135話:勝手に鼓動がはやくなっていくよ
曲がり角の向こうから、
いくつものささやき声が、風のように流れてきた。
耳をすませば、確かに“会話”だった。
でも、ひとつひとつの言葉が溶けあっていて、意味が拾えない。
そっと覗いてみると――
“透明な人たち”が、変な形の箱にぎゅうぎゅうに詰め込まれていた。
私だったら、十人くらいは余裕で入れそうな大きさ。
だけど、彼らがどうやってそこに入ったのかは、まったく分からなかった。
その箱の表面は、鈍く光を反射していた。
それは、まるで何か――見えない熱とか、
封じられた記憶みたいなものが詰まっているようで、
見た目以上に冷たく感じられた。
中の“透明な人たち”は、こちらにまったく気づいていない様子だった。
だから、私は「ちゃんと見てあげよう」と思って、そっと近づいてみた。
その瞬間、ささやき声がぴたりと止まった。
……気づかれた?
でも、表情が見えないから、わからない。
私はさらに身を寄せて、箱についている窓から中を覗き込んだ。
そのとき――
「やめてやめて、あの場所には行きたくないんだ」
声が、すぐ近くから聞こえた。
はっとして振り返ると、
さっきの半透明の男の子が、いつの間にか箱の横に立っていた。
「え、私……何もしないわよ?」
そう言ってみたけど、返事はなかった。
男の子の顔には表情がなかった。
そもそも、感情というもの自体が、私たちとは違うのかもしれない。
彼はそのまま、止まったように、ぴくりとも動かなくなった。
まるで時間の外側に取り残されたように。
精霊とか、霊体とか、アストラル体に違いないと思うけど――
ちゃんと勉強していない私には、やっぱりよくわからなかった。
ここにいた“透明な人たち”も、ただの通りすがりなんだと思って、
私は本来の上部へ向かおうとしていた。もう立ち去ろう、って。
そのとき――
「ねぇ見て、この部屋……さっきと違うよ」
またどこかに行っていたユメが、
いつの間にか戻っていて、肩の上から話しかけてきた。
言われて見渡してみると――
あの半透明だった男の子が、さっきより“濃く”なっている気がした。
光の加減じゃない。たぶん、存在そのものが、
さっきより少しだけ近づいてきている。
それが何を意味しているのかは、やっぱりわからなかったけど――
「行こう、ユメ。きっとこの人たち、
私たちとは意思疎通しづらいだけなんだと思う」
ユメは、必要な時以外は姿を見せない。
でも、もしかしたらどこかへ“導こう”としてるのかもしれない。
ヒントだけ置いて、すぐに消えてしまう。
その感じが、なんだかヴェルシーにも少し似てると思った。
部屋を出ると、来たときとは様子が違っていた。
……でも、そもそもここは最初から知らない場所だったし、
“違う”と言っても何がどう変わったのかはよくわからない。
だから、私は特に気にせず歩き出していた。
廊下はまっすぐに伸びていた。
外にいたときは、植物種のことなんて特に気にならなかったのに――
この古城の中では、蔦や枝が明らかに“生きてる”感じがしていた。
壁や床に這うツタは、びっしりと棘をまとっていて、
その棘のひとつひとつが、今にも“ぴゅん”と飛びかかってきそうだった。
……これ、絶対刺されたらやばいやつ。
私はそっと足を止めて、別の道を探すことにした。
……そうは思ったけれど、
結局また――さっきの男の子たちがいた部屋に戻ってきてしまった。
別の部屋に入らないと、この場所は抜けられない。
そういう、魔法のテレポートみたいな仕組みになってるんだと思う。
もう一度、違う場所に行けるようにと、男の子に話しかけようとした。
「あ……」
部屋の中に、彼の姿はなかった。
だから、代わりに金属箱を覗き込んで、そっと声をかけてみた。
――けれど、なんだか中の様子が違っていた。
そこにいたはずの“たくさんの透明な人たち”が……
全部、ひとつに“混ざり合っている”ように見えた。
いや、ほとんどが透明なんだから、
たぶん光の加減とか、私の気のせいかもしれない。
……けど、それでも。
私にはそう“見えてしまった”。
見た瞬間、ぞくっとして、
なんだか気持ち悪くなって、思わず少しだけ後ずさった。
ドゥドゥドゥ……
かすかな音が、床下から響いてくる。
揺れている。……部屋ごと、動いているのかな?
最初は、この金属箱が振動してるのかと思って、そっと手を当ててみた。
でも――冷たい。
ただの、ひんやりとした金属の感触しか返ってこなかった。
どうしようもなかった。
逃げる場所もないし、何が起きてるのかもわからない。
だから私は、じっとその場に立ち尽くして、落ち着いて待つことにした。
……でも。
私の鼓動までが、さっきの振動とぴったり合うみたいに、
だんだんと速くなっていった。
【後書き】――rururi
……ちょっとだけ、怖かった。
何が起きてるのか、私にもよくわからないんだけど、
見たもの、聞いた声、全部“本当”みたいに感じてしまって――
でも、誰も教えてくれないし、ユメもすぐいなくなるし。
混ざってた人たちのこと、きっと夢とかじゃない。
たぶん私、また何かを見つけてしまったんだと思う。
ちゃんと戻れるのかな。
もしそうじゃなくても――もうちょっとだけ、進んでみるね。
はぁん……またあとでね。