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第三話 4-5



 アルフレッドはふかふかのベッドで目を覚ました。

 隣にはクリム。それでシンの屋敷にいることがすぐにわかった。


「またしても死にかけましたね、アルフレッド様。博識かつ聡明なあなた様にあえてお伝えするまでもないことですが、熱中症を甘く見てはいけません。ああ……! だからそうやってすぐに起きあがろうとしないでください」

「あの野郎がくる前に出ていく。顔を合わせると面倒くさいことになりそうだからな。つーか俺はどのくらい眠っていたんだ。いやに頭がすっきりしているが」


「ちょうど丸一日ですかね。昏倒したわりにお元気なのは、ご主人様が精気を分け与えたからでしょう。前回うっかり命を奪いかけたお詫びということで」

「待った。そりゃどういう意味だ」

「精気というのはあなたがたがエーテルと呼んでいるものです」


 いや、そっちじゃなくて。

 アルフレッドはぎくりとして首筋に手を当てる。

 ずきりと痛みが走り、そこに噛まれたような傷があるのがわかった。 


「吸血鬼の牙はそのまま注射のように使うこともできるのです。シン様があの場で救命行為を行わなければ最悪そのまま死、よくて後遺症で四肢が麻痺していた可能性があります。感謝こそあれ顔も合わせずに逃げだすのは、道理に反する振る舞いではないかと。まあ原因の一端を担っているのはご主人様ですが」

「……この場合、隷属契約のほうはどうなるんだ?」

「はっはっは! それは私から説明しよう! 我が愛しのアルフレッド!」 


 勢いよく扉を開けてシンが入ってきた。

 いつになくテンションが高い。おかげですさまじくいやな予感がする。 


「あのときの君は口を利ける状態になかった。仕方がないので身体のほうに聞いてみたよ。私の熱いパトスを注ぎこみながら……どうだい、これがひとつになるということさ。お互いの魂と魂が混ざりあって……そう、すべてを委ねてごらん。そうしたら君はびくんびくんと震えながら──」

「やめろ! 気色悪いことばかり抜かしやがって!」


 クリムが無言で鏡を持ってくる。首筋にはばっちり紋様が刻まれていた。


「前回の契約は窮地を助けてもらう対価として結ばれたものだ。ゆえにたとえ一時的に破棄したとしても、救命行為を行えば再契約の了承が成立してしまうわけさ。君の身体が私を受けいれやすくなっていると表現しても構わない」 


 ……いくらなんでも判定が緩すぎないか、それは。

 アルフレッドはへなへなと崩れ落ち、そのままベッドに身を委ねる。

 もうなにも考えたくない。このクソ吸血鬼の顔も見たくない。



 熱中症の窮地から救われたことで、アルフレッドは隷属契約を解消するどころか握りかけていた主導権さえも再び奪われてしまった。  


 結局また中毒患者の面倒を見る生活に逆戻り。刻印の縛りによってルヴィリアから逃げだすことができぬ以上、シンが我を失えば真っ先に餌食となるのは自分自身である。

 この状況が長引けば長引くほど提供する作品のネタは減っていくわけだから、カカオの可能性は無限大といっても、探究の道のりは険しくなるばかりである。  


 やはり早急に、あの吸血鬼を殺さなければならない。

 究極の先、なんてものが本当に存在するかどうかなんて関係ない。答えを見つけなければ命の危険があるのならば──いや、たとえ切迫した状況に陥っていなくとも、自分はやはりチョコレート作りを続けようと考えたはずだ。


 錬金術師として、探究を途中で投げだすのは沽券にかかわるから。負けず嫌いとして、課題を失敗に終えたままでいるのは許せないから。あるいは究極の甘美にいたる探究を、ただ純粋に楽しんでいるから。

 理由はいくつも挙げられるが、なにより重要なのはこの一点だ。

 不愉快なあの男をこの世から消し去ってやらなければ、気がすまないから。


 そんなわけでアルフレッドは今日も朝からチョコレート作りに勤しんでいる。試行錯誤する過程は生来の凝り性からそれなりにやりがいを感じているものの、はた迷惑な中毒患者をおとなしくさせるために毎朝律儀にこなさなければならないとなると、その不毛っぷりにうんざりしてくる。 


 俺は錬金術師なんだぞ。歴史に名を残す天才になるべくルヴィリアまでやってきたというのに、今や寝ても覚めても頭の中はチョコレートのことばかりだ。

焙煎した豆をプレス機にかけるたび、薬品の調合でささくれだっていた指の先にカカオの色素が入りこみ、刺青を施されたように黒く染まっていく。その有様は隷属契約の証しを彷彿とさせ、見えざる力によって狂気が伝染しているかのような恐怖を抱かせる。


 ……やはり一刻も早く究極のチョコレート作りを完遂し、本来の自分を取り戻さなくては。このままでは吸血鬼のお仲間になる前に、あのクソ野郎みたいな中毒患者になってしまいそうだ。


 死ね死ね死んでしまえ。

 必ずお前を完膚なきまでに叩き潰し、塵も残らないほど殺しつくしてやる。


「いい表情だ。君という人間もいよいよ熟成してきたといえる」

「カカオのようにか、くそったれ。気が散るから工房に寄せつけないようにと、クリムには毎度きつくいい含めているんだけどな」   

「たまにはいいじゃないか。新たな甘美が作られていく様を眺めていると、私の気分もいくらか安らぐようだ。チョコレートの中毒が『渇望』から生じたものであるがゆえに、焦りや不安が減ればそれだけ症状が緩和されるということなのかもしれないね」

「ちょっと待て。となると今後はお前の精神状態にまで気を配らなきゃならんのか? 癇癪起こしそうになったら口にチョコレートねじこむとか、そういうふざけた真似はクリムのやつにでもやらせとけよ」


 シンはクスクスと笑った。いざとなればこの男は隷属契約を盾に、アルフレッドに無理やり忌々しいプレイを要求してくるはずだ。

 いっそ腕ごと喉もとに突っこんでやろうかと考えるが……相手は窒息死することのない不死者だから、結果として起こるのはより耐えがたい悪夢だろう。


 そうこうしているうちに仕込みが終わったので、朝やったぶんはいったん寝かし、事前に用意しておいた生地で新たな作品の開発に取りかかる。

 結局のところチョコレート作りに専念するのがもっとも確実で被害がすくないのだった。


 以前グミを作って中に入れてみたが、今回は原料のゼラチンとチョコレート、それから牛乳とクリームを混ぜあわせてふんわりとした食感に仕上げてみる。ガラス製のカップに注いで冷やして固めたあと、皿のうえでひっくり返すとちょうど冠のようなかたちになる。古いおとぎ話にある王国の名前から取り、この製法を『ババロア』と呼ぶとしよう。


 とろみのあるチョコレートより口に入れたときの舌ざわりは軽やかで、ゼラチンと混ぜあわせているぶんさっぱりとした味わいになるはずだ。

 菓子職人たちに教えてやれば、ルヴィリアの新たな名物がまた増えるかもしれない。 


「そういえば、カーリムのやつはどうなったんだ?」

「ゴルドック商会の話によると、あのあとすぐに祖国へ帰ったようだ。いわく目は虚で、抜け殻のような有様だったとか。残念ながら彼の才覚は、天から借り受けただけのまがいものにすぎなかったということさ」


 アルフレッドはスプーンでババロアの硬さを確認しながら、祭事にまつわる騒動について考えこむ。テオドール教授がコンテストを発案した真意については、今朝がたクリムからそれとなく聞きおよんでいる。

 

 ルヴィリアにすまう怪異とはまた別の人知を超えた存在が、カーリムという人間を介して吸血鬼の王シンを滅ぼそうとしていた。

 聖女アニエラや巨匠ゼクセンがそうであったように──神託による奇跡が、ホワイトカカオを用いた究極の逸品をあの場で顕現させたことになる。


「しかしお前は滅びなかった」

「アルの作った甘美のほうが、神様の奇跡よりもずっと魅力的だったからさ。もっともあの男自らが策を講じたにしてはお粗末すぎるから、その従属の手による企てだろうけどね」

「まるで顔見知りみたいな言い草だな……。たかがチョコレート作りにしちゃスケールが壮大すぎるだろ。まあどこまで本当かわかったもんじゃないが」

「君とていずれは彼らと旧知の仲になるだろう。カーリムを介した干渉が失敗に終わったとなれば、次は誰を手駒にしようと考えるかは火を見るよりもあきらかだ」


 シンは意味深な笑みを浮かべながらそういったあと、作りたてのチョコレートババロアにスプーンを突きたてる。口に含んだときの表情から出来栄えについて確認を取る必要はなさそうだが……それはそれとして、今しがたの言葉は気になるところではあった。


 たとえば、ある日いきなり枕もとに天の御使が現れて。

 吸血鬼の王を滅ぼすべく、協力しあいましょうと囁いてきたら。

 そのとき自分は、なんと返すだろう?


 アルフレッドはちょっと考えて、そのあとでシンの様子を眺めてふっと笑う。

 忌々しい吸血鬼はうっとりとしたまま、チョコレートの快楽に沈んでいる。


 俺は天才錬金術師様だぞ。

 神様ごときに指図されずとも、必ずこいつを滅ぼしてやるさ。

 だから黙って見ていろ。お空のうえで、お行儀よくな。

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