、無暗に捕まえにくるツツンシから逃げながら、

「すいません」「ごめんなさい」と小さく囁きつつ、

人とテーブルのあいだを縫うように駆け抜けていった。


けれど――

背後では、テーブルが倒れたのか、

グラスが砕ける音が響き、


その瞬間、舞台からは、

もはや何が何を奏でているのかもわからないほど、

全ての楽器が一斉に鳴りはじめていた。


めちゃくちゃで、でも――妙に息の合った、混沌の音。


最後部の出入り口まで来た私は、

扉に手をかけて逃げ出そうとした――けれど。


握った扉は、まったく動く気配がなかった。


あ……失敗しちゃったかな。

そう思って振り返った。


いつの間にか――三つの、尾を引く光の矢が――私に刺さる寸前だった。


私は髪を撫でた。


魔法の矢は、“何か”に当たれば消えてしまうもの。

それは、ヴェルシーに教わっていた。


クラシェフィトゥで切っても、結果は同じ――

矢は、空気のように消える。


でも――最後の一本だけは、間に合わなかった。


胸に刺さった光の矢。

けれど、どうやら大した傷ではない。

ドレスの色に紛れて、血が滲んでいるのもわからないかな。


でもトキノ先生のドレスは”古い”ものだから、

修復の魔法は……掛かっているかな?


……あれ?


ツツンシの後ろに――

いつの間に、ジガさんがいたんだろう?


『その手――止めてもらい、感謝する』


そう言われて、私は気づいた。


いつの間にか、自分の髪を掴んでいた。


……でも、このほとんど止まった時間の中で、

会話ができるなんて――思ってもみなかった。


今は……ただの妄想。

自分でも、そう思っていたのに。


『そして、そのまま振り抜くことを止め、手を戻してもらえるのなら……』


『あなたに、二度と危害を与えないことを――

ワシが、“命”に代えて、誓おう――頼む』


どうやって私に話しかけられるのか、それは全然わからないし、

魔法使いだからとしか答えは出せなかった。

それに私は返事ができない。


だから……


私は、ツツンシの脇を通って――ジガさんの前に立った。


「これが、ワシの“命”だよ」


ジガさんは、これまで指にはめていた指輪を、

そっと外して私に差し出した。


私がそれを受け取ると、

ジガさんはもう、すべてが終わったかのように静かに背を向け、

後ろにいるツツンシのもとへ歩いていった。


私は、その場に立ったまま、指輪を見つめながら考える。


どうしようかな――その思考の途中で、

会場全体の明かりが、ゆっくりと暗くなった。


舞台には、スポットライトが一つだけ。


もう、私のための音楽は終わっていた。

凝視する者も、そこにはいなかった。

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