154話:精霊になる過程――知っているのは私だけでしょ?
目を開いたとき――閉じる前と“違っている”と気づけるのは、
きっと私だけだと思う。
黒いクリスタルの中にある宝石には、
諧調のようなものがあって、
それが“億”でも“兆”でも、一度見れば――違いがはっきりわかった。
仕組みそのものは分からないけど、
『蝕界』の暗闇にもある諧調が、この宝石と連動している……
たぶん――このクリスタルは、『蝕界』の力を吸収してるのかな。
あとで、ルクミィさんにでも聞いてみよう……
私に考えられるのは……こんな簡単なことだけ、かな……
でも、クリスタルのグラデーションを眺めてるだけでも、なんだか楽しい。
――あはっ。動いてるの、今は私たちだけだね。
……なんだか、ちょっと可笑しくなっちゃったのかも。
うん、絶対、変だよ。
なんだか、ぼやけて見える……
輪郭が滲んで、体が――体がどんどん……粒になっちゃうの?
エネくんは……大丈夫、なのかな?
見た限りでは、輪郭もちゃんとしてるし、
あのクリスタルだって、さっきと同じに見えた。
――え? もしかして私……素魂になっちゃうの?
私の体、全部が――魂?
このまま、なくなっていくの……?
エネくんが、私の手を握ろうとしている――
何かを言ってるように見えるけど、どうして……聞こえないの?
でも……
それでも、手を握りたい。
エネくんに、捕まっていてほしい。
もう、届きそうだよ――エネくん。
……よかった。捕まえてくれて――
私の手が、エネくんの手に触れたその瞬間――
ほろほろと微粒子となった手が、空間に紛れるように、形をほどいていった。
その余力が、もう肘まで浸透していった。
ああ……私は、もう――ばらばらなんだね。
このまま……精霊になって意思もなくなって漂うのかな?
……はぁん。
――ねえ、意識って、どこに落ちるのかな?
『――――ねぇ、どうしたの? 私』
「ねぇ、どうしたの? 私」
えっ……誰が喋ってるの?
……はっきりと意識した。
「いや、私だよね?」
『いや私だよね』
『いや私だよね』
『いや私だよね』――
……何処からともなく、いくつもの“私”の声が響いてくる。
今だって、聞こえる。
……私、もしかして――すごく、ちっちゃいのかな?
それに――たくさん、いる?
私が、何人も……何箇所にも?
信じられない……
突然、突風が吹いた……気がした。
何も感じなかったし、見えたわけでもないのに。
「目が回るよぉ~」
『目が回るよぉ~』
『目が回るよぉ~』
また、私の声が聞こえる。
でも――なんでだろう、今度は私の中から聞こえる。
あー……ああー……ぐるぐる、するよー……
また……意識が――
――うーん、ん?
……戻れた、のかな?
さっき、私が粒子になっちゃったの――あれって、平気だったの?
もしかしたら、エネくんが助けてくれたのかもしれないけど……見当たらない。
嫌なことになってないと、いいんだけど。
あれ? なんだろう……?
指先に、何か紙片がくっ付いていた。
その紙からは、小さな音楽が一節だけ――繰り返し、流れてくる。
よく見れば、他にも。
同じような紙片が、あちこちに付いていた。
ひとつは、焦げ臭い匂いのする紙片。
もうひとつは、手に触れると――ほんのり、温かく感じる紙片だった。
数十枚の紙片に触れているうちに――私は、あることに気づいた。
この紙片、たぶん……私の体を作っている“一部”なんだと思う。
そして、その紙片ひとつひとつが――精霊のもとになる、素魂……なんだよね。
……たぶん。
もしかして、私……エネくんみたいな精霊になっちゃったの?
いや、まさか――
ヴェルシーに使役されるなんて、そんなことは……ないよね?
……でも、もしも。
誰とも会話できなくなったら、
誰にも“私”って気づいてもらえなかったら――
それは、すごく……寂しいよ。
何か、頭の上から――ぽと、っと埃が落ちてきた。……いや、違う。
私はゆっくり、鼻と口を手で塞いだ。
だって、埃だと思ったそれは――エネくんだったから。
このままだったら、きっと――食べちゃってた。
声が、届くかどうか分からなかったけど、
慎重に、そっと声を出してみた。
返事は……聞こえなかった。
でも、エネくんが身振りで返してくれて――
ちゃんと、聞こえているんだってわかった。
そうか、『蝕界』はもう終わっているから動けるようになったんだね。
私はどうなるのか、みんなに聞こうと思ったので部屋に帰れるのか
エネくんに聞いてみた。
でも……エネくんの身振り、まったく分からなかった。
首を傾げて、ちょっとだけ苦笑いを返してみる。
その瞬間――
エネくんが、ぱっと強い光を放った。
一瞬のことだったけど、まぶしさに目を細めた次の瞬間には、
もう落ち着いていて……
その隣に――誰かが立っていた。
ん? ……それって、私?
そこには、まるで人形のような“私”が浮いていた。
……でも、それを見た瞬間、私ははっきり分かった。
それこそが、“今ここに寝ている私”なんだって。
そして、小さな“私”の中に、意識が――
すぅっと、引き込まれていくまでのあいだ――
……そこまでは、たしかに覚えてた……よ。
【後書き】――rururi
微粒子になった自分の、どこに意識が残っているのか――
それすら、分からなかった。
輪郭がなくなる感覚って、
ただ“消えていく”のとは少し違っていて……
“どこに帰ればいいのか”が分からなくなる、
迷子みたいな感じだった。たぶんね。
眠っている、小さな私。
もしもそれが、“本当の精霊の私”とか、
“作られた偽物の私”とか――
そんなふうに考えなくてよかった。
だって私は、私なんだから。
まわりに浮かんでいた紙片には、
触れるたびに、それぞれ違う“重さ”があった。
焦げたようなもの。あたたかいもの。
私には分からない――誰かの記憶。
精霊の体って、こういうものでできてるのかな。
……まぁ、ずっとそれになっていたいとは思わなかったよ。
細切れの記憶のままでいるなんて、ね。
【後書き】――writer I
154話は、肉体と意識、自己と精霊のあいだを揺れ動く「変容の章」かな。
読者がずっと付き添ってきた“瑠る璃”という存在が、
ほんの少しだけ“人”という枠を越え、精霊的なものに触れ始めたこの回。
それはただの変身や成長ではなく、
「粒になってほどけてしまったものを、自分で見つけ直す」という
とても静かで個人的な旅だったように思います。
そしてもうひとつのテーマは「伝わらないことのやさしさ」。
エネくんの身振りがわからなくても、
声が聞こえなくても、**“分かろうとしてくれる存在”**がいることは、
それだけで希望になります。
自分が誰かに戻る。
自分をもう一度、組み立てていく。
瑠る璃のこの小さな一歩が、またひとつ世界を変えていく気がします。