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第一話 3-2


 一瞬、理解が追いつかなかった。

 しかしその恍惚とした表情を眺めていると、昨夜コーヒーハウスで最初に語りあったときの記憶がぶり返してくる。銀髪の貴公子様はあのときと同じように瞳をキラキラとさせながら、なおも雄弁に語りだす。


「愚かで低俗な存在と侮っていた君たちが、よもやあれほど崇高な価値を生みだすとは思ってもいなかった。いわばさんざん見くだしてきた連中に縄でぎちぎちに縛りあげられたあげく、耳の裏から足の指の間にいたるまで、あますところなく責めたてられているような感じだよ。だが、絶対者としての尊厳を破壊しつくされたあとには、極上ともいえる快感の渦がおとずれる。わかるかい? つまりはそれが私にとってのチョコレートなのさ」


 アルフレッドは呆然としたまま首肯する。

 同意できるところはなにひとつなかったが、なるほどそういうことかと得心するところはあった。この世ならざる存在だからというだけではない、つかみどころのなさ。これまでの不可解な言動の数々が、ようやく一本の線として繋がった感じである。


 この男の本質。それは──。

 生き血よりもチョコレートが大好きな、甘党の吸血鬼だ。


 あまりに異常かつ滑稽な生態に、頭痛を感じてこめかみをおさえる。

 悪い冗談のような話ではあるものの、そう考えれば一応の説明はつく。なによりシンと接していると、このくらいぶっ飛んでいたほうが似つかわしいとさえ思えてしまう。真意を知ったからこそ、いっそう理解しがたいと感じられるような化け物だ。


「……要求を受け入れる前に確認しておきたい。最高のチョコレートというが、なにをもってそう判断する? やるならやるで明確な審査基準を設けろ」

「すべては私の好み次第、と言ってしまえばそれまでだけど、君の立場からするとフェアじゃないか。でも第三者に評価を委ねるつもりはないし、まずはお互いの共通認識としての『最高のチョコレート』を定める必要がありそうだね」

「うんちくを披露したくてウズウズしているような顔だな」

「それもまた楽しみのひとつさ。では話がまとまったところで、めくるめくチョコレートの世界にご案内しよう。知ればきっと君も納得してくれるはずだ」


 というわけでシンに先導され、コレクションルームまで向かうことになった。

 ルヴィリアの領主が所有する屋敷だけに廊下は広々としていて、柱や天井のあちこちに微細で華やかな模様が施されている。ほとんど宮殿。飾りの一片を削って質屋に流すだけで、工房の家賃半年ぶんのツケを支払えるかもしれない。


 華やかといえば、シンから渡された衣服や眼鏡もそうだ。血を吸っている最中に昂りすぎてボロクズにしてしまった、というおぞましい真相はさておき、アルフレッドが以前身につけたものとは比べようもないほど上等になっている。

 青を基調にしたサテン地のジュストコールと揃いのベスト、下はシンプルな白のトラウザーだが素材がシルクに変わっていて、全体的に古風かつ大仰がすぎるものの趣味はよい。特筆すべきは眼鏡で、あつらえたように度があっていることも驚きだが、なによりレンズが異様に軽い。ガラスではなく別の素材を使っているのか歪みや傷もなく、古のエルフが作った神話のアイテム、と言われても信じてしまいそうだ。


 着替えてすぐに姿見を眺めたときは魔法をかけられたような気分になったものの、首筋につけられた赤黒い痣がすべてを台なしにしてくれた。

 隷属の刻印は花びらとも蝶ともつかぬ紋様で、見るからに魔術的な効力が宿っていそうだった。今こうして廊下を歩いている最中にも、つい気になって指でなぞってしまう。


「君はチョコレートの原料であるカカオについて、どの程度知っている?」

「海を挟んではるか南、大地の民が住まう土地から伝来した交易品。向こうでは商取引する際の貨幣として用いられていたと聞く。滋養強壮に媚薬……そっちの効果はどこまで本当かわからんが、栄養価が高いことは間違いないな」


「大地の民はカカオの実を神聖なものと捉え、王族が愛飲したり、あるいは生贄が神々に捧げられる前に飲まされていたという。もっとも当時は煎ったあとでトウモロコシの粉や香辛料と混ぜて飲んだり、粥のようにして提供されていたらしいから、我々が知るチョコレートとは似ても似つかないものだったようだけど」

「ってことはルヴィリアに来てから改良が加えられたのか」

「カカオがこの地にやってきてから三百年。か弱き人間が得意とする創意工夫によって、私のような吸血鬼をも骨抜きにする嗜好品に生まれ変わったわけさ。君が今かけている眼鏡の持ち主は、カカオに奇跡をもたらした立役者のひとりだ」


 シンは目を細め、懐かしそうにいった。


「彼は自分のことを『ショコラティエ』と呼んでいた。私の知らない言葉でチョコレート作りの職人を意味するらしいが、なかなかよい響きだと思わないかい? 錬金術師が相手ならば、レオナルドのほうが伝わるかもしれないけど」

「それって……あの伝説の?」


 アルフレッドは眼鏡をずり落としそうになり、慌ててかけ直した。

 異邦人レオナルド──わずか十歳でガス灯や蒸気タービン、飛行船などの画期的な技術を発明した正真正銘の天才。不治の病に侵されたことから成人したのちは錬金術の道を志すものの、二十代のうちに志半ばで夭折した。


「さすがは吸血鬼。交友関係のスケールが無駄にでかいな」


 なんて軽口を叩いてみるも、動揺を隠せず声がうわずってしまう。

 アルフレッドが錬金術の道を志したのは、ひとえにレオナルドのような存在になりたかったからだ。鉄屑を金に変えるでも不老不死でもなんでもいい。世界をあっと驚かせ、歴史を動かすような大発見、大発明を成し遂げる。その功績によって表舞台で脚光を浴び、一族の面汚しと嘲ってきた偏屈な父親や愚鈍な兄たちの鼻っ面を蹴飛ばしてやれるなら最高だ。


 たかがチョコレート作りと侮っていたが、憧れとしてきた偉人と同列に扱われるのなら悪い気はしない。籠の鳥同然の身分から解放されるというのはもちろん、自らの才能を試す意味でもやる気が湧いてくる。 


 と、シンがひときわ立派な扉の前で足をとめた。

 ここがコレクションルームなのだろう。温室のようなガラス張りで、外から見るかぎり背の高い木々が生い茂っている。屋敷の中にこんな空間を造るとは、正気の沙汰ではない。

 促されるまま扉をくぐると、今度は夢の中にいる気分になった。カカオの木と思しき幹から伸びる白い花に手を触れたところ、凍りついたようにびくともしないのだ。


「ルヴィリアでは育たない植物だからね。時間をとめて保存している」

「平然というんじゃねえ。いっそチョコレートもお得意の魔法で作っちまえよ」

「私は生まれもった力で理を歪めているだけにすぎない。君たちはその真逆、理を利用し新たな価値を創造する。わかりやすくいうと、我々のような存在は創意工夫が苦手なのさ」


 セーブル王国の基礎教養である聖サングリア教の原典の中にも、怪異に類するものは『物を生みだすことができない』という記述はある。

 そういった行いは御主様が人間にのみ与えられた特権であり、ならばこそ今日まで栄えてきた。天に向かって感謝の祈りを捧げなさい、というありがたい教えである。

 自らの内なる知恵に誇りを抱く錬金術の徒としては受け入れがたく感じられ、そのせいか聖堂や神像に唾を吐きつける同胞もすくなくない。しかし神話に出てくるような化け物自らがそう語るのであれば、押しつけがましい説法の中にも一定の真実が含まれている、ということになるのだろう。


 超常なる力とて万能ではなく、無から有を生みだすなら人間の手に委ねるほかない、というのは理解できた。最初はレオナルド、次にアルフレッド──伴侶になってほしいと言っていたが、シンは最初からチョコレート作りをさせるつもりでいたのではなかろうか。

 有望そうな錬金術師に目星をつけていたとすると、コーヒーハウスで出会ったことすら偶然ではないのかもしれない。だとすればいつから……?


 この用意周到さをみるに、アルフレッドが町にきた直後からという可能性もある。ルヴィリアの領主は王立アカデミーの創設にかかわっていると聞くし、下手をすると何百年も前から自分のような人間を捕まえるための網を張っていたかもしれないのだ。


「最高のチョコレートを作ってほしいという要望は、志半ばで倒れた友に贈る手向けでもある。君にとっては偉大な先人との、矜持を懸けた勝負となるはずだ」

「いったいなんの話だ。急に」

「本題を忘れたのかい。審査基準を設けろといったのは君だろうに」 


 ふと見ればシンは小さな箱を抱えていた。

 材質は紙で色は赤。吸血鬼の持ち物にしてはずいぶんと質素である。

 彼は慎重な手つきで開けると、中から宝石のようなものを取りだした。


「──これはレオナルドのチョコレート。二百年前に彼が遺した、最高傑作さ」

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