147話:始めるんだ……この長い歩みの一歩が
『突発的蝕界』が終わった。
部屋を出た私の目の前には、二人のおばばさまが立っていた。
そのうちのひとりが、深く頭を下げてこう言った。
「織神さまは……お眠りになりました」
言葉を選んだ、そんな響きだった。
私は何も返せずに、小さく会釈をして通り過ぎる。
それだけで――なぜか、胸が詰まった。
何か大切なものが、遠くへ行ってしまった気がした。
……そうだったのか。
やっぱり、あの言葉は“別れ”だったんだ。
そう思った瞬間、足が止まってしまった。
胸の奥がきゅっと苦しくて、なぜか呼吸もうまくできなかった。
そのときだった。
背後から、別のおばばさまの声が飛んできた。
「だから! 寝ていらっしゃるだけですよ」
……え?……そう、なんだ。
一気に力が抜けた……けど良かった。
私はそっと胸の前で手を合わせて、もう一度、静かにお辞儀した。
「……また来ますね」
――それから、宮殿に戻った。
迎えてくれたのは、
碧り佳姉さまと、深る雪姉さまだった。
いつもの給仕の姿ではなかった。
ふたりとも、ちゃんと“姉姫さま”としてそこにいた。
決して派手ではないけれど、凛とした気配があって、
それだけで、この日が特別だとわかるようだった。
「まさか、今年あなたが“若冠の儀”を迎えるなんてね。
でも――あなたらしいわ」
碧り佳姉さまは、ふふっと微笑んで、そっと拍手をしてくれた。
それだけで胸がじんとあたたかくなる。
「むーん……」と横から唸る声がする。
「これで絶対、私の方が“妹”に見られそうだよね。……見かけだけね」
深る雪姉さまはそう言って、いきなり私の脇をくすぐってきた。
「ひゃ、や、ちょ……やめてよ!」
「ほら、やっぱり中身はまだまだ子供だわ」
「もうっ!」
私たちの部屋のリビングに戻ると、
姉さまたちの家従たちが、特別な飲み物や果物を用意してくれていて、
部屋の中はちょっとだけ忙しそうだった。
――あれ? こんなに人、いたっけ?
普段は姉さまたちが、ほとんど自分で私の世話をしてくれていたはずなのに。
その姉さまたちに、こんなにもたくさんの家従がいたなんて、
今まで気づいてなかった。
……いや、違う。
もしかしてこれは、
私が“準成人”になったから……?
これから先、私の身の回りのことを姉さまたちがやってくれるわけじゃない。
それはもう、終わったんだ――そういうことなんだよね。
たったそれだけのことなのに、
なんだか、急に胸がきゅっとなった。
さっきまであんなに嬉しかったのに、
少しだけ、寂しい気持ちがこぼれてきた。
その時、両側から碧り佳姉さまと深る雪姉さまが、そっと私の手を握ってきた。
まるで私の心を見透かしたようだった。
「これから私たちは、もっと強く結び合っていくの。
三連結天体王家と呼ばれるようにね」
「世代王家の中で、私たちが一番若いのよ。
その最年少が――瑠る璃、あなたなのよ。
あなたが成人を迎えれば、現王家からすべてを受け継ぐことになるの。
……今日がその始まりよ」
碧り佳姉さまはいつものように落ち着いていて、
深る雪姉さまは珍しく真剣な表情だった。
そのあと、三人だけで広間へ向かう時間だった。
もう、準備はできた――心も、衣装も。
王宮の広間は、透き通るような音色に包まれていた。
天井近くの楽奏台からは、水晶笛と銀弦の竪琴が静かに旋律を織りなし、
広間全体を祝福の空気で満たしていた。
王も女王も姿はない。けれど、民は誰ひとりとして帰らず、
ぎっしりと広間を埋め尽くしている。
彼らは皆、静かにこちらを見ていた。その視線のすべてが、温かかった。
私は、碧り佳姉さま、深る雪姉さまと共に、王家の正装で壇上に立った。
淡い星辰の紋を織り込んだ瑠璃色の礼服――私のために仕立てられたそれは、
まだ少し大きく感じた。
……けれどその重みは、王家として歩み出す責任の重さにも似ていた。
儀式は簡素だった。
火の精を象った灯が一対、玉座の前に置かれ、三人でそれを囲む。
民は言葉を交わさず、ただ静かに見守ってくれる。
広間の片隅から、巫女の鈴の音が響いた瞬間――私の胸に、何かが満ちた。
「……ありがとう」
自然と口をついて出たその一言が、広間に静かに届くと、誰かが拍手を打った。
それが波のように広がって、空気がほどけた。
私は驚いた。
王も女王もいないのに、これほど多くの人が、
私の“準成人”を祝うためだけに集まってくれていたのだ。
その事実が、何よりも胸を打った。
碧り佳姉さまは静かに微笑み、深る雪姉さまは珍しく、
涙をこらえるように目を伏せていた。
この瞬間、私ははっきりとわかった。
この王家は、名ではなく、人と人との絆でつながれているのだと。
そして私は――その絆の一員になる。
今日、それが始まった。
【後書き】――rururi
ちょっと怖かったし、ちょっと泣いたし、いろいろ戸惑ったし、でも――
姉さまたちと一緒に過ごした日々が、すごく心に残ってて。
あと、あの人にも会えたから。ふふっ。
これからは、私も王家の一員として、ちゃんと……
まあ、できるだけ……がんばります。
じゃあ、またね。
【後書き】――writer I
何かを選んだわけじゃない。
何かを悟ったわけでもない。
けれど、目の前に起きたことに対して、瑠る璃はちゃんと立ち止まり、
自分なりに受け止めようとしていました。
それは誰に教えられたわけでもない、ごく自然な反応でありながら――
その姿勢には、どこかしら“変わり始めている”気配がありました。
あれが一歩だったのか、兆しだったのか。
それすら、まだ曖昧かもしれません。
“これまで通り”ではない何かが、
彼女の中で動き出していたかもしれません。