130話:通せんぼ黒猫さん――無視しちゃうね
骨董屋さんを出たとき、ユメを返すときに必要になるかもしれないと思って、
住所をきちんと控えておいた。
考えてみればまさかユメを、あの勇者たちみたいに
“常に手に持って”歩かないといけないのかな?とげんなりしたけど、
腰に差していたクラシェフィトゥの鞘に、
ぴったりと収まることがわかって、安心した。
路地を歩いていると、三匹の子猫が戯れていた。
少し離れた場所にしゃがみ込み、「みゃー」と呼びかけてみると、
三匹ともぴたっと動きを止めて、じっとこちらを見つめてきた。
「にゃにゃ」と言ってみたり、指をくるくる回してみたり、
いろいろと関心を引こうと頑張ったけど――まったくの無反応。
やがて、家の隙間からひょっこり現れた親猫に呼ばれると、
三匹はさっと身をひそめるようにして、そのまま姿を消してしまった。
思えば、この路地を戻って抜けるにしても、先の見えない方へ進むにしても、
どちらも面倒だと思っていた。
でも――いまの私なら、猫ちゃん以上の軽快さを持ち合わせている。
壁の上でも、屋根の上でも。どこだって、たぶん、行ける。
しばらく家々の塀づたいに歩いたり、
どこから入っても裏口にしかつながっていない庭を抜けたりして、
猫の集会場に迷い込んだりしながら、見たことのない帝都を楽しんでいた。
でも気がつくと、空気の違う場所に入り込んでいた。
明らかに今までと何かが違う――そんな場所だった。
そこは音が吸い込まれるように静かだった。
石畳はまだ新しいのに、誰の足跡も全くなかった。
塀の上から飛び降りると、背後から鋭い視線を感じた。
私にしては、わりと咄嗟に振り向いていたと思う。
……ただ、自分でも予想していなかったのは、ユメを抜いていたことだった。
驚いたからなのかな?それとも怖かったのかな?
ユメがほんの少し私の心に在った感情に反応したようだった。
一匹の黒猫が、静かにこちらを見ていた。
まるで、こちらのすべてを見通すように
いや帝都の黒猫はすべて使い魔のはずと聞いていた。
同じ黒猫でも、凛々エルお姉さまのところで会ったターターさんではなかった。
目の色、黒毛の流れ方、そして尻尾の長さ――どれも違っていた。
それがすぐ分かった。
「あなたはだあれ? お名前は?」
優しく聞いたつもりだった。
けれど、その視線はかえって鋭くなるばかりだった。
足音は、まったくしなかった。
瞬きをしないまま私のまわりをぐるりと一周すると、
また目の前で座り込んだ。
「迷子なら、君の左手の路地をまっすぐ行けば通りに出ますよ」
やっぱり使い魔だ。
この黒猫、自分の意思で喋っているときもあれば、
使役している魔法使いの意思で喋っているのかもしれない。
だけど、どちらにしても――私は、入ってはならない場所にいる気がした。
言われた通り、左手を見る。
家々の狭い隙間の向こうに、人の行き交う姿がかすかに見えた。
……あそこから出て行けばいいのね。
「大丈夫、私は迷子じゃないからね。ばいばい」
使い魔の黒猫さんの意図はわかる。
でも、ここがどれほどの禁止区域なのかは分からないし、
今の私には友達を探すことのほうが大事だった。
だから、まっすぐ歩いて行くことにした。
“ユメ”は、まだそのまま手に持ったままにしておいた。
黒猫さんもついて来ていた。でも、一定の距離を保っているようだった。
辺りは、さっきまでは民家がぎゅうぎゅうと建ち並ぶ場所だった。
明確な線が引かれているわけじゃないけど、
ここは『非物質界――アストラルプレーン』と混ざった区域だと思う。
足を止めて、はるか遠くを見れば、それがなおさらよくわかった。
この間の古城のように、
この帝都には隠された区域がたくさんあるみたいだった。
「ちょっと、ちょっと待ってよ」
黒猫さんは慌てたように、止まった私の前にぬるりと回り込んだ。
足音はやっぱりなかった。ただ動きだけが、ぴたりと私の前に滑り込んでくる。
「その~、それだけの防壁を持っているあなたは、
名のある魔法使いさまでしょうけど……
それなら知っていますよね? 進入禁止ですよ?」
声は丁寧だけど、目はやたらと真剣だった。
でも私は、本当に知らなかった。だから素直に聞いた。
「知らないから、何があるのか教えてちょうだい」
「それはダメです。言えません」
風がひとすじ、足元を撫でていった。
止まっているわけにはいかなかった。
ふむ……何もかも教えてくれない時は――自分勝手に行くしかないよね。
「なら行くね。本当にわからないから……」
そう言って一歩踏み出した私に、黒猫さんの声が背後から飛んできた。
「え? えぇぇ、魔法使いさまですよね? え? 違うの?」
私はもう振り返らなかった。
ただ、後ろで黒猫さんがその場で混乱している気配だけが、
いつまでも背中に引っかかっていた。
【後書き】――rururi
「通せんぼです」って顔をしてた黒猫さん、すごく真剣だったけど――
私はすごく適当に歩いてただけなんです、ごめんなさい。
あと、魔法使いさまじゃないです。全然違います。
ユメを抜いたのも、たぶん反射です。本能? 勘? そのへんです。
それでも黒猫さんがついてきたのは、なんだかんだ心配してくれてたのかなあ、
と思ったけど、たぶん監視です。たぶんすごく任務中です。
ともかく、私はまだまだ迷いながら進んでます。
寄り道ばっかりの道ですが、読んでくれてありがとう。
次もどうぞ、迷子気分でのんびりついてきてくださいね。