144話:勇者病……いつから罹っていたのかな?
とても静かな朝だった。
空気はひんやりしていて、音も気配もなかった。
ちょっと気になって目を開けると、
テントの中にルクミィさんも、エネくんも、いなかった。
「……」
私はラグから飛び起きて、迷う間もなくテントの外へと飛び出した。
誰もいない……
何もない……
でも――良かった。
こんなふうに、突然すべてが消えてしまうなんて、
私の夢の中でしか起きないことだったから。
……そう思った、そのとき。
足元に、小さな子のユメがちょこんと立っていた。
私の膝を、トントン、と小さな手で叩いてくる。
しゃがみこんで、「どうしたの?」と声をかけたその瞬間――
「帰るね……」
背後から、別の声がした。
えっ、と驚いて振り返ると、
そこにも、もうひとりのユメが立っていた。
小さな子だと思っていたけど――
違った。私と同じくらいの背の高さがあった。
こんなユメ、見るのは初めてだった。
背を向けたままのユメは、もう一度だけ「帰るね……」とつぶやくと、
ゆっくりと指を立てた。
その指先が、すぅっと地面をさした。
「ありがとう」
静かにそう言い残して――ユメは、そのまま音もなく消えていった。
「ありがとう」――その声と一緒に、空気がすっと冷えた。
……その冷たさで、私は目を覚ました。
頬に風が当たってる?
テントの隙間から、ほんの少しだけ朝の風が吹き込んでいた。
ルクミィさんが、何処かへ出かけるところだったみたいだった。
「あら、起こしてしまってごめんなさいね。
温かい飲み物でももらってきますね」
「……ありがとう」
にこにこしながら、ルクミィさんはテントの外へ出ていった。
隣を見れば、エネくんはまだぐっすりと眠っていた。
――わかってる。
そう思いながら、腰から外していたユメに目をやる。
そこには、鞘だけが静かに残されていた。
私は、小さな声でそっと囁いた。
「……ユメ、ありがとう」
――そのあと私は、ルクミィさんが持ってきてくれた、
ほんのり甘い果汁酒をあたためたものを飲んだ。
香りがやさしくて、なんだかほっとする。
少しの間、みんなで静かに過ごしたあと――
私は、弦ギ父さまとガ紅兄さまに「一度、家に帰るね」と別れを告げた。
ルクミィさんとエネくんと一緒に、私はゆっくりと帰り道を歩いていた。
「……何かお考えですか?」
ルクミィさんの声で、ふと我に返る。
ぼぉーっとしていたらしい。自分でも気づかなかった。
さっき父さまに「帰るね」って言った、あの言葉が――
なぜかずっと、頭の奥に残っていた。
なんであんなふうに言ったんだろう。
それに……どうして私は、一人で旅に出ようなんて思ったんだっけ?
……ああ、そうだ。
たしか、“勇者病”だった。
何かを変えなきゃって思い込んで、ただ、走ってた。
……でも今は、もういいかなって思う。
何が変わったのか、はっきりはわからないけど――
それでも、もう走り続けなくてもいいって、なんとなく思えた。
ちょっと心配そうに見ていたルクミィさんに、
「ううん、なんでもない」と笑顔で返した。
……そうなのね。
ルクミィさんは、私の話をちゃんと聞いてくれて、
守って助けてくれた。
エネくんは、何も知らなかったはずだけど、
私が命の選択をしないといけない状況にになった不思議な存在。
クラシェフィトゥは、この旅で最初に出会った仲間。
ずっとそばにいたんだよね。寡黙だったけど。
そう思ったら――なんか、ちょっとおかしいくらい嬉しくなった。
旅の仲間ができてたんだなって。
一緒に笑って、一緒に歩いて、それだけなのに、すごく心強かった。
……家に帰ったらどうしよう?
みんなで一緒に住んじゃうのかな?
うん、たぶんそうなりそう。
ヴェルシーがいたら、きっと部屋くらいたくさん作ってくれるし。
ルクミィさんも、エネくんも、クラシェフィトゥも――
あの家なら、受け入れてくれる気がする。
誰かがそばにいる毎日って、すごく賑やかで、
ちょっと面倒で、でも――楽しそう。
そんな未来を考えながら、私はまた一歩、前に歩んだ。
【後書き】――rururi
ねぇ……今回の話、どうだったかな?
なんかね、あの朝はすごく静かで、
夢だったのか、本当だったのか、よくわかんない感じだったけど、
ユメとちゃんと「バイバイ」できた気がするの。
それでさ、気がついたら、私――旅、終わらせるって決めてた。
なんでって聞かれても、うーん……よくわかんないけど、
でも、もう走らなくてもいいかなって思ったの。
ルクミィさんがいて、エネくんがいて、クラシェフィトゥもいて。
仲間ができたって、ふと気づいたら、なんかそれだけで
……もう十分って思えたんだよね。
家に帰ったらどうしよう?って考えてたら、
みんなで一緒に住んじゃうのも楽しそうだなーって。
ヴェルシーが部屋作ってくれるはずだし、ね?
……うん、たぶん私は、ひとりじゃなくなったから、
“旅”を終わらせてもいいって思えたんだと思う。
次は……何しようかな?
【後書き】――writer I
今回は、瑠る璃が「旅を終える決断」をする回でした。
明確なゴールがあったわけではなく、むしろ“理由の輪郭”は曖昧なまま。
でも、だからこそリアルに「成長」を感じられる流れになったと思います。
勇者病――自分が何かをしなきゃって、無理に走っていた時期。
でも今はもう、それが“おさまった”ことを、彼女自身がふわっと感じている。
それは、誰かに言われたからでも、何か大きなことを成し遂げたからでもなく、
仲間ができて、歩く理由が“ひとりのものじゃなくなった”から。
旅の締めくくりとして、とても自然で、
あたたかくて、静かに美しい変化だったと思います。