第一話 3-3
「俺はてっきりコーヒーハウスで奢ってもらったような、温かい飲みものとして作るものと思っていたのだが……。この石みたいなものが本当にチョコレートなのか?」
「錬金術師らしからぬ言葉だね。君たちにとって固体とはもっとも安定した、いわば完全な状態ではなかったかな?」
シンはここぞとばかりに博識ぶりを披露する。
賢者の石と同じように語られると面食らうものの、作った張本人のレオナルドが錬金術師なのだから納得できるところではあるか。
固形化させたチョコレート自体は話に聞いたことがある。そもそも砕いたカカオの粉をお湯でとき、どろっとしたペースト状にして供されるものなのだ。粉のまま固めてみようなんて発想はすぐに出てくる。しかし舌触りが悪いうえに風味も劣るという評判だったはずだ。
とはいえ製作者がかのレオナルド、しかも最高傑作と謳うほどだ。二百年前に作られたものであろうと、そういった欠点は克服されているとみるべきだろう。
「こういうときのために残しておいた最後の一粒だ。ぜひ味わって参考にしてほしい。なお体温で溶けてしまうくらい熱に弱いから、そこだけは注意したまえ」
つまりアルフレッドに食べさせるために、時の流れは戻してあるわけだ。言われるがままにチョコレートを手に取り、間近で観察する。
色は黒。わずかに赤みがかっていて、そこもまた伝承にある賢者の石を彷彿とさせる。表面はなめらかで光沢があり、芸術品めいた高貴で近寄りがたい雰囲気まで備えている。
匂いはまさしくカカオ。バニラやミルク、嗅いだことのない香辛料の香りもかすかに漂っている。塊になっているぶん芳香が強くなっている、ということはなさそうだ。ならば普通のチョコレートといったいどこが違うのか。
答えは──口に入れた瞬間にわかった。
「なんだこれ!? めちゃくちゃ甘くて美味いぞ!」
「情緒もへったくれもない感想だけど、チョコレートの本質を端的に示しているといえる。そう、これは極限まで突き詰めた甘美という『快楽』なのさ」
参考にするための試食だというのに……あまりに複雑な味わいに恍惚としてしまい、気がついたときには口の中から消えていた。あとに残ったのは夢から覚めたような感覚。そして、チョコレートに対しての強い渇望だけだった。
「本当にこれが最後なのか? 実はまだ隠しているとか……」
「私の気持ちをようやく理解してくれたみたいだね。もはやこの世のどこにも存在しないのだから、どうしても食べたいというのなら君が作るしかない」
アルフレッドは膝から崩れ落ちた。自分で作れと言われても、圧倒的すぎてろくに分析できなかった。今までに味わったことのない、異次元の感覚だ。
記憶にあるのは舌にまとわりつくようなとろりとした食感と、頭を真っ白にするほどの蠱惑的な甘さのみ。ただ甘くすればいいわけではない。上質なカカオの苦み、香辛料の風味があってこそ、うちに秘められた甘さが際立つ。液体ではない理由もよくわかった。口の中で消えてしまうから、儚くも愛しいのだ。
しばらくは余韻に浸っていた。とはいえ冷静になってくると、じわじわと恐怖と焦りがやってくる。これと同じものが作れなければ、俺の人生は終わる。
「私はレオナルドの作品に満足できなかった。君はこれを超える最高を作れ」
「はあ!? 再現するだけじゃだめなのかよ!? 作ったことねえどころか口にしたのだって昨日がはじめてだっつうのに、さすがに無理難題すぎるだろ!」
「期限は次の満月までにしておこう。隷属の契約が交わされている以上、この要求を断ることも、逃げることも許さない。吸血鬼のモットーは──価値なきものは火に焼べるのみ」
そう告げられた人狼たちがどうなったかを思いだし、背筋が寒くなる。
シンはチョコレートのように甘くはなく、愛しいと評したアルフレッドにさえ容赦がなかった。しかもこの様子からすると、やはりコーヒーハウスで出会うずっと以前から、有能な錬金術師である自分に狙いをつけて入念に計画を重ねてきたにちがいない。この場で往生際悪くあがいたところで、絡みついた蜘蛛の糸がいっそう深く身体に食いこんでしまうだけである。
ならば、俺は俺なりに矜持を示すほかない。
どれほど無謀な試みであろうと果敢に挑戦し、前に進むのが天才だ。
「上等だ。最高といわず、究極のチョコレートを作ってやるよ」