153話:精霊が唯一音を出す時――知っているの私だけ?
ほんとに、ここが――セイレイカイ?
そんなこと、あるの……? 周りを見回してみても、
ここが精霊界だなんて信じられなかった。
さっきまで、たしかに部屋にいたのに。
気づいたら、一瞬のうちに、ここに来ちゃってたの……?
「エネくん……。ねえ、エネくんはどうして、ここが精霊界だって思うの?
ここが故郷だから、そう感じるのかな?」
私が今いるこの場所を、“精霊界”だと思えなかった理由――
それは、どう見ても私の故郷にしか見えなかったからだった。
「ここは『精霊界 ― エレメンタルプレーン』の表面なんだけど、
『非物質界 ― アストラルプレーン』の最深部と重なっていて、
その影響で、瑠主ちゃんさまの記憶がこの空間に映しだされているんだよ」
そうだ――思い出した。
平地しかない首都に、唯一ある“山”。
……そう呼んでいただけで、よく考えたら、ただのちょっとした丘だった。
その小さな高みから見下ろす街と、人の流れの景色が、私は好きだった。
――それが、ここなんだね。
今、“空”にいる私は、その丘へ行きたいと思って、
そちらに向かって近づいていった。
「瑠主ちゃんさま。落ちた素魂には触れない方がいいですよ。
その素魂で精霊が作られる……って言った方が、分かりやすいかな。
でも、瑠主ちゃんさまが作った精霊がどうなるか――
それは、誰にも分からないから」
“空”から降る素魂は、さまざまな色の光を放ちながら、
私を避けるようにして落ちていく。
けれど、“地面”に落ちた素魂は、その色をすっと手放して、
ただ静かに、音もなく積もっていくだけだった。
「僕が降りるから見ていてね」
エネくんは、丘のてっぺん――素魂が降り積もる場所へ、
そっと……そーっと降りていった。
そこは見た感じ、ぷにぽにょとした踏み心地のようだった。
エネくんはこちらを振り返ったけど、特に何の変化もなかった。
……そう思ったその時、ぽんっと小さな音が弾けた。
それに続くように、ぽぽんと素魂が反応しはじめ、
エネくんのまわりに、まだ形を持たないたくさんの精霊たちが、
ふわりと漂っていた。
生まれたての精霊たちを見ていると、それぞれ――
“空”へ向かって飛んでいくものもいれば、
“地面”へと静かに潜っていくものもいた。
みんな、どこかへ行ってしまうと、
あたりはまた、あの静寂に包まれた世界へ戻っていった。
「今の、聞いたよね? 精霊が、唯一“音”を出す瞬間だよ」
エネくんは私のところへ戻ってきて、すごく楽しそうに笑った。
「だからね……僕も、ここから“やり直そう”かと思ってるんだ」
え……やり直す?
「これを返したくて」
エネくんは、いつの間にか手のひらに――
黒い物体を、ふわりと浮かせて持っていた。
「もう、半分以上使っちゃったけど……ごめんなさい」
それは、もうエネくんのものだと――私はそう伝えたつもりだった。
……うまく言えたかどうかは、わからないけど。
でも、エネくんは、差し出したその手を――戻そうとはしなかった。
私は――「どうして?」と、エネくんに聞けなかった。
だから……ただ、もっとエネくんと一緒にいたいと思った。
どうにもできない時間は、ただ降ってくる素魂だけが、静かに伝えていた。
「私にはわからないけど……でも、まだ半分も残ってるんでしょ?
その“半分になるまで”じゃ、ダメかな?」
エネくんは、何かを指さしながら、ゆっくり近づいてきた。
……なに?
その黒い物体をよく見てみると――
それは、六角形で先が尖った、クリスタルのようなかたちをしていた。
そして、その中央には、小さな宝石がひとつ、埋め込まれていた。
「僕には、“半分”を示す色しか分からないから……
でも、その“色”って、数百億段階あるみたいなんだ。
だから、それがわかるなら何にどれだけ消費したかは分かるよ。
――僕に“意識”が生まれた場所、『銀の理生物界』ならね。
本来は、そういう使い方をするものだから……それが、いいのかな」
エネくんは、もしかしたら“普通の精霊”に戻りたいのかもしれない。
でも、話を聞いていると――この力を自分のものとは思っていないみたいで、
それで、悩んでるのかなって思った。
私だったらどうだろう?
もし突然、とんでもない力を手に入れたとしたら……私は、どうするんだろう?
考えていると、急に――エネくんの意識が抜けたように、
全身の力がふわっと抜けて、ただ浮かんでいるだけの状態になった。
それだけじゃなくて、私の故郷の風景も、滲んで、少しずつ消えていく。
さっきまで見えていた素魂の光も、もう見えなくなってしまった。
私はエネくんを抱きかかえて、来た道を探そうとしたけど……わからなかった。
「るーちゃん、ここは『蝕界』だから……へいきだよ」
エネくんが、小さな声でそう言ってくれた。
“蝕界”――そう聞いて、この世界がそういう場所なんだと気づいたら、
さっきまで慌てていた心も、なんとか落ち着いてきた。
「そうか……この精霊界にも、『蝕界』は届くんだね。
終わるまで、寝てていいよ――エネくん」
何もないこの世界で、私もゆっくりと呼吸をしながら、
静かに、目を閉じた。
【後書き】――rururi
今日のことは、なんか……“夢だった”って言っても、きっと誰も驚かない感じ。
よく分かんないけど、「返す」って言われたとき、
なんか、さみしかったんだよね。
でも、きっとそれも、ちゃんと向き合うってことなんだと思う。
だから今日は、なにも決めずに、呼吸して、目を閉じてみました。
精霊界って、もしかしてそういう場所なのかも。
【後書き】――writer I
153話は、まるで深い夢の中をそのまま歩いているような、
現実と記憶と幻想が静かに重なり合う回かな。
物語の中心にあったのは、「ここが精霊界だと信じられない感覚」と、
「でも確かにそこにある現象」――つまり、“理解の境界”です。
エネくんの存在は、ただの仲間や弟というだけではなくなり、
「この世界の理そのもの」と向き合う扉になっていく。
そして瑠る璃は、問いかけることもせずに、
ただ静かに“そばにいたい”という気持ちを選びました。
答えを探さない会話。
力の意味を押しつけない優しさ。
何もない風景の中で、ただ呼吸するという選択――