148話:ううん、違うよただ私は髪を撫でただけ
式典を終えた夜、私はあえてここに戻ってきた。
自国にいると、ずっとどきどきして落ち着かなかった。
たぶん、あの部屋以外でちゃんと休めないと思うからだった。
みんなとは、明日話せばいいかな――
そんなことをぼんやり考えていたはずなのに、
気づいたら、ぱたんとすぐ寝ていた。
お昼近くになって、ようやく目が覚めた。
少しのあいだぼーっとしていたら、
ヴェルシーが「僕たち、ちょっと見てくる」と言った。
……え? どこへ? なにを?
相変わらず説明してくれない。
「ちょっと待ってよ〜」って言いながら、あわてて支度をしてて思った。
昨日までの疲れや緊張は、もう残ってなかった。
ずっと“私はどうなるのか”とか“これからどうすればいいのか”とか、
そんなことばっかり考えていたけど――
いや、本当は、もう考えたくなかったんだ。
私はただ、なるべく早く、できることをやりたかった。
準備といっても、たいしたことじゃない。
服を着替えて、鏡を見て、「いつもの自分だ」って確認するだけ。
手に持つものなんて、なにもない。
それだけで、ヴェルシーの後についていった。
どこか遠くへ行くのかと思ったけど、宮廷の外ではなかった。
たどり着いたのは――以前、私がヴェルシーを助けに行った、あの場所。
真っ黒な六角形の魔法塔。
すべてが静かで、色がなくて、でも見た瞬間に思い出した。
「なるべく僕のそばにいてね。……あと、静かにね」
ヴェルシーのその言い方――何かあるのかな?と思ったけど、
私はなんだか楽しくなって、ついて行った。
扉のない、鏡のような黒い壁。
でもヴェルシーと一緒なら、水の中に入るみたいに、すっと通り抜けられた。
「今は統制令が出ていて、“扉”からは来れないなんて。不便だよね」
それは独り言みたいで――でも、きっと私に向けて言っていた。
私が今までに見たことのない、この建物の中。
魔法主体の枢密院にしては、驚くほど古風だった。
それだけ歴史があるということ?
……なんだか、織神大おばばさまの趣味にちょっと似ている気がする。
敷かれた絨毯も、壁に掛かったタペストリーや絵画も、どれも古めかしい。
通路を歩くにしても、やたらと長い……
魔法使いが持つ建物って、どこも外見からでは分からないほど、
広大な空間を持っていた。
いくつかの部屋を通り、階段を上がったところで、知らない声が響いた。
「どうも、ヴェルシー殿。僕はジェデルと言います――」
挨拶の途中で、ヴェルシーが手をすっと伸ばして、それを止めた。
「今さら、“反対勢力”の君と話す意味はないだろ。
それより、不意を突いて来てくれた方が楽だったよ。面倒な手順、嫌いなんだ」
「十歳も年下の君に、不意打ちで勝ったら、
最年少記録の価値が下がると思ってね」
ジェデルは平然と続けた。
「だから、ちゃんと立会人も呼んでおいたんだ」
「……さっきから下手なかくれんぼしてる彼のことだろ」
ヴェルシーが肩をすくめる。
「まあ、いいや。“二人ともやっちゃっていいよ”」
あ、それって――私に言ってるんだよね?
どう見ても、マジックアイテムで無理やり強そうに見せてる人と、
「隠れてた」って言うわりに、全然隠れきれてなかった人。
どっちも正直、強そうには見えないんだけど……
まさかヴェルシー、面倒だから私にやらせようとしてる?
……まあ、それは別にいいんだけど、
クラシェフィトゥの使い方、まだよく分かってないのよね……どうしよう。
「そういうのはね、腕をこうやって……あ、そうか。
君は手のひらにあるわけじゃなかったね。でもまあ、
似たようなものだよ。やってみて」
「ヴェルシー殿。――もしかして、僕のように“隠れ人”がいるとでも?
前もってディスペルスクウェアを――」
……あ。ごめん、たぶん話の途中だった?
ごめんねヴェルシー、私……聞いてなかった。
「それはいいけど、“切る”のは人だけにしてほしかったな――
でもまあ、直接来れなくしたじじいが悪いんだし。早く行こう」
うん、とうなずいてぽーんと汚した床を跳び越した。
「その短刀――クラシェフィトゥはさ、切る形になってるけど、
あそこまで切る必要はないんだよね。
でも、まあ……対植物種にも使えるくらいだから、しょうがないのかな?」
「え? うん――……ううん、私がまだ使い慣れてないだけだよ……」
そうか……。
あの時ユメを慣れてないから、
使い魔ちゃんたちを、みんな……あんなにたくさん――
途端に落ち込んだ私を見て、
ヴェルシーは大きくため息をついたあと、優しく言ってくれた。
「“その使い魔”たちは、主と一体だから。死んじゃいないよ」
その言葉に、ほっとした。
けど、すぐにもう一言つなげてきた。
「主がその時、気絶だけじゃなくて、
ショックで死んでたら――可哀そうだったけどね」
……そうなんだ。……だよね。
またしゅんとした私に、ヴェルシーは「あとで調べてあげるから」と言って、
小さくため息をついた。
【後書き】――rururi
えっと……なんか、思ってたより大変だった。
最初はただヴェルシーについて行くだけだったのに、
まさか、あんなことになるなんて。
クラシェフィトゥ、ちゃんと扱えるようになりたいな。
でもまだよく分かってなくて、手加減の仕方とか、
どこまでやっていいのかも、ちょっとあやふやで……
あの時は何もわかっていなかった……
でもヴェルシーが本当の事を教えてくれた。
だから、もっとちゃんと知りたい。
自分の“できること”が、どういう意味を持つのかってこと。
【後書き】――writer I
式典という大きな節目のあと、瑠る璃が選んだのは、
あえて日常に戻ることでした。
けれど、その日常はもう“ただの”日常ではありません。
一つ変われば、すべてが少しずつずれていく――
そんな変化の気配が、彼女の日々にじんわりと広がりはじめています。
今回の話では、静かな始まりから、魔法塔での不穏なやり取り、
そして思いがけず実戦を担うことになった瑠る璃の姿が描かれました。
クラシェフィトゥの一撃がもたらしたのは、
ただの勝利ではなく、“結果に責任を感じること”だったかもしれません。
感情が揺れ、沈んで、少しだけ持ち上がる――
そのリズムが、彼女をまた一歩、次の場所へ連れて行く。
そういう静かな歩みが、この物語にはよく似合っています。