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彼女の∞と私の零と  作者: イニシ
第九章:若冠の儀と壮冠の儀
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162話:飴がしゅわしゅわしてくるのよ

最近の私の悩みは、前は浮かんでこなかったような悩みが、

頭の中からずっと離れてくれないことだった。


むぅー。


何が私から出て行ってるのか、よくわからない――けど。


むむぅー。


吐き出したため息と共に何かが、部屋の中に解き放たれていくような気がした。


……とりあえず、誰かに話してみようかな。


こういう時は、やっぱりトキノ先生だよね。

「先生」と自分で名乗るだけあって、なんでも知ってて、

なんでも私にわかるように教えてくれる。


何を聞けばいいかもわからないけど、とにかく会いに行こう。


そう思って螺旋階段を数段降りると、

キッチンの方からカチャカチャと音がした。


……何かしてる?


気になってそっと降りていくと、その原因がわかった。


キッチンの“上”に、トキノ先生は座っていた。


両脚をぶらぶらと揺らしながら、大きな本を膝に広げて、

ご機嫌な様子で鼻歌を歌っている。


時おり、ページをめくりながら呪文をぽつりと唱えると、

そのたびに、鍋やフライパンがふわりと宙に浮かび、

食材たちが自分から踊るように調理されていった。


フライパンはリズムよく回転し、包丁はまるで踊るように刻みを入れる。

魔法というより、ちょっとしたオーケストラみたいな光景だった。


「あ~、トキノ先生? 何をしているのです?」


声をかけると、先生はほんの一瞬だけ、どこか疲れたような顔をした。

けれど次の瞬間には、何事もなかったように本へ視線を戻し、

鼻歌まじりに魔法で料理を続けていた。


「あなたが疲れているのよ。

だから、これを食べさせてあげたくて、作っているの。

だから――そこで、静かに見てなさい」


そ、そうなんだ……


私、そんなに疲れてる?


チーーン。


澄んだベルの音が部屋に響いた。

どうやら、それが完成の合図だったらしい。


トキノ先生が「食べてみて」と言うと、

一皿だけの料理がふわりと宙を滑るようにして、

私の目の前のテーブルへと、音もなく着地した。


香ばしい――この匂い、なんだか覚えがある。


けれど、目の前の料理は、見たことのない形をしていた。


「ねぇ……これ、何ていう料理なの?」


私がそう尋ねると、トキノ先生は本から目を離さないまま答えた。


「イタメシって言うのよ。ずっと昔はね、けっこうよく食べてたの」


「へぇ……イタメシ?」


響きはなんだか不思議で、でもちょっとおいしそうだった。


「はぁぁ~、からいよぅ……」


勢いで半分以上は食べてしまっていたけど、やっぱりすごく辛い。


ぱく――うん、辛いね。

ぱく――でも……美味しい。


ぱく、ぱく、ぱく。


気づけば、最後の一口までちゃんと食べ終えていた。


それからグラスを手に取って、冷たいジュースをごくりと飲んだ。


辛さが引いていくその感じが、ちょっとだけ、くすぐったかった。


「ちょっとは軽くなったはずよ。あたし特製スパイス入りですからね。

だから――早く会場に行きなさいね」


……そうだね。


今のいままで昨日から考えていた……何を?


もう、忘れてしまったくらい――

たぶん、たいして意味のないことだったようだ。


「トキノ先生、ありがとう。

……もう始まってるけど、こっそり入っちゃえばいいよね?」


先生はゆっくりとテーブルから降りると、私の前まで歩いてきた。


「これも、食べてみて」


ぱきっ。


小さな音とともに、トキノ先生の手のひらに飴が現れた。


いびつな形の、その飴をそっと受け取って、私は口に入れる。


ぱくっ。


入れた瞬間、しゅわしゅわっと泡が広がった。


すっぱくて、甘くて――そのあと、ほんの少し苦い味がした。


「では、行ってきますね――着替えてからですけど……」


私がそう言うと、トキノ先生はふふっと笑って、そっと私の肩に手を置いた。


「もう、あたしは神じゃないけど……魔法くらいは使えるのよ。

このくらいのことは、ね」


寝衣しか着ていなかった私は、今ドレスに包まれていた。


彩りも質感も、どこか不思議で――でも、とても私らしい。


今の気持ちをそのまま映したみたいなドレスだけど、

この見た事ないスタイルのドレスは、たぶんトキノ先生が昔、着ていた物かな?


「すごーい。これで行きますね」


上へ戻ろうとした私の手を、トキノ先生がまた引き留めた。


そのまま、詠唱を唱え終わった時には、目の前に扉が現れていた。


私は何度もお礼を言いながら、

トキノ先生に手を振って、そっとその古風な扉をくぐった。

【後書き】――rururi


はぁ~……まだちょっと辛かった。あのイタメシ。

でも、美味しかったんだよ。なんか、ちゃんと食べきれたし。


あと、あの飴。しゅわしゅわして、すっぱくて甘くて……ちょっと苦いの。


あれ、味じゃなくて気分じゃない?って思ったけど、

たぶん先生、わかってて出してるよね。


うん、とにかく元気出た。


よし、じゃあ――こっそり、行ってきます。


【後書き】――writer I


第162話は、誰かの優しさに気づかないまま沈んでいた心が、

じわじわと浮かび上がっていくような、そんな回でした。


トキノ先生の料理はただの魔法ではなく、

“ちゃんと気づいて、ちゃんと効いてくる”心のスパイス。


自分が何に悩んでいたのかさえ忘れるような、

食事と会話の中にしかない癒しが、ここにあります。

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