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第一話 2-2



「君たち人狼種の窮状については、私としても憂うところではある。本来であれば恐れられ崇められる立場でありながら、今や路地の暗がりの端っこに追いやられ、餌を求めて飼い犬のごとく尻尾を振っているのだからね」

「貴様! 我らの一族を愚弄するつもりか!」

「発言の許可は出していないよ。まったく、これだから田舎者は」


 シンはわずらわしそうに告げる。

 直後、べしゃりといやな音が響く。口を挟んだ人狼の姿はもはやなく、路地にはチョコレートドリンクをこぼしたような黒い染みが広がっていた。


 アルフレッドはうめき声をあげそうになるのをぐっとこらえる。自分がこれまでどれほど危うい綱渡りをしていたかを、今さらになって思い知ったからだ。


 その長い銀髪は風もないのに浮きあがり、一本一本が意思を持っているかのように蠢いている。全身を包む燐光は眩しさを増す一方で、度を越えた美しさはなぜか強く『死』の気配を連想させる。守られている自分ですら言葉を失うほどだから、相対する人狼たちの恐怖たるや想像を絶するものがあるはずだ。

 シンはオペラ歌手のようなよく通る声で「お座り」と囁く。彼らは見えない重石を乗せられたようにぷるぷると震え、やがて堪えかねたように膝を地面にめりこませた。


「私が見るかぎり、君たちが時代の流れに淘汰されるのは当然の帰結といえよう。数百年と生きてきた中で一度でも、なにか価値のあるものを生みだしたことがあっただろうか? かよわい人間たちが荒れ地を田園に変え、山岳にトンネルを掘り鉄道を敷き、巨大な風船に乗って空を飛ぶようになるまでの間、君たちは昔ながらの野蛮な暮らしを続けていたのではないかな」

「そ、それは……」

「理解せよ。神話の時代は終わったのだと。今や王たるこの身ですら、脆弱な存在と嘲っていた人間たちの知恵に屈服する始末なのだ。そう、なによりも敬うべきはチョコレート。よもや生き血より甘美なものがあろうとは!」


 尋常ならざる光景を前にして、会話に耳を傾けていられるほどの余裕はなかった。アルフレッドの頭の中を支配しているのは、どうやってこの場から逃げだすか、だけである。

 しかしわずかに足を動かした瞬間、シンが茶目っけたっぷりにウィンクを返してくる。自分に対しては相変わらず気さくな青年のごとく振る舞っているが、正体を知った今となってはむしろ恐怖心が増すだけ。こんな化け物を前にしながら呑気にチョコレートドリンクを奢られていたのだから、本質を見抜く錬金術師としてはあるまじき失態だ。


 一方の人狼たちは、本来の標的であるはずのアルフレッドのことはすでに眼中にないようだ。骨が軋むような音を立てながらよろよろと立ちあがると、優雅に腰に手をあてている銀髪の吸血鬼をにらみつける。


「貴公が名高きルヴィリアの王と知らず、非礼を重ねてしまったことはお詫びする。しかし我らが滅びゆく種であったとしても、一端の矜持はある。こうも侮辱されて引きさがるようなら、それこそ犬と変わらぬではないか」

「ならば爪牙をもって示せ。価値なきものは、火に焼べるのみ」


 人狼たちは四つんばいになり完全な獣の姿に変じると、身がすくむような遠吠えをあげて相手に向かっていく。

 三対一、しかも同じ化け物同士の戦いとなれば、あちらが断然有利とみるべきだ。しかしよほどの勝負師だろうと、人狼側に賭けることはなかったはずだ。あきらかに、存在の格が違う。


 彼らはシンに触れることさえできなかった。

 飛びかかろうと足を踏みしめた直後、地面からバッと火柱があがる。それは夜空の月まで届きそうなほどの勢いで火の粉を散らし、三頭の獣を死の舞踏に誘う。彼らに逃れるすべはなく、断末魔の悲鳴をあげながら、あっという間に灰となって散ってしまった。


 アルフレッドはその惨状を眺め、呆然とした。

 恐怖からではない。助かったという安堵でもない。常人であれば我を忘れて泣き叫んでいたかもしれないが、根っからの錬金術師は別のことで頭がいっぱいになってしまっていた。


 着火剤はない。燃料もない。

 なのに猛烈な火柱があがり、一瞬にして獣たちを焼き尽くした。

 途方もない熱量。いったいどこから? わからない。


 自分の常識が、錬金術師として培った知識のすべてが、根底から否定された。長い時間をかけて積みあげてきたものを、横から笑いながら蹴倒されたような敗北感。


「すまない。神経が昂るといつもこうなんだ」


 ふと我にかえると、シンは青年の姿に戻っていた。

 しかもどういうわけか、気恥ずかしそうな顔をしている。


 アルフレッドは反射的に「ああ」と呟く。相手がどういう心情なのかさっぱり見えてこないし、それ以外にも理解しがたいことばかりである。

 ただこの身を支配していた恐怖心すらも、今や大量の疑問符で塗り固められてしまっている。生存本能は逃げろと警鐘を鳴らしているのに、にかわでくっつけられたかのごとく足がまったく動かないのだ。

 錬金術師の救いがたい性分。毒であれ爆薬であれ、確かめずにはいられない。


「頼んだのは俺だからな。おかげで助かったよ」

敬語を使うべきか迷ったものの、結局くだけた口調を貫くことにする。この手のタイプは他人行儀に接すると、むしろ機嫌が悪くなるのを知っているからだ。

「私が怖くないのか? 泣いて漏らして逃げたりしないかい?」

「……そんなこと気にしているのかお前」

「だって嫌われたら悲しいじゃないか」


 アルフレッドはまたしても戸惑う。話せば話すほどシンという男の本質は遠ざかり、いっそうつかみどころがなくなっていくようだった。

 魔法や奇跡としかいいようがない現象。気さくな青年であったり容赦のない化け物であったりと、いくつもの側面を持ちあわせる得体の知れない存在。


「真面目に考えるのが馬鹿らしくなってきたな……。いいか? この世の神秘を探究し、我がものとするのが俺たちの本分なんだ。お前みたいなふざけた吸血鬼をいちいち怖がっていたら錬金術師なんてやってられねえんだよ」

「素晴らしい! 君はまさしく私が求めていたひとだ!」


 なぜか感激されて抱きつかれたので、アルフレッドとしてはうっとうしくてたまらなかった。しかし抵抗する気力が残っておらず、お気に入りのぬいぐるみのようになすがままにされてしまう。

 シンが微塵も怖くないかといえば嘘になるし、内心ではいまだにヒヤヒヤしているところはある。とはいえ今は好奇心のほうが勝っていた。


 なにせ相手は不老不死の化け物。錬金術師にとっては垂涎の研究対象である。危険な綱渡りであったとしても、気に入られておくぶんには損はない。

 もっとも、その気にさせすぎると面倒だ。誘いはのらりくらりとかわしつつ、適切な距離で接するのが無難だろう。ひとまず今晩は屋敷に泊まらせてもらうとして、朝になったらさっさと退散。


 と、考えていたのだが──。


「では対価をいただくとしよう。君は今日から私のものだ」

「ちょっ……待て! 話が急すぎやしないか!?」

「命以外ならくれると言ったじゃないか。ならばそれ以外のすべてをもらう」


 アルフレッドは言葉に詰まった。

 困ったことに相手の言いぶんは正しい。

 それでも逃げだそうともがくのだが、当然のようにびくともしない。


「常々考えていたことがある。チョコレートをたらふく飲ませたあとに生き血をすすったら、はたしてどんな味がするのかと。甘いのかな? 苦いのかな? 錬金術師としての見解を聞かせておくれよ」

「血の味がするだけに決まってるだろ! ていうかチョコレートが欲しけりゃチョコレートを飲め! わざわざ生き血をカカオ風味にする意味ねえだろうが!」

「一理あるね。ならば純粋に、君という人間の味を楽しむとしよう」


 いうなり、シンは首筋にかぷりと噛みついた。そのままじゅるじゅるちゅぱちゅぱと、お行儀の悪い音を立てて生き血をすすりはじめる。

 痛みはない。あるのは頭の芯が痺れるような感覚と、身体の内側をわしづかみにされたような快感だ。思わず生娘のように甲高い声であえいでしまい、その反応を見てシンがふくみ笑いを漏らす。耳もとに生暖かい吐息がかかり、アルフレッドの顔は恥辱で真っ赤に染まっていく。


 罵倒の言葉を浴びせようとするのだが、力なくよだれが垂れるだけでうまくいかない。子鹿のように膝が震え、糸が切れたように地べたに倒れ伏してしまう。吸血鬼は慣れた手つきでアルフレッドの身体を横たわらせると、馬乗りになったあとでいったん顔を離した。

 夜空に浮かぶ月が三つに分裂したあと、またしてもあらがいがたい快感に苛まれる。首筋を貪られるごとに手足の指がぴんとそり返り、電流が走ったような鈍痛が全身をかけめぐる。そうこうしているうちに視界がかすみ、意識が朦朧としてきてしまう。


 コーヒーハウスのチョコレートドリンクも、自分に飲まれているときはこんな気持ちでいたのだろうか。


 アルフレッドはどろりと溶けだすように膝から崩れおち、そして失神した。

次回から毎日更新、夕方6時頃予定です。

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