128話:いなくなった……
あぁ……もう、空を見上げるしかなかった。
さっきまでは、ただ一緒に歩いていただけだったのに――
気づいたときには――
彼女はいなくなっていた。
最初は「まさか」と思って、自分の体をくまなく探ってみた。
でも……そんなところにいるわけがない。
道端も、周囲の草むらも――
どこにも、“彼女”の姿はなかった。
腰には、鞘だけが残っていた。
クラシェフィトゥが消えたことに、最初は気づけなかった。
――だって、重さなんて、最初からほとんどなかったから。
でも、あの“在るはずの気配”が消えていた。
それに気づいた瞬間、私はただ、呆然と立ち尽くすしかなかった。
私の旅は終わった。
そう思った。
さっき旅出でようと思った初めは、彼女の事はまったく考えていなかったのに、
今となっては彼女がいない旅なんて考えられないよね……あ~ぁ。
とぼとぼと下を向きながら歩いていると、ふいに声を掛けられた。
クラシェフィトゥ――まさか、人の姿になったの?
ほんのちょっとだけ、そんな馬鹿なことを考えてしまった。
顔を上げると、そこにいたのは、先ほどの総合装備店の制服を着た女性だった。
胸元には、小さな店章と、整えられた髪がきれいに揺れていた。
「もしかして……先ほどの短剣が“いなくなった”のですか?」
その言葉は、私の気持ちにぴたりと寄り添ってきた。
彼女はただの確認ではなく、本当に心から――
心配そうに、そしてどこか悲しげに私を見ていた。
「私はユメ篝と言います。
総合装備店《城》で働いているんですよ」
「あ、そ……そうなんです。クラシェフィトゥが……いなくなっちゃって……」
声が震えていた。
折角出会えた“友”のためなら、私、なんでもするって――そう思ってた。
ユメ篝さんは、私の顔を見つめたまま、ふいに視線を外した。
何かを迷っているような、悩んでいるような沈黙。
「……うん、いいわ。あなたにだったら、教えてあげる」
「でも、他の人には絶対しゃべっちゃダメよ? 約束、できる?」
私は静かに――けれどはっきりと、うなずいた。
「じゃあ、一度お店に戻ろうね」
私のことを、だいぶ子供だと思っているのかもしれない――
ユメ篝さんは、そんなふうにやさしく接してくれるお姉さんだった。
でも今の私は、彼女に頼るしかなかった。私は黙って、後ろをついていった。
総合装備店《城》の入口を通り抜け、
一般客の目には入らない通路を進んでいく。
階段を上がって二階へ――そこには、スタッフ専用の空気が流れていた。
無機質な事務室の隣、
大きめのパーテーションでゆるく仕切られた応接スペースがあった。
床には薄い模様の入ったカーペット。
壁際には小さな本棚と、使い込まれた大壺。
背もたれの大きなソファーに腰を下ろすと、
少しだけ、緊張がふっとほどけたような気がした。
店員ユメ篝さんは、私の前にそっと飲み物を置いてくれた。
細い足のグラスには、アイスがひとつ浮かんでいて、
その表面はうっすらと汗をかいていた。
一口飲んだら、はぁん……
私の心の中の“大汗”が、少し引いていくような気がした。
そのとき――
「おや?先ほどのお嬢さん……どうされましたかな?」
穏やかだけど、印象的な声がした。
クラシェフィトゥを買うときに対応してくれた、あのおじさまだった。
店員ユメ篝さんが立ち上がりながら、彼に向き直る。
「こちらのお嬢さんが……あの短剣を、失くされたみたいなんです」
そう言ってから、少しだけ私の方を心配そうに見た。
「いなくなったの――私のクラシェフィトゥ」
私は、もう声を出しているのかもわからないくらいの小さな声で言った。
でも――おじさまには、ちゃんと届いたようだった。
「ほぅ、ほぅ……」
彼はそう呟きながら、隣に立つユメ篝さんの方に視線を向けた。
軽く顎に手を当て、何かをゆっくりと思案するように目を細める。
しばらくの静けさ――
それは、私の胸のざわつきと同じくらいの深さだった。
「いいと思いますよ、ユメ篝くん。ただし――
わかっていますね? 今は忙しい時世です。
夜までには、必ず戻ってきてください。」
「……あ、はい。わかりました」
ユメ篝さんは、許可が下りたことよりも、
時間を限られたことのほうに緊張しているようで、
少し硬い表情になっていた。
「しっかりやりなさい」
おじさまはそう言って、ユメ篝さんには少し強めの口調を残し、
私にはやわらかな笑顔を向けると、静かに応接間を出ていった。
「じゃあ、私は準備してくるから――それ、ゆっくり飲んでてね。
そうだ、お嬢さん。お名前は?」
「……瑠る璃です」
……あっ。別の名前を言っておいた方が、よかったかな?
旅に出る前に、そういうことも考えておけばよかった。
名前だけでも、もし母さまに伝わる事になったら――
確かめに、探しに来るかもしれない。
……あぁ、面倒なことにならなければいいけどな~。
【後書き】――writer I
クラシェフィトゥは、いなくなってしまいました。
「失くした」より「いなくなった」のほうが、しっくりくる気がしたのは、
瑠る璃の中で、まだ“考え方”というものが
ちゃんと形になっていないからかもしれません。
彼女の世界は、半分は想像や妄想でできています。
そんな彼女の前に現れたのが、大人の「ユメ篝さん」。
この物語の中で、少しだけ道しるべのような役割を果たしてくれる存在です。
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
次もまた、のんびり楽しんでもらえたら嬉しいです。